2015.05.26
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自ら課題を見つけ、解決していく体育(vol.2) 児童が走る心地よさ・楽しさを味わえる教材を開発 ―東京都教育委員会研究開発委員会― 後編

前編では、東京都教育委員会研究開発委員会(小学校体育)が開発した教材「ハードルリレー」による授業の様子をお伝えした。同委員会では、「自ら課題を解決していく陸上運動系の学習」を研究主題に設定し、ハードルリレー以外にも様々な教材とその指導法を開発している。東京都教育庁 指導部 企画推進担当課長 冠木健氏と、同庁同部 指導企画課 統括指導主事(体育健康教育担当)佐藤洋士氏に、同委員会の意図や、今回の研究開発の成果等について伺った。

実践者に聞く

12の体育教材の狙い、研究開発委員会の取り組みとは

課題解決的な学習を研究主題にした理由とは?

東京都教育庁 指導部 指導企画課 統括指導主事
佐藤洋士 氏

東京都教育委員会研究開発委員会(小学校体育)では、なぜ「自ら課題を解決していく陸上運動系の学習」を研究主題に選んだのだろうか。
「東京都の教育ビジョンでは、これからの社会を生きていく子どもには、身につけた知識等を活用し、自ら課題を見つけ解決する力が必要だと示されています。このため、小学校体育科においても、児童の思考力・判断力を高め、自ら課題を見つけ解決していく力を身につける学習が不可欠となります。これを陸上運動系の走運動の学習で実現しようと考えたのです」
と、佐藤統括指導主事。ハードルリレーの授業も、まさにこの「自ら課題を見つけ、解決する」授業の流れになっていた。児童は1走目の記録を計測し、自分の現時点での課題を把握した上で、課題克服につながる練習メニューを自ら選んで練習に取り組み、その成果を2走目で発揮する。

筆者も様々な教科で課題解決的な学習の事例を目にしてきたが、まさか体育で、これほど見事な展開を目の当たりにするとは予期していなかった。それほど児童は、自分なりの課題をしっかりとらえた上で、自ら課題克服に挑み、仲間と教え合いながら解決に向かって力強く突き進んでいたのだ。

走る心地よさを味わわせることが課題解決への意欲を生む

ではなぜ、これほど見事に、児童は自ら課題解決に向かって取り組むことができたのだろうか。
「児童が自発的に課題をとらえ、解決に取り組めるようになるには、何よりもまず、走る心地よさを味わい、運動を心から楽しめることが必要不可欠だと考えました」
と、佐藤統括指導主事。走運動そのものの本質的な魅力を体感できれば、児童はその心地よさをもっと味わおうと自ら工夫し、主体的に練習し、課題解決に取り組むはずだと考えたのだ。そこで同委員会では、教材開発を始める前に、何十回も走運動の本質的な魅力とは何かについて議論を重ねた。その結果、
「『走る心地よさ』を最も重視することにしました。小学校学習指導要領解説体育編にも、走・跳の運動(遊び)や陸上運動について、『走ったり跳んだりする心地よさを味わうこと』『走る、跳ぶなどの運動で、体を巧みに操作しながら、合理的で心地よい動きを身につける』などと書かれています。そもそも走る・跳ぶは、人間にとって心地よい動作です。例えば、幼児は意味もなく走りますよね。おもちゃを取りにいくのにダッシュするし、ほんのわずかな距離でも駆け足で移動する。『走るのって楽しい!』という本能的な欲求が、体を突き動かすのでしょう。しかし、発達段階と共に、走りたい欲求は様々に変容し多くなり、あるいは『子どもっぽいから恥ずかしい』と逆に隠してしまうこともあります。そんな小学生達に、走る動き自体から生まれる心地よさを、もう一度体感させてあげたいと考えました」。

走る心地よさには「技能が身につく楽しさ」もある。ただ走るだけで満足していた幼い頃と違い、成長するに連れて「上手に走りたい」「誰よりも速く走りたい」という欲求が生まれてくる。学校でも、学年に応じた技能を習得することが求められるようになってくる。
「そこで、技能が身につき、上手になっていくことを実感し、上達する楽しさや喜びを児童に味わわせたいと考えました。これらの心地よさを味わわせることが、児童の思考を働かせ、課題を解決していこうとする学習意欲にもつながると考えました」。

