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教育インタビュー

2019.10.09
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マセソン美季 パラリンピック選手は、発想の転換の天才!国際パラリンピック委員会公式認定教材『I'mPOSSIBLE(アイムポッシブル)』が教えてくれること。

『I'mPOSSIBLE(アイムポッシブル)』は、パラリンピックを通して共生社会を理解する、世界各国の子どもたちに向けてつくられた国際パラリンピック委員会公認教材。小学生版、中学生・高校生版の2種類があり、2017年度には全国の小学校 約23,000校へ、2018年度からは小、中、高、特別支援学校 約36,000校に無償で配布されています。教材開発の中心人物であるマセソン美季氏は、大学在学中に遭った交通事故により半身不随となりました。その後、98年の長野パラリンピック・アイススレッジスピードレース4種目に参加し、金メダル3つ、銀メダル1つを獲得したパラリンピアンです。彼女を始めとしたパラリンピック選手の思いを届ける教材『I'mPOSSIBLE』を通して、子どもたちに身につけてほしい力について伺いました。

不可能と思えたことも、少しの工夫で可能に。『I'mPOSSIBLE』の目的は、社会の意識を変えること。

学びの場.comパラリンピック委員会公認教材『I'mPOSSIBLE』の概要を教えてください。

マセソン美季この教材の名前は「不可能(Impossible)だと思えたことも、考え方を変えたり、少し工夫をしたりすればできるようになる(Possible)」というパラリンピック選手のメッセージからつけられました。授業では、パラリンピックの価値やパラリンピックスポーツの中に散りばめられた様々な工夫を通して、障害のある人に対する思い込みや先入観にとらわれない考え方を学びます。また、実際の生活の中にあるパラリンピックの価値を考えたり、身の回りの「できない」を「できる」に変えていく工夫について考えたりすることで、子どもたちの認識を変えていきます。

学びの場.com『I'mPOSSIBLE』がつくられた背景を教えていただけますか?

マセソン美季2012年のロンドンパラリンピック大会がきっかけです。初めてパラリンピックのチケットが完売した歴史的な大会でしたが、招致が決定した際に行った世論調査では、行きたいと答えた人は数パーセントしかいなかったと言われています。その状況を打開した足がかりとなったのが、ロンドン大会組織委員会がイギリス国内で実施した『Get Set(ゲットセット)』というオリンピックとパラリンピックの価値をベースにした教育プログラムです。

学びの場.com『I'mPOSSIBLE』の元となる教育プログラムがあったのですね。

マセソン美季そうです。『Get Set』を通して学校で子どもたちがパラリンピックの魅力や面白さに触れて、興味・関心を持ち、子どもたちは保護者や周りの大人たちに伝えていくんですね。すると、1人の子どもが友達や大人たちを巻き込んで、みんなで会場に応援に行くというムーブメントが起きました。これをきっかけに、開催国だけでパラリンピックの教育を行うのはもったいない、非開催国でも多くの方に利用してもらえる教材を作れないか、という話が持ち上がりました。

学びの場.com子どもたちがきっかけだったとは驚きですね。

マセソン美季多くの場合、年長者が年少者に教育を行いますが、パラリンピック教育の強みはその逆で、子どもから大人へ広まる“リバースエデュケーション”にあります。子どもたちは障がいのある人に対して柔軟な考えを持つことができ、私たちの思いや考えを素直に受け止めてくれます。

学びの場.comマセソンさんをはじめ、障がいのある方やパラリンピック選手の考えとは、どういったものでしょうか?

マセソン美季一般的にパラリンピックといえば、障がいのある人が参加する大会で、どうしても“障がい”にフォーカスが当たってしまいます。ですが、選手たちは障害云々ではなく「自分たちができることを最大限に活かすためにはどうしたらいいのだろう」「どんな工夫をすればいいのだろう」と考えて競技に取り組んでいます。パラリンピックに出場する選手は、課題解決能力に優れていますし、アイデアも豊富。そして用具やルールは、彼らが活躍できるように改良が重ねられているのです。

学びの場.com課題解決能力の育成は、今の教育現場やこれからの社会でますます求められていきますね。

マセソン美季パラリンピックに出場する選手や関係者にとって、発想を転換したり、多様な知恵を取り入れどう活かすのか考え抜くことは、ごく当たり前のことです。『I'mPOSSIBLE』の授業を行うときにも、そういったパラリンピックに秘められている課題解決の発想を社会に当てはめて考えることをしています。パラリンピックで金メダルをとった選手でも、その人が生きる社会に理解や受け皿がなければ100%の力を出し切ることはできませんからね。

学びの場.comなるほど。いくら本人が努力しても、周囲の理解や環境が整っていないと、生きづらい社会であると。例えばどんな場面で、そのように感じられますか?

