2017.01.25
  • twitter
  • facebook
  • google+
  • はてなブックマーク
  • 印刷

知識構成型ジグソー法を用いた協調学習授業(vol.1) ~主体的・対話的な活動を通して深まる読解 ―埼玉県「未来を拓く『学び』プロジェクト」― 前編

知識構成型ジグソー法を用いた協調学習授業(vol.1)

全国の学校現場では今、アクティブ・ラーニング旋風が巻き起こっている。その渦からは「アクティブ・ラーニングをしなくては! でも何をどうすればいいかわからない......」との悩みや悲鳴も聞こえてくる。そんな中、埼玉県では、県教育委員会の主導の下、児童生徒の主体的な学びを促す「協調学習」の研究と実践に取り組んでいる。そして、その協調学習を実現する手法として「知識構成型ジグソー法」を採用、県内100以上の高校で実践している。それはどのような学びなのだろうか? まずは埼玉県立浦和第一女子高等学校での公開授業をリポートする。

知識構成型ジグソー法を用いた協調学習授業~主体的・対話的な活動を通して深まる読解 ―埼玉県「未来を拓く『学び』プロジェクト」― 前編

授業を拝見!

知識構成型ジグソー法で生徒たちは「主体的・対話的で、深い学び」を行った

学年・教科高校1年 国語総合
単元『城の崎にて』(全3時間中第2、3時間目)
ねらい文章に描かれた人物、情景、心情などを表現に即して読み味わう。
指導者板谷大介 教諭
使用教材・教具国語教科書、知識構成型ジグソー法に基づき自作したワークシート、国語便覧

埼玉県立浦和第一女子高等学校 国語科担任  板谷大介 教諭

埼玉県立浦和第一女子高等学校 国語科担任 板谷大介 教諭

埼玉県教育委員会では、2010年度から東京大学の大学発教育支援コンソーシアム推進機構(CoREF)と連携して、「協調学習」を引き起こす授業づくりの研究と実践を進めている。協調学習とは、アクティブ・ラーニング型授業の一つで、一人ひとりの理解の仕方を尊重し、違いを生かし合って、自分なりの理解を深める学習法。この協調学習を引き起こしていく手法が、「知識構成型ジグソー法注1 」だという。

まずは、知識構成型ジグソー法による高校1年・国語の授業「城の崎にて」をリポートしよう。授業者は、埼玉県立浦和第一女子高等学校の板谷大介教諭 。県教委から「協調学習マイスター」に任命され、他の教員を指導する立場にある方だ。

一体、知識構成型ジグソー法とはどんな授業方法なのか。今までの国語の授業とどう違うのか。別掲した『城の崎にて』のあらすじを見た上で、授業リポートを読んでいただきたい。

【城の崎にて・あらすじ】

電車に跳ねられるも九死に一生を得た作者は、怪我の養生のために城崎温泉を訪れる。そこで作者は、様々な生き物の生死を目撃し、心揺り動かされる。

一匹の蜂が群れからはぐれひっそりと死んでいるのを見ては、寂しさを感じつつも、その静けさに親しみを覚える。[場面A]

しかし首に魚串が刺さった鼠が、人々から石を投げられながらも必死に逃げようともがく有様を見て、死の前にある動騒が恐ろしくなる。[場面B]

そしてある日、小川の石の上で休んでいたイモリを見つけた作者は、驚かしてやろうと小石を投げるが、その石が偶然当たってイモリは死ぬ。自分は偶然助かったが、イモリは偶然死んでしまったと、作者はたたずむ。[場面C]

(1)課題の提示 (2)エキスパート活動 

対話的な学びを進めていく

(1)課題の提示
まず授業の冒頭、板谷教諭は生徒たちに次のような本日の課題を提示した。
「『城の崎にて』を読み、そこに何が描かれているか、まとめなさい。また、それに対して考えたことを、その根拠とともに記しなさい」
「この段階では、『様々な死が描かれているな』程度の、漠然とした感想しか出てきませんが、それでいいのです。授業の前と後で、自分の感想や意見がどれほど変化するかを、定点観測するための仕掛けです」(板谷教諭)。

一つのテーマについて徹底的に議論するエキスパート活動

一つのテーマについて徹底的に議論するエキスパート活動

(2)エキスパート活動
次に、「(2)エキスパート活動」を行う。生徒たちを3グループに分け、それぞれに異なる学習テーマや考察の視点などを与えて議論させる。知識構成型ジグソー法ならではの特徴的な活動だ。

この日の授業では、生徒たちを『城の崎にて』の三つの場面A・B・C(あらすじ参照)について学習する3グループに分けた。さらに、そのグループ内で3名ずつの小グループに分かれ「この場面から作者はどのようなことを描き出そうとしたか」について、議論した。