走る心地よさを味わえる12の教材を開発

そして、同委員会では、この考えを基に合計12もの教材を開発した。どんな教材を開発したのか、佐藤統括指導主事にいくつか紹介していただいた。

  • パシュート型リレー(高学年)
    一つのトラック上で、2チームがリレー競走を行う。ただし、同じ地点からスタートするのではなく、Aチームはホームストレートから、Bチームはバックストレートからスタートするのがミソだ。
    「通常のリレーだと、相手と接触したり進路を塞がれたりして、記録が落ちてしまうことがあります。パシュート型なら、純粋に練習の成果を記録として計測できますし、且つ、相手チームと競う楽しさもあります」(佐藤統括指導主事)。
    ちなみにパシュート型リレーは、自転車競技やスピードスケート競技ではメジャーな種目であり、五輪にも採用されている。
パシュート型リレー
  • サークルリレー(中学年)
    半径8m程度の円形のコースを二つ並べて設置。Aチームは右の円を、Bチームは左の円を、図のようにそれぞれリレーで走る。相手チームと競う楽しさと、記録を目指して走る楽しさを同時に味わえる。
サークルリレー
  • スティックダッシュ(高学年)
    トレーニングメニュー。スティック(体操棒など)を両手で持ち、頭の上に掲げた状態でダッシュしたり、ジャンプしたりする。体の軸を真っ直ぐに保ちながら、上体をリラックスさせて全力で走れるようにする練習だ。
    「この練習をすると、目に見えてよい姿勢で走れるようになります」(佐藤統括指導主事)。
  • チェンジダッシュ(高学年)
    全体で30m程の直線コースを、最初の10mは「腕を組む」「膝を伸ばす」「背中を曲げる」などの制限された状態で走り、その後制限を解除し、残りのコースをダッシュする。
    「制限された走りの窮屈さを味わった後、合理的な走りにチェンジすることで、合理的な走りのよさを実感すると共に、開放感や爽快感を得られます」(佐藤統括指導主事)。

これら教材は、どれもとてもシンプルなのが特徴だ。
「それもねらいです」
と、佐藤統括指導主事は言う。
「教材を開発するにあたり、誰でも簡単にできる教材開発を心がけました。体育が苦手な先生方の授業力を底上げするのがねらいです。また、体育が得意な先生方にも新たな授業案、新たな視点を提案し、授業力のさらなる向上に活かしてもらいたいとも考えました」。
今回の公開授業には、熱心にメモを取る若手教員や女性教員の姿も多く見られた。きっと、12の教材は多くの現場で活用されることだろう。

研究開発委員会は教員の授業力・指導力向上の最終仕上げ

東京都教育庁 指導部 企画推進担当課長
冠木健 氏

同委員会が取り組んでいるのは体育の教材開発だけではない。小学校から高校まで、国語、算数(数学)、理科、社会、英語など、ありとあらゆる教科で、部会ごとに教材や授業の開発に取り組んでいる。都としてのねらいを、東京都教育庁 指導部の冠木健企画推進担当課長にお聞きした。

「平成26年度の研究開発委員会の共通テーマは、『個々の能力を最大限に伸ばすための指導方法と教材開発』です。子どもの習熟度には個人差があり、従来の指導だけでは教育効果が上がらない子どももいます。一人ひとりに合った教材や指導を行い、皆の習熟度を高めたい。そのために、様々な教材や指導方法を開発しているのです」
さらに同委員会には、「教員のキャリアアップ」という側面もある。平成26年度の研究開発委員数は、143名。皆、40歳前後のベテラン教員ばかりだ。
「研究開発委員会は、管理職や各区・市のリーダーを育成する役割も担っています。いわば、教員育成における『総仕上げ』の段階に当たります」
と冠木企画推進担当課長。

熱心にメモを取る見学者の先生方

ここで東京都の教員育成の主な流れをなぞっておこう。まず、必修研修として、3年間の採用後の「若手教員育成研修」があり、4年目以降の教員を対象とした「東京教師道場」で授業力の向上を図り、「教育研究員」でさらに教科の専門性を高める。これらの研修を経た教員が、授業力・指導力向上の最終仕上げ段階として挑むのが、「研究開発委員会」なのだ。

「研究開発委員会を巣立った先生方は、ある人は管理職を目指し、ある人は教科のエキスパートを目指していきます」
さらに東京都としては、都全体の授業力を底上げするねらいも持っている。
「団塊世代の定年退職によって、東京都でも若手教員の比重が急速に高まっています。ここで開発した教材や授業案を、経験がまだ浅い先生方に使ってもらい、授業力を高めてほしいと考えています」。

最後に、今後の展望を冠木企画推進担当課長に伺った。
「今後は、ICTを活用した教材や授業開発が増々重要になってくるでしょう。平成26年度は、タブレット端末を使った理科の授業を開発した所、予想以上に良い成果が上がりました。

例えば、タブレット端末を使って植物や昆虫などを写真撮影して観察すると、光学顕微鏡にはないメリットがあるのです。撮った画像は、皆でタブレット端末の大きな画面によって見ることができますので、交代で顕微鏡を使うよりも、一人ひとりの観察時間が増えます。また、画像をズームすることで細部まで観察できました。画像を見ながらスケッチもできるので、たくさんの気づきも生まれました。さらに、自分の考えをタブレット端末上でまとめて、お互いに発表し、意見交換する姿も見られました。ICTを使って、主体的で協働的な学びが実現されています。来年度はどんな授業が開発されるのか、楽しみですね」。

記者の目

「走運動の本質的な魅力とは何かと、何十回も議論した」という佐藤統括指導主事の言葉が胸を打った。研究開発委員の皆さんの体育にかける思い、体育の素晴らしさを児童に体感させたいという熱意に、感動したのだ。その思いが凝縮された様々な教材は、どれもシンプルでありながら、絶妙な工夫が凝らされ、確実に成果を上げていた。「体育で課題解決的な学習」という発想にも感心した。よくよく考えてみれば、練習→実践(実戦)→練習を繰り返す体育は、課題解決的な学習に向いている。チーム内で鍛え合い、チーム間で競い合うという体育ならではの特性は、今の教育トレンドである「協働学習」にも適している。今後は体育から目が離せないと、認識させられた取材だった。

取材・文:長井 寛/写真:言美 歩

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