マセソン美季例えば、車椅子の人が食事に行こうと思うと、“食べたいものがあるお店を選ぶ”よりも“車椅子でも行けるお店を選ぶ”ことが優先され、消去法でお店を選びがちです。店内がバリアフリーでないからと、お店側から断られることもあります。断る前に、何か解決策がないか一緒に考えさせてもらえるプロセスがあると良いのにと思う時があります。

学びの場.com確かに、今の日本では“行ける”お店を選ばざるを得ないですね。まだまだ人々の意識も社会の環境も追いついていないのですね。

マセソン美季考えるのを放棄するのはとても簡単なことです。でもそれでは現状はいつまでたっても変わりません。障がいのある人が来たら断る。というやり方では、永遠に障がいのある人たちはが何かにチャレンジする機会すら与えてもらえないことになります。 『I’mPOSSIBBLE』では、身の回りの「できない」を「できる」に変えていく工夫について考えることで、子どもたちの認識を変えていきます。そして、様々な人々がともに活き活きと暮らす社会を作るためにどのようなことができるのかを模索する力を養い、子どもたちが行動を起こすことを目指しています。

障がい者と一緒に生活するのは“当たり前”。その意識が元気な社会を作るきっかけに。

学びの場.comマセソンさんは長野パラリンピック出場の際に出会ったカナダ人選手とご結婚されて、現在カナダに住んでいらっしゃいますが、障がい者に対する日本との意識の差を感じられますか?

マセソン美季私は体育教員を目指している大学生のときに、怪我で半身不随となりました。それでも体育の教員免許は周りの方や実習先の子どもたちが協力してくれて無事取得できたのですが、実際に先生になることについては諦めていたのです。ですが、結婚してカナダに行き、周りの人に「美季は何がやりたいの?」と聞かれたとき、「以前は、体育の先生になりたかった」と話をしたら、「え、なんでやらないの?」と全く理解されなくて。車椅子でも先生になれることが向こうでは“当たり前”だったんです。それから日本の免許を書き換えて申請し、カナダでも教員免許を取得。実際に面接のときにも障がいのことには触れられず、教員になることができました。

学びの場.com日本の障がいに対する意識や環境とは、ずいぶん異なりますね。

マセソン美季カナダにいると障がいを全く意識することなく生活ができますが、日本に帰ってくると特異な視線や態度を感じます。車椅子に乗っているとぎこちない対応をされ、腫れ物に触るように扱われて、居心地の悪い思いをしたことも度々。カナダでは障がいを持った人が身近で、いたるところに出歩いていますし、障がいのあるなしにかかわらず一緒に生活をしています。
以前、カナダに日本の方々が取材にいらしたとき、ダウンタウンでお茶を飲んでいると車椅子の人がたくさん通るので、「ここは病院が近くにあるんですか?」って。「いやいや、これが普通ですよ」ってお伝えしましたけど、それくらい日本では障がいのある人が出歩いていないですよね。

学びの場.com障がいのある方と出会う機会がなければ、理解も進まず、どう接していいかもわからないままですね。

マセソン美季日本では障がい者は守ってあげる対象として扱われることが多いと思います。もちろん守ってほしい人もいるでしょう。でも、外出先で過剰な対応をされると気が引けてしまって「他人に迷惑をかけるなら、あまりでかけたくない」と引きこもってしまう方もいて、悪循環が生まれることもあります。
これはインフラの整備の問題ではなく、もはや心の問題なのです。出掛けやすい雰囲気や、出掛けたくなる街がなかったら、誰も外に行きたくないと思います。カナダはインフラ以上に、人の気持ちや対応力が備わっているので障がいのある人でも住みやすいです。

学びの場.comインフラより人の心、意識の問題なのですね。

マセソン美季意識が変われば、建物のつくりやインフラは変わるでしょう。障がいのある人に限らず、外国人やお年寄り、妊婦さん、子どもなど様々な人が共存できる社会をつくろうとするはずです。バリアフリーは既存の施設を改修しようとするとお金がかかりますが、実は初めから計画して組み込めば大変なことではありません。最初から「様々な人が生活しやすい社会をつくる」、その発想を持った子どもたちを育てたいと思っているんです。
すぐには物質的に解決できないことでも、できる限り知恵を働かせ、相手の立場に立つ姿勢が身についていれば、誰しもが心から豊かな生活を送ることができるのだと思います。

「I'mPOSSIBLE」を合言葉に。

学びの場.comこれまでの『I'mPOSSIBLE』を活用した授業で、子どもたちの意識の変化を感じられた場面はありますか?

