2003.01.21
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池田小学校事件から何を学ぶべきか

平成13年6月8日に大坂でおきた凄惨な事件において、全ての生徒を守ることや、まして事前に察知し予防することは不可能に近いことであったであろう。しかし、だからと言って私たちはその凄惨な事件をただ無為に受け入れるべきではなく、そこから逃げることは許されない

あの日の事件の要因の一つとして言えることは、危機管理というものが日本において成立し、知られるようになって早くも10年以上は経過しようとしているのにも関わらず、残念なことに学校関係者の中においてその考え方が普及しなかったことにあり、現在においても考え方が根付いているもしくは、根付こうとしているとは言いがたい。

 この事件において危機管理が重要であったタイミングは事件がおこる後ではなく、前である。つまり、凄惨な事件のシナリオを想定し、それに関わる影響の予測、被害の計量を行い、それに合わせた対策を施すこと。さらに、そのような事件を予防し、最悪な場合でも被害を低減させるということであり、この一連の作業が行えているか、いないかが重要なのである。そしてこれらの作業は現在学校で行われている多くの業務と密接に関わってくる。危機管理は独立したひとつの技術ではない。

 今回の悲劇からは私たちは三つの重要な教訓を得ることが出来る。これらの教訓から何を学ぶかは皆さんにかかっており、何かを学ばない限り、将来起こりうる悲劇を予測し、それに対応することはできないはずである。

 まず一つは、危機は必ず訪れ、それは決して幻想ではないと言うことである。今回の事件が異常であり、まれであるなどとは思ってはいけない。必ず、凄惨な事件がおきる度に「予想していなかった」と言う言葉がでるが相手は人間がやったことである、予想できないはずもなく、それは幻想などではない。

 二つ目に予防する努力の重要性である。危機管理を事件が発生した後のものと考えている方が多いが、そうではない。今回の事件においてもいくつかの場面で事件を事前に予防できた場面があった。しかし、それらの場面はことごとく見過ごされた結果、凄惨な事件へと発展したのである。「もし、あの時に・・・」は歴史を考える上でのタブーである。しかし、危機管理においては最も重要な部分の一つである。

 三つ目に学校関係者たちの意識の問題である。学校関係者たちが日ごろから児童・生徒を重点にした学校の安全を考えていることは間違いないし、そこにはなんら疑いはない。しかし、その意識は常に覚醒されていただろうか。日常の学校業務の中において埋もれてはいなかったであろうか。そこの部分については議論の余地があるように思える。

 悲劇を全て予防することが出来るとは、普通の人間であれば思わないだろう。それは危機管理を専門としている者たちも同じである。しかし、私は危機管理というものをもっとよく知ることによって、被害をもっと少なくすることができると考えている。

 平成13年におきた凄惨な事件から我々が本当に何かを学ぶことは、今後の学校の危機管理における大きな基点になるであろう。本コラムでは「危機が発生する前に、危機を予測し、回避し、準備し、対応する」危機管理の一連の流れと考え方を紹介し、その後にセキュリティーの分野からいくつかの安全対策のノウハウをご紹介する。そこから皆さんが何かしら学校の危機管理に利用していただき、皆さんの学校の安全性の向上に役立っていただければ幸いである。

(イラスト:たかまひびき)

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