「死んだ蜂の様子をとても細かく描いているよね。作者が蜂の死の静けさに共感している証拠だと思う」(場面Aのグループ)
「生きようともがく鼠の姿を見て、自分も死の間際にこうなるかもと恐れ、目を背けたくなっている」(場面Bのグループ)
「偶然死んだイモリと、偶然生きた自分を比べ、生と死の境目はそれほど明確ではないと言っている」(場面Cのグループ)

どのグループの生徒たちも、各場面のポイントに注目して、正確に読み解けていることに感心した。

(3)ジグソー活動 

主体的な学び合いが、化学反応を起こす

新たなグループを作るため席を移動

新たなグループを作るため席を移動

(3)ジグソー活動
先の「(2)エキスパート活動」で異なる学習をしたメンバーが一人ずついる新しいグループに組み換え、エキスパート活動でわかったことや自分の考えを説明し合い、理解を深め合う。これも「知識構成型ジグソー法」ならではの活動だ。

この授業では、場面A・B・Cのエキスパート活動をした生徒が各一人ずつ参加し、新たなグループを作り、議論した。

どのように議論するのか注視していると、まずは場面Aを担当した生徒から順番に、エキスパート活動でわかったことを説明し始めた。
「場面Aグループで話し合ったのは、死の静けさや寂しさに、作者は親しみを感じているということ。死んだ蜂に自分を重ね、生と死は表裏一体だと感じています」
「場面Bでは、生きようともがく鼠を見て、死の前の動騒は恐ろしいと言いつつも、最後には『どっちでもいい』と述べている。これはどういう意味なのかグループでも議論になったけれど、一種の悟りとか諦めの境地なのかなという結論になりました」
「場面Cでは、イモリに石を投げて殺しておきながら、イモリの死を『偶然だった』と書いているのが議論の的になりました。自分がイモリを殺したことを認めたくなかったから、わざと『偶然だった』と書いたのではないかと、私たちは考えました」

同級生の発表を聞きながら、「なるほど!」「すごいね」とうなずき、感心する生徒たち。正確に読み解けていて、説明もうまい。その様子を、板谷教諭は机間巡視しながら、穏やかな表情で黙って見守っていた。

場面A・B・C担当者が一通り説明を終えると、生徒たちは共通の課題について議論し始めた。板谷教諭が与えた全員の共通課題は、「場面A・B・Cの共通点と相違点を踏まえ、自分たちが考えたことを話し合いなさい」だった。

「まず共通点から考えていこうか。生と死は隣り合わせで、偶然の積み重ね。これは全ての場面に共通する考え方だよね」
「人間も動物も、生きたいとあがくのは同じ。だけど人間は少し違っていて、生きたいと思っていても、死に惹かれてしまう時があると、人間と動物を区別しているよね」
「相違点はどう? 死の静けさはうらやましいけど、死の前のあがきが恐ろしくて、でも死そのものは怖くないと言っているのだけど……矛盾しているよね?」

どんどん深い読解へと議論を進めるジグソー活動

どんどん深い読解へと議論を進めるジグソー活動

「(2)エキスパート活動」での、生徒たちの読解も素晴らしいものだった。だがそれはまだ、「書かれていること」の表面的な読解が中心だった。ところが今や、議論は表面的な文章の読解から離脱し、作者の意図や感情にまでどんどんと踏み込んでいた。

「作者は、『死は怖くないけど、寂しい』と書いているけど、どういう意味なのだろう? そもそも、寂しいって何? 怖いと何が違うの?」
「死んだら誰も悲しんでくれないから、寂しいとか? 仲間に見捨てられた蜂のように」
「それは私もわかるかも……」
「もしもさ、行きたい大学にも合格できなくて、就職も決まらなくて、人生に絶望したら、皆どうする? それでも生きたいと思う?」
「死の誘惑だね。でも、そういう死って、寂しいよね」
「『死は怖くないけど寂しい』って、そういうことなのかもね」

作品解釈を深めていった結果、この作品のテーマである死生観についての議論へと発展していった。

(4)クロストーク (5)個別のまとめ 

学び合いは深まり、そして……

(4)クロストーク
授業の最後に各グループの代表者が議論の内容を発表した。

「場面AからCにかけて、死に対する考え方が変化しています。最初は死への親しみを感じ、次に死の前の苦しさに恐怖し、最後に生と死は表裏一体なのだと悟っています」
「作者が死に憧れるのは理性の産物であり、生きたいともがくのは本能のなせる技だと思いました」
「作者は自分が死の淵をのぞいたことで、小さな生き物にも命が宿っていると実感したのではないか」