マセソン美季授業で体験するスポーツの一つに、ゴールボールという視覚障がいのあるかたのために考案された競技があります。3対3の対戦型で、選手はアイシェードで目隠しをして、鈴の入った特殊なボール(授業ではボールにビニール袋で覆うことで代用)で相手のゴールを狙うという競技です。子どもたちが体験をしてみると、普段はボールがほしいときには「こっち」と言えば済みますが、目が見えないとそうはいきません。そこで、次はどうしたらいいのか解決策を探します。ゴールラインは紐で凹凸をつくるとか、手を叩いて貰えば仲間の位置が確認できるねとか。端的に伝えるにはどうしたら良いか、という思考が働くようになっていきます。人は視覚からの情報が大部分を占めていますから、それが遮られた状態で共同作業をすることで、色々考えられるようになるんですね。

学びの場.com「相手を思って行動する」ことは人として基本的な姿勢ですが、実際教えるのは難しいことですよね。ですが、『I'mPOSSIBLE』の授業では、大人が何も言わなくても、心から実感できる気がします。実際に先生からはどのような感想が返ってきましたか?

マセソン美季先生方からは「子ども同士のコミュニケーションが柔らかくなった」という感想をいただくことがありました。今まで何気なく使っていた言葉を見直すきっかけとなっているのでしょうね。 “自分が”言いたいことを発するのではなく、“相手に”届くように、「この言葉で相手に伝わるのかな?」って。私や周りの大人は授業中「こうしなさい」ということはありませんが、子どもたちが主体的にコミュニケーションを模索することで、自然と相手を思う態度が身につくのだと思います。

『I'mPOSSIBLE』教材セット

画像提供:日本財団パラリンピックサポートセンター

学びの場.comとても嬉しい成果ですね。教材づくりも工夫されたと伺いましたが、どんな工夫をされたのでしょうか?

マセソン美季小学校なら45分、中学・高校であれば50分の授業時間を想定して、授業計画を作っています。『I'mPOSSIBLE』の教材セットの中には、指導の方法やどんな声を掛けたらよいのかなどの展開例も掲載してあるので、ぜひ参考にしてください。すべて取り入れることは難しくても、実際に朝のホームルームの時間にクイズを出しているという活用事例もあります。教員研修の機会も設けており、今までに8,000人の教員の方に参加していただきました。あらゆる方たちの声を反映させ、先生方に活用いただける教材づくりを心がけています。

学びの場.comぜひたくさんの学校で『I'mPOSSIBLE』を使った授業が行われてほしいですね。最後に先生方にメッセージをお願いします。

マセソン美季先生方のご協力なしには、『I'mPOSSIBLE』は広がっていきません。パラリンピックのメッセージが込められた『I'mPOSSIBLE』を合言葉に、障がいに対する考え方はもちろん、今まで諦めていたことから一歩先へ進める、どうしたらいいのか考える態度を身につけてほしいです。その先には、子どもたちのワクワクとした生きる力と、元気な社会が広がっています。子どもたちと接する時間が長い先生方のご協力に期待を寄せています。
2020年のパラリンピックは来年ですが、誰もが暮らしやすい社会づくりや、子どもたち一人ひとりの人生はこの先ずっと続いていきます。「できない」を「できる」にする力を、子どもたちと一緒に養っていきましょう。

I'mPOSSIBLEアワードに応募して、東京2020パラリンピック競技大会閉会式に!

マセソン美季2019年10月1日〜2020年1月31日まで、アトギス財団(国際パラリンピック委員会の開発を担う団体)では『I'mPOSSIBLEアワード』の参加校を募集しています。教材を活用し、学びを実践した学校として表彰された2校は、2020年9月6日(日)の東京2020パラリンピック競技大会閉会式に招待されますので、多くの学校にご応募いただきたいです。

記者の目

快活な口調とおおらかな人柄で、周りの人を明るくするマセソン美季さん。生きる力がみなぎっていて、インタビューをしているだけでパワーをいただくことができた。そして彼女のように相手を思いやり、何事にも前向きに、困難に立ち向かう力をこれからの未来を担う子どもたちに期待している。この記事を通して初めて『I'mPOSSIBLE』を知ったという方は、ぜひ学校に届けられたこの教材を開封することから始めてみてはいかがだろうか。

マセソン美季(ませそん みき)

東京出身。大学1年生の時に交通事故で脊髄を損傷し車いす生活となる。1998年長野冬季パラリンピック、アイススレッジスピードレースの金メダリスト。大学卒業後は、多くのパラリンピアンを輩出してきたイリノイ州立大学へ留学。現在は、国際パラリンピック委員会(IPC)及び国際オリンピック委員会(IOC)の教育委員会メンバーを務めながら、日本財団パラリンピックサポートセンターのプロジェクトマネージャーとして勤務。パラリンピック教育を通じてインクルーシブな社会をつくるため、教材作成、普及啓発活動に取り組む。カナダ在住。2児の母。

構成・文・写真:学びの場.com編集部
画像提供:日本財団パラリンピックサポートセンター

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