思考力・判断力・表現力を育む「鑑賞教育」(vol.1) 対話による美術鑑賞を理解し、その実践法を学ぶ ―国立美術館『美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修』― 前編
「思考力・判断力・表現力」の育成は、次期学習指導要領における三本の柱の一つ。これらの能力を育み、高める教育法として、主体的・対話的で深い学び「アクティブ・ラーニング」が注目を集めている。対話をしながら美術作品を鑑賞することで、子ども達の「見る・考える・話す・聞く」力を養う「鑑賞教育」は、まさに、この学びを具現化したもの。国立美術館5館を管理・運営する独立行政法人・国立美術館は、鑑賞教育を実践する人材の育成に力を入れており、毎夏、大規模な指導者研修を行っている。前編では、2016年度の研修の模様をリポートする。
研修リポート
子どものより良い鑑賞体験のために、指導者ができることを考える
名称:美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修(全日程2日間)
会場:[1日目]東京国立近代美術館(東京都千代田区)、[2日目]国立新美術館(東京都港区)
日程:[1日目]講演→グループワーク→情報交換会、[2日目]事例発表→ワークショップ(自由参加)→ワールドカフェ→講演(研修終了後、教員免許状更新講習希望者を対象とした試験を実施)※参考:平成28年度 美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修日程(PDF)
目的:グループワークや討議、有識者による講演などを通して鑑賞教育に対する理解を深め、その実践法を学ぶことで、授業内容の充実や地域における学校と美術館の連携推進を図る
受講者:定員100名(図画工作の専科教員を含む小学校教員、中・高等学校の美術教員、美術館学芸員、指導主事)
本時(2日目・ワールドカフェ)の内容:受講者同士のオープンな話し合いから鑑賞教育の目的や課題を明らかにし、実践に役立つ気づきやアイディアを共有する
司会:一條 彰子(東京国立近代美術館 企画課 教育普及室 主任研究員)
※その他詳細は「平成28年度 指導者研修Web報告」
今年で11回目を迎えた『美術館を活用した鑑賞教育の充実のための指導者研修』。例年、受講希望者が定員を上回り、調整しなければならないほどの人気だ。このため、全国の教育委員会からの推薦を基に、国立美術館が受講者を決定している(2017年度は関西での開催、それ以降は関東・関西の交互開催を予定)。
「先生が子ども達を美術館に連れてきて、漫然と見て帰るだけでは、せっかくの美術館での時間が子どもの中に経験として根づきません。対話による美術鑑賞を先生自らが体験し、鑑賞とは何か、どのような学びにつながるか、を理解していただき、いつもの授業にひもづけてほしいと思います」
指導者研修の運営に携わる東京国立近代美術館 企画課 教育普及室 主任研究員の一條彰子氏が語るように、2日間に及ぶこの研修では、座学から実践に至るまで様々なプログラムが用意されている。今回ご紹介するのは、2日目に行われたワールドカフェ。受講者達が活発な意見交換により、鑑賞教育についての理解を深めていく様子をご覧いただこう。
子どもの頃の鑑賞体験を振り返る
ワールドカフェの会場は、うねるようなカーブを描くガラスの壁に囲まれた開放感あふれる吹き抜けが印象的な、国立新美術館の1階ロビー。受講者は美術館のスタッフらと共に勤務地域ごとに4〜5人ずつのグループに分かれ、それぞれ模造紙とマーカーが用意された29卓のテーブルに着席。一條氏の進行により、4ラウンド、120分にわたる話し合いがスタートした。
ラウンド1のテーマは「あなたの心に残っている鑑賞体験はどんなものですか?」。特に6歳から18歳までの体験を思い出し、それが今の自分に与えている影響などを考えるというものだ。子ども時代の鑑賞体験を話し合い、多様な考えに触れ、それを共有することは、鑑賞教育が子ども達の内面に及ぼす変化を知るための重要な手がかりになる。
「モナ・リザのレプリカを見た時、どの角度から見ても目が合うので、すごく怖かった」
「感想は『美しい』だけではないはずだよね」
「本物の美術作品を見た経験は、一度は忘れてしまっても、何かの拍子に思い出すもの」
「それが先々の鑑賞体験の素になるのかも……」
各グループ、こんな風に互いの鑑賞体験を話し、聞き、意見を述べ合いながら、模造紙にキーワードやイラストを自由に書き込み、その内容を視覚化していく。模造紙は発表用ではなく、その後のラウンドで新しくテーブルに移動して来たメンバーに、それまで話し合われた内容を知らせ、発展させていくために用いられる。そう、このワールドカフェでは、ラウンドが終わるごとに各テーブルに1名のホスト(最初から最後まで移動しない)を残し、他のメンバーは旅人となって別のテーブルに自由に移動するのだ。ホストは移動して来た旅人に各ラウンドでの対話内容を説明し、旅人は前のテーブルで出た意見を紹介して、新たなテーマについて話し合っていく。そうすることで、まるで参加者全員で話し合っているかのような効果を得ることができるのだという。
