2005.06.21
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安全と安心

ご好評の連載コラム、浅利眞先生にお願いして、ようやく再スタートすることができました! これからもご愛読のほど、よろしくお願いいたします!

最近、安全、安心と言う二つの言葉が一緒によく使われています。各地の自治体では「安全、安心街づくり条例」なんていう法律があちらこちらで成立しています。安全と安心このふたつはセキュリティーや危機管理を考える上で重要そうに見えますが、果たして使い方に間違いはないのでしょうか。

 セキュリティーや危機管理機材を販売している会社の売り文句に安心を売りますということを書いているところがあります。この安心はだれがするものなのか。私はここに問題を感じています。

 安全と安心。この二つは両立するものなのか。確かにこの二つは子どもたちになってもらいたいと思うものです。子どもたちには安全でそして安心して活動してもらいたい。これは間違いないことです。しかし、ここからが問題がでてきます。実は最近よくみかけるのは安心を、子どもを守る大人側がしようとしているのです。

 たとえば、防犯ブザーや携帯電話などの護身用具。これは子どもに安全になってもらいたいために渡しているはずなのですが、最近お会いする保護者の方々からは子どもに渡していると自分が安心できるなんて言葉が聞こえてきます。

 私は危機管理という仕事をしているためか人を守る側が安心することはできないと私は考えています。どんな対策にもどんな機会にも長所と短所があり、すべてを守りきることは出来ません。予期しないときに事件はおきるわけで子どもをまもる側としてはつねにどこかに警戒心や不安といったものを心の片隅においておかねばならないはずです。

 もし、そうではなく安心してしまえばそれ以上の対策をたてることはなくなるでしょうし、身近で起きている不振な出来事や人物に関心を払うことがなくなり、本当の危機を察知することができなくなるでしょう。危機管理で重要なのは常に最悪な事態を想定し、備えること。そのためには安心は絶対にできないのではないのでしょうか。

 安全と安心この二つの言葉。皆さんの周りにもよく言われていることでしょう。ぜひ、これを機会にもう一度見直してみてください。子どもが安全で安心できるようになっていますか。皆さんが安心していませんか。ぜひ、考えていただきたいと思います。

(イラスト:じえじ)

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