作品の読解だけでなく、作者である志賀直哉の背景に言及した意見も多く出た。

「生と死の境目があいまいな、不思議な雰囲気が描かれている」
「全体的に暗いのは、今後2、3年は脊椎カリエスを発症するかもしれないという不安が背景にあるのではないか」
「とても暗い作品。生きていて良かったことが書いていない。もしかしたら、作者は白樺派に疲れたのではないか」

各グループの代表者がジグソー活動の成果を発表するクロストーク

各グループの代表者がジグソー活動の成果を発表するクロストーク

そして自らの死生観についても、生徒たちは意見を述べていた。

「生と死は対極にあるかと思ったが、そうではない。偶然が重なって、必然になる。それを私たちが普段感じないのは、死から目を背けているからではないか」

「(3)ジグソー活動」の時より、さらに意見が良く、深くなっているのに驚いた。グループでの議論を受け、再度自分の中で整理し、まとめ直したからなのだろう。

この優れた発表を、板谷教諭は「すごいね!」「いい所に気がついたね!」と称賛しながら聞いていたが、全グループの発表が終わると、こう締めくくった。
「授業というより、大人な対話の時間、という感じでしたね。素晴らしいセッションでした。良い映画を見終わったような、心地良い感触です」。

(5)個別のまとめ
そして最後に生徒たちは、ワークシートに向かって『城の崎にて』に描かれていること、読んで考えたことを、“改めて”書いていった。授業の最初には数行程度の漠然とした感想や印象しか書けなかったのに、どの生徒もびっしりと書けていた。量が増えただけではない。質も、変化した。場面別にまとめたり、死と生の対比を表にまとめたり、整理してわかりやすく書いていた。誰の目にもわかる、成長ぶりだった。

知識構成型ジグソー法だからこそ、生徒は積極的に意見を発表した

授業を終えた板谷教諭に、お話を聞くことができた。

クロストークでの生徒の発表に聞き入る板谷教諭

クロストークでの生徒の発表に聞き入る板谷教諭

――すばらしい発表の数々でしたね。高校生がここまで深く作品を読み解けるとは、驚きました。

板谷大介(敬称略)私も驚きました(笑い)。知識構成型ジグソー法の授業を行うと、生徒たちのすごさにいつも驚かされます。作品中で描かれている様々な死について、相違点や対比に着目しながら、論理的に構造的に整理して、読解できているのがすごいと感心しました。作品の解釈にとどまらず、この作品のテーマを一般化して議論できていましたね。

学習指導要領に書いてある、「文章に描かれた人物、情景、心情などを表現に即して読み味わうこと」が、本時のねらいです。個人的には、作品の読解を通して「洞察力を身につける」「人間性を磨く」ことまで期待しています。今日の授業でも、「人間にしか自殺はできない」という意見が出てきました。死生観の議論を通して「生と死とは何か」と、一人ひとりが考えていました。人間性が磨かれていたと思います。

――少し意地悪な質問ですが、県内屈指の進学校である浦和第一女子高の生徒さんなら、知識構成型ジグソー法でなくても、このような深い読解や鋭い意見発表が行えるのでは?

板谷大介それが違うのです。講義型の授業だと、「この場面について意見はありますか?」と発問しても、シーンとしています。挙手もありません。知識構成型ジグソー法の授業では、あれほど素晴らしい力を発揮する生徒たちが、ですよ。実にもったいない。だからこそ私は、知識構成型ジグソー法を実施しているのです。生徒たちの持っている潜在能力を引き出してあげたいのです。

潜在能力を引き出すとは、どういうことなのか。なぜそれが可能なのか。そもそもどうして今、このような学びを行う必要があるのか。後編では、板谷教諭のほか、埼玉県教育委員会の先生方にもご登場いただき、詳しく語っていただく。

※注1:「知識構成型ジグソー法」は、東京大学 大学発教育支援コンソーシアム推進機構(CoREF)の三宅なほみ氏が考案した授業手法です。

記者の目

優れた批評家は、その作品を読み解くだけでなく、作者の生い立ちや思想などの背景まで掘り下げ、それを一般化して是非を論じることができるという。この生徒たちは、高校1年生にして、それができていた。ただし、一人でその高みにたどりついたのではなく、「協調学習」の知識構成型ジグソー法によって、批評家顔負けのレベルに到達したのだ。


授業前は数行程度の感想しか書けなかった生徒たちが、授業が進むにつれてどんどん考えを深め、素晴らしい意見を出し合うようになる姿は、横で見ているだけでも知的な興奮に襲われた。傍観者の私でさえそうなのだから、当事者の生徒たちはもっとそれを感じていたのは間違いなく、学び合いの“高揚感”に、教室全体が包まれていた。

取材・文:長井 寛/写真:言美 歩

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

pagetop