2006.08.16
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学校事務職員の企業研修奮戦記(vol.1)

私は、愛知県東海市の中学校の学校事務職員である。 この度、縁あって東京の(株)内田洋行で企業内研修をさせていただくことになった。 私はこれまで、仕事というものは「学校事務」以外したことがない。いわゆる"学校事務バカ"を地でいく私だが、折角のチャンス。企業ってどんな仕事ぶりなんだろう? 自分が入って邪魔にはならないだろうか? などと複雑な思いを抱えつつ挑んだ企業研修、そこでの奮闘ぶりを学びの場.com読者の皆さんにご紹介させていただく。

2006年7月23日(日) いざ、東京へ

 小雨の降る名古屋駅を12時47分発の"のぞみ"で出発。
 雨のスタートとなったが、九州地方や長野県などに比べれば、この程度であることを感謝しなければならないのかも。

 定住となるホテルは紹介していただき、JR八丁堀駅から歩いて3分のところであった。
 さて、夕食前までに研修の地となる内田洋行社がどこにあるのか、インターネットで調べておいたので、地図を左手に傘を右手に八丁堀からJRに乗り潮見の駅まで、駅から歩くこと5分、あれかなと、見上げれば確かに内田洋行である。

 「うーん、さすがに内田洋行、でかい」
 とりあえず、場所・通勤方法さえ頭に入れれば、なんとかなるでしょう。

(株)内田洋行潮見オフィス
(株)内田洋行潮見オフィス

2006年7月24日(月) 初出勤…困った

 緊張のせいか、朝6時35分頃に目が覚める、いや、いつもなら6時に起きていたな。
 通勤のためのJRのダイヤは調べておいてあって、8時29分八丁堀発で間に合うので、一風呂浴び、その後、着替えて朝食、そして、気を落ち着かせて出勤。

 会社に到着したがさて困った、自分はどこから入ればいいのだろう。まぁ、いいや、みんなが歩いている方向に向かっていくと、社員用出入口がありました。警備の方に事情を説明したら、「玄関の受付で待っていてくれ」だったので、玄関に行き受付の方に再度事情を説明し、連絡を取ってもらい「6階へどうぞ」ということで6階へ。担当の方の出迎えもそこそこに朝礼が始まり、皆さんに紹介していただく。あいさつをし、「とにかくがんばります」、と言ったものの本当に大丈夫かな……。

 担当の方より研修の大まかな日程説明を受け、その後常務さんから"内田洋行の歴史"から始まり事業紹介のレクチャーを受けました。この常務さんの言葉の中に「いい学校をつくりたい」、また「教える場から学ぶ場へと変化する学校(自主的に学ぶための教育環境づくりに挑む)」というのがあり、思わず「そのとおりです」と返事をしてしまった。なぜならば、私の仕事をしていく上でのモットーが"学びを支援する学校事務"であるからだ。

 午後は7月26日から始まる「e-Learninng World 2006」の手伝いと取材のためのレクチャーを担当の方から受けました。

 さすが、ICTの先端をいく内田洋行の方々の話に、改めて"すごい"という印象を受けました。

ワンフロア柱が1本もありません
ワンフロア柱が1本もありません

-- もう一つの感動 --
 内田洋行の歴史の中で、富士通のマイクロコンピュータ"FM-8"の販売を手がけていたことである。このFM-8は当時の68系のCPUを積んだマイクロコンピュータとしては名機であり私も2台目のマイクロコンピュータとして持っていたものである。

2006年7月25日(火) 今日も雨だ

 なかなか梅雨が明けないが、降りすぎている地域の人たちの事を考えれば、贅沢を言ってはいられません。

 昨日と同じ時刻に出勤。すると、今日は新川のオフィスに行って、内田洋行が運営するWebサイト「学びの場.com」編集部に行き、WEB運営や取材等について研修を受けるようにとのこと。事務局は八丁堀の近くであるということで、八丁堀にとって帰った。新川オフィスはすぐわかったけれど、驚いたのはそのビルの隣のビルがあの「耐震データ偽造で有名になったマンション」だということでした。

 学びの場.comのWEBサイトは東京にくる前に一渡り見てきましたが、指示されたのは、「e-Learninng World 2006」の取材だけではなく、この研修も体験記ということで載せるので、その企画書を「どちらも400字程度にまとめて今日の午後3時30分までに完成させてください」でした。エアコンがよく効いていたのですが、背中に冷たいものが走りましたね( ̄▽ ̄;)