また、ワールドカフェは受講者同士の情報交換や将来の連携のきっかけづくりの場としても重要な役割を担っている。
「図画工作や美術の先生は学校に一人いるかいないかで、誰にも相談できずに孤軍奮闘されている方も多くいらっしゃいます。そんな先生達に仲間との出会いを提供し、ネットワークを広げていただく。また、地域の研修会で鑑賞教育についての情報交換や研究をされている先生には、ここで学んだことを持ち帰って役立てていただく。そうした面も大切にしています」(一條氏)。
子どもに育むべき「鑑賞の力」と、そのために必要な実践を導き出す
続くラウンド2に一條氏が投げかけたテーマは、「小・中・高を通して育む『鑑賞の力』とは何でしょう」。これは、本研修が11年目にして初めて受講対象者を高校教員まで拡大したことに所以する。
「先程振り返った子どもの頃のリアルな鑑賞体験を考えながら話を進めてください」
そんな一條氏の声を受け、席替えを済ませた受講者達は話し合いをスタートする。
「まずは自分の感じ方を大切にすること」
「他の人の見方や考え方を受け入れる力も重要」
「よく見る力、気づく力。例えば犬を描くにしても、上手な子は対象をよく見ている」
「ドキドキしながら想像力を膨らませて見ることも知ってほしい」
等々、それぞれが学校現場での気づきも考え合わせながら、どんどん意見を出していく。
この辺りから対話はさらに熱を帯びたものになり、ワールドカフェはいよいよ後半へ。ラウンド3・4では「そのために私達は何の役に立てるでしょう」という共通テーマが提示された。
「子どもの『鑑賞の力』を育むために自分達指導者ができることは何か。できるだけ具体的に考えてみてください」
と一條氏は呼びかける。
ラウンド3で再びテーブルを移動して話し合った後、ラウンド4ではすべての旅人が最初のテーブルに戻って、それぞれのメンバーの気づきや発見を統合し、鑑賞教育で実践したいこと、そのために重視すべきことを探求していった。受講者達の意見交換はとどまる所を知らず、いつしか各テーブルの模造紙は、カラフルなマーカーによる書き込みでぎっしりと埋め尽くされていた。
中でも多く見られた意見は、「感動を言葉で表現させる」「多様な価値観について考え、話し合う」「美術館と子どもをつなぎ、美術鑑賞をもっと身近なものにする」「歴史などの調べ学習に発展させる」「小・中・高と継続して鑑賞教育を行い、見方を深める」というもの。
「自分の作品が家に飾られていたり、家族からコメントをもらっていたりする子どもは、鑑賞の力も言葉も豊か。それなら、例えば家族から感想をもらうことまでを宿題にしてはどうだろうか」
「地方では学校の近くに美術館がないことも多い。でも、お寺が所蔵している地獄絵や極楽絵などであれば、比較的容易に鑑賞することができる。そうしたものを活用してもよいのではないか」
最後の全体セッションで行われた代表者による発表では、このような気づきやアイディアが紹介され、受講者達は皆、熱心に耳を傾けていた。
その後、武蔵野美術大学 造形学部 教職課程研究室 教授の三澤一実氏による講評を経て、ワールドカフェの感想や印象に残ったキーワードなどを付せん紙に書いて壁に貼り出す「沈黙の時間」が設けられ、ワールドカフェは終了。この後、千葉大学教育学部 准教授の神野真吾氏による講演が行われ、2日間に及ぶ指導者研修の全日程が幕を閉じた。
この指導者研修から持ち帰ったものを、教員達はそれぞれの教育現場でどのように実践し、子ども達の成長につなげているのか。気になる指導者研修の成果や鑑賞教育の教育効果、具体的な実践方法については、後編でご紹介したい。
記者の目
中学校の修学旅行でのグループ行動で、美術館に出向いて作品を鑑賞したことがある。先生の引率はなく、友達同士で好き勝手に感想を語り合い、気に入った作品のポストカードを購入して帰った。ただそれだけの体験だったが、「友達はこういう絵が好きなのか」「そんな絵の見方もあるのか」という驚きがあり、楽しい記憶として心に残っている。子どもだけの対話による鑑賞体験でも、そのような気づきや発見があるのであれば、学習のねらいを明確にした鑑賞教育は大変に意義深いものだろう。そんな鑑賞教育をどのように組み立て、授業にひもづけ、学びを深めていくかを考えるワールドカフェは、美術に携わる教員にとってまたとない機会であると感じた。
取材・文:吉田教子/写真:言美 歩
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