教育書から学ぼう ~自由進度学習で子どもが大事にされるために~
『よい教育研究とはなにか』(ガート・ビースタ著,亘理陽一他訳)の読書会で学んだことを元に,学び手を大事にするとはどういうことかを考えたい。
静岡大学大学院教育学研究科特任教授 大村 高弘
患者や子どもが主体者になる
けがをしたり病気になったりしたとき,
「お医者さんが一番よく知っているんだから」
と,昔は任せきることが多かった。医師には権威があり,また強い権力も持っていたからだ。
でも時代は変わり,手術の前など丁寧な説明がなされ対話の時間も用意されるようになった。
「セカンドオピニオンを受けたいです」と依頼すれば、紹介状も書いてもらえる。患者を主体者として医師が受け止めてくれる。
民主的な方向へ向かって患者の解放が進んだ例として,ビースタは医療の場面を挙げている。
では教育の世界ではどうだろう。
33年前に生活科が生まれ「授業を変革する起爆剤だ」と言われた。8年後に総合的な学習の時間が始まる。
「“指導”から“支援”へ」
「子どもの主体性こそ重要」
と盛んに言われ、教科の学習指導にも変革が求められた。
学校の研修担当だった自分は指導案の形式をリニューアルして提案した。
「“指導上の留意点”の欄はやめませんか。ここに“意欲化のための支援”を書きましょう」
どの学校にも変革の波が押し寄せた。
ー 「あの授業って“教師主導”だね」なんて言われたくないなぁ ー
そんなムードが教育界に漂っていた。
たとえば運動会の総練習であっても,大きな声で体育主任が指示すると、後から「見守る方がいいのでは……」とやんわり先輩にいさめられた。
ー えっ,体育行事の指導でもこうなの? ー
子どもの思いを尊重するのは正しい。
でも「何かが違っていない?」と,もどかしさを感じる日々だった。
今,「個別最適な学び」の推進が求められ「自由進度学習」も注目されている。
その先進校の授業を過日参観した。困っている子どもにかかわる先生の姿を見たとき,当時と同じように「何かが違っていない?」と思えた。
「民主的専門家」として
『よい教育研究とはなにか』の医療場面にもどり,ビースタの主張から考える。
患者が「対話の主体として扱われる」ことは民主的な関係が進むという点から望ましい。
でもまずいのは,患者を「消費者と呼ぶ傾向」や「顧客が望むものを提供しなければならないことを強調する傾向」だという。
これは「受け手の人々が完全にコントロールしている民主的状況」であるとのこと。なるほど,これでは単に両者の「関係を逆転させ」ただけだ。
医師(専門家)・クライアントの「両者はともに重要な役割を担っていて,それぞれのニーズが何であるかを対話的なプロセスの中で定義しなければならない」との主張がされる。
ビースタはその後、「民主的専門家」と「クライアント」の関係で重要な三つの概念を示している。これを援用し,教育の場で大切にすべきことを考えたい。
子どものニーズが何であるかを見定める
「子どもが欲しいというものを与えるだけで,子どもが欲しいといったものが本当によいものなのかを自問自答することもなく,また,子どもとの対話の中で問いかけることもなかったら……」と,ビースタは教育者の責任について問いかける。
上に述べた生活科・総合の導入時,子ども主体のスタイルをとりながら,わたしたちは子どものニーズを見定められていたのかと今思う。
子どもは目先のことに左右されるし,欲求のままに動くことは多い。
「見定める」とは,教師としての鑑識眼をもって確かな見取りをすること。子どもに向き合うことのない中で,その子のニーズを見定めることはできないだろう。
実践の「テロス」に向かう
「テロス」とは,アリストテレスが使った言葉で「意図や方向性をもった目的」のこと。
それは目標のように達成や到達点でなく「善き生を全うする道の模索」との意味だ。
上で述べた「何かが違っていないか?」と感じていた頃,資質・能力を育むという長期的な目的を自覚していれば,そこに向かって迷うことなく子どもへの指導・支援をしたことだろう。
また「善き生を全うする道の模索」の「模索」という言葉にも心惹かれる。より善い生き方を常に問い続け探究する姿勢をもつことで「民主的専門家」としての教師に至るのだろう。
学び手から「権威」を与えられる
「教師は自動的に学び手に対して権威をもっているのでなく」との言葉も心に残った。
「相互に関係性をつくっていく中で,学び手から権威を与えられる」とのこと。
子どもからの信頼を受けるためには,豊かな人間性や確かな見識が教師に求められるだろう。
これに関連するが,そもそも教師の「師」には「人の集まるところ」との意味があるそうだ。
「教師かどうかは子どもや学習者がその人のもとで学びたいと思えるかどうかによって決まる」(佐久間2024)とのこと。
おわりに
子どもたちは日常的なかかわりの中で,テロスに向かおうとする教師の姿勢,そして確かな見取りの力を感じ取り,教師への信頼を高め権威を与えるのだろう。
これら三つは自由進度学習を支える概念にならないだろうか。

大村 高弘(おおむら たかひろ)
静岡大学大学院教育学研究科特任教授
教員不足の問題がいろんな機会に取り上げられています。
でも教職は実に愉しくやり甲斐ある仕事ではないでしょうか。
その魅力を読者の皆さんといっしょに考えていきたいと思います。
ご意見・ご要望、お待ちしています!
この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)
この記事に関連するおススメ記事

「教育エッセイ」の最新記事