 さて、その甲斐(?)あって、この「学校事務職員の企業研修奮戦記」がこうして皆様方に呼んでいただけることとなった次第です。つたない文章ですが、よかったらおつきあいください。

左のビルがヒューザーマンション
左のビルが件のマンションで
新川オフィスはUCHIDAのロゴ
の入っているビルです

2006年7月26日(水) 同時通訳初体験

 今日から3日間東京ビッグサイトで実施される「e-Learning WORLD 2006」 のブースでのあまり役に立たない説明要員と取材のため、りんかい線の国際展示場まで向かう。ところが乗り換え駅の新木場でそこにいた電車に乗ったのだけれど、「えっこの電車でよかったのだったっけ」。そこが始発駅だったのでどれでもよかったのですが、知らないというのは恐怖ですね。

 さて、無事にブースに到着しましたら、「基調講演を聴きに行きましょう」と言われまして、イベント担当の偉い方と一緒だったので関所は無事通過し、始まるのを待ちました。その際、受付で何か渡され、「日本語は5チャンネルです」との案内アナウンス。そうか、多分これが噂の同時通訳が流れる機械なんだな。

 基調講演が始まりましたら、それは即必要となりました。そもそもe-Learningをよく理解してないのに、さらに英語で話されていますので、頭の中はすでに飽和状態でしたから。

会場の看板です
会場の看板です
会場の東京ビッグサイト
会場の東京ビッグサイト

2006年7月27日(木) 緊張の説明

 午前中はこのイベント会場にはどんな会社が入っていて、どんなことをしているのかを探検しながら、時折ブースに戻り我が内田洋行はどんな案配か、など不謹慎なことを考えながら、ぼくのイチオシの「e-黒板」の前に立っていましたら、お客様がこのシステムをジーッと見ているのですね。この目線、この態度、持ち物……などなど、全体からある種の雰囲気が醸し出されています。多分、同じ世界に住んでいる人だと思いますよ。

 担当者は他の方との接客中でしたので、意を決してお声がけをしてみました。これはこうで、あれはああで、と、実に頼りない説明でしたが、真剣に聞いてくれてたことに感謝です。というわけで、ぼくの"イチオシ"を説明しました。

「これは今は、ディスプレーに表示がしてありますが、これとこれを普通に黒板に貼ってプロジェクタから投影することによって、同じことができます」

と、ここまで説明して、見習いから正式担当者に引き継ぎました。
 やっぱり同じ世界の人だったと思いますよ。どんな説明でも下手だとか、わからないから変われ、とか言いませんでしたから。我々の業界の人達って外ではあまり怒らないのですよ、なぜか。


2006年7月28日(金) カタログ渡す「内田洋行です、どうぞ」

 今日は「e-Learning WORLD 2006 」3日目、ということは最終日です。

 9時30分までに行けばいいのですが、そこはそれ、見習いの見習い。玄関を掃き掃除でもしてればいいくらいの役にしか立ちませんので、9時少し前には会場の西4のシャッターの前にいました 9時頃にシャッターがあがりましたので中に入り(本当は、9時前でも横から入れる)ブースへ。さて、何をすればいいのか、皆目わかりません。あっ! 一つ見つけました。展示のパソコンその他に布がかぶせてありますので、それをとってたたむくらいならできますから~。

 さて、10時に開場しました、お客様が入ってきましたが、説明できない研修生はただ、手持ちぶさたにあっちうろうろ、こっちうろうろとしていました。しかし、「えい!」と気合いを入れ、カタログ配りをやってみよう、と、カタログの入った封筒を持ち、通り過ぎる人に、小さな声で(聞こえるわけないだろ!)「内田洋行です、どうぞ」って言いながら渡そうとしました。が、最初は断られ、次の人には貰ってもらえました。やれやれ、うれしかったですね。

-- 人の流れ --
 この「e-Learning World 2006 」が企業主体であることからやむを得ないことではあるかなと思いますが、「e-School 」のブースはどこもおとなしめでした。諸事情があるかとは思いますが、イベントを打つ以上人の足を止めなくてはいけません。

 私が単純に思ったのは、あのe-黒板を"本物の黒板"を用意して、一緒に通路側に配置すれば絶対に面白い、と思いましたね。学校の教職員を相手にするのならば"黒板"というアイテムは「おやっ?」と思わせ、そこで足が止まること間違いなし! だと思います。

2006年7月29日(土) 最初のオフです

 もう一週間たったのか、それともやっと一週間たったのか、そのどちらもあてはまるような気がしますが、さて、今日は何をして過ごしましょうか。

 せっかく東京にいるので、ここは、やっぱり"東村山市"は外せないでしょう。実は私は東村山市にある、当時ほぼ全員が寮生活をしていた高校を卒業したのです。何年か前にも訪れたことがありましたが、最近、校舎を建て替えたようだと聞き、行ってきました。

 なるほど、全然かつての面影はありませんでした。OBとしては少し寂しいですが、これも時代の流れと老朽化が大きな問題だと思います。事務室にお断りして中に入らせてもらいました。さすがにきれいでしたし、空調も全部屋入っていて快適そうでしたね。

 午後は、東村山から新宿に行きまして、都庁の展望台に行ってきました。天気がよければもっときれいに見えるのでしょうね。

西部新宿線久米川駅
西武新宿線久米川駅:高校の時の最寄り駅です

2006年7月30日(日) よく歩きました

 さて、日曜日となりました。今日はどうやって過ごしましょうか。

 やっぱり、外せないもう一つのところに行くことにしましょう。それは、浅草の天獄院というお寺です。ここは細井平洲先生の墓所があるお寺だそうです。いま私が参加しているこの研修があるのも、実はこの細井平洲先生のおかげであると勝手に考えていますので、お墓参りでもしましょうと殊勝な心がけで出かけたのです。

 地下鉄に乗って浅草まで出まして、さて、どこにあるのでしょうか、一体誰に聞けばわかるのでしょうか? 道に迷った時の鉄則は「お巡りさんに聞け」で、目の前の交番に行って「天獄院ってご存じありませんか」。3人のお巡りさんがいたのですが、知ってる人はいません。地図やらいろいろ書いてある虎の巻やら取り出してきてくれまして調べてくれたのです。が、わかりません。「向こうに観光センターがありますのでそちらに聞いてくれませんか」で、そこで調べてもらいわかりました、15分ほど歩けば行けるようなので歩いて行ってきました。

 そのあとは、仲見世をみながらうろうろと歩き、ふと、水上バスの看板が目に入り、隅田川を気持ちよく日の出桟橋まで乗船していきました。

 次に、向かったのがあの"六本木ヒルズ"。さて、どうするといけるのかな? 前もって買っておいたガイドブックを開いて、そうか山手線に乗って恵比寿で降りて、あとは歩くか。

 電車が動き出し、しばらくすると次の駅で「目黒駅付近で人身事故のため、山手線外回りは運転を見合わせております」の車内アナウンス。えっ、要するにこの電車はここで運転休止? では、私はどうすればいいの? しばらく考えていましたが、まぁ、いいか、急ぐ旅でもないから戻るか。で、逆回りの山手線で向かうことにしましたが、途中に秋葉原の駅があるのです。懐かしの秋葉原であり、デジカメの電池が早くなくなるようになってきたので、どこかに安い電池はないか探そう、ということで、所期の目的はいざしらず、見事にそこで沈没。

 電池も手に入り、もう1回チャレンジということで、今度は地下鉄で行くことにしました。はい、無事に到着しました。あの展望台から見ると東京って高いビルが一杯ありますよ(記事トップの写真)。

 クルマがありませんので、移動は地下鉄・JR、そして歩きです。今日はたまたま水上バスに乗りましたけれど、なにか一日中歩いているような気がしてました。(次号へつづく)

細井平洲先生の墓碑
細井平洲先生の墓碑

浜松町の防潮堤です
浜松町の防潮堤です


坂見省二 プロフィール

 昭和44年度学校事務職員として採用される
 昭和44年度~平成3年度 愛知県大府市と東海市の学校で勤務
 平成4年度 主査となる
 平成4年度~平成14年度 愛知県東海市の学校で勤務
 平成15年度 事務長となる
 平成15年度~愛知県知多市と東海市の学校で勤務

 モットー:仕事は楽しく、そして学校事務は「学びを支援する」
 趣  味:いろいろな道具をみること
 座右の銘:今日できることは今日やれ

ご意見・ご要望、お待ちしています!

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