2018.05.30
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「基礎基本の大切さ」について改めて考えたい

以前、学習の積み重ねについて文章を書いたことがあります。

学習の積み重ねの大切さ〜学習の石垣理論〜 2014.1.27」

当時は小学校の教員をしていました。

その後、数年経ち、様々な研究授業を見たり、教員養成に関わったりする中で、少し違ったものが見えるようになってきました。

今回、そのことをまとめたいと思います。

帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師 鈴木 邦明

「大学にいて感じる基礎基本の大切さ」

私が所属している部署は、「帝京平成大学 現代ライフ学部 児童学科 小学校・特別支援コース」です。小学校や特別支援学校の教員を目指す学生が学んでいます。特別支援学校の免許に関しては、私立大学で唯一5領域全ての免許を取ることができるのだそうです。卒業には、教員免許が必須ではない(開放型)のですが、多くの学生が教員免許を取得します。

実際、教員になるには免許の取得だけでなく、採用試験に受かる必要があります。ここ数年は小学校を中心に倍率は低めで、どちらかと言うと教師になりやすい状況です。採用試験においては様々な分野の力が必要とされます。その時、苦労することが多いのが「数学」です。教員採用試験においては東京都の場合「中学卒業程度」の問題が出題されます。「中学卒業程度」と書くとそれ程難しくないように感じるかもしれませんが、結構難しいものです。私は中高の理科の免許も持っており、理数系はある程度分かる方なのですが、教採の数学の問題ではできないものもありました。

教員志望の学生は、場合によっては一定期間数学を学んできていないような学生もいます。大学受験では、AOや推薦などの一発勝負の試験でないもので受かってきている学生、数学以外の教科で受験している学生などがたくさんいます。教採を考えた時、こういった部分がとても難しい課題として出てきます。そこで本学では、大学1年、2年のうちに「実用数学技能検定(数検)」の3級(中学校卒業程度)の取得を義務付けています。先ほども書いたようにずっと数学から離れていた学生もいるので、かなり苦労しながら受験しています。

この「数検」へのチャレンジがあるから、教採の時に算数で足をあまり引っ張らないで済んでいるのだと思います。もし大学1年、2年の時にあまり対応せず、大学3年の後半や4年になってから数学で苦労しているようだとかなり大変なのだろうと思います。

「積み上げの大切さ」

小学校に話題を変えます。小学校では「小4になると、算数で抽象的な概念が増えてくることにより、苦手意識を持つ子どもが増える」とよく言われています。確かにそういう面もあるのですが、それと共に「九九の習得不足」が影響を与えているように感じます。

私は小学校の教員を22年間していたのですが、若い頃(20代から30代前半)は高学年を受け持つことが多かったです。小6を受け持った回数が最も多く8回でした。30代の半ばからは、立場が学年主任になったこともあり、中学年を担当することが多かったです。毎年、初任者の教員と同じ学年を組んでいました。

小3の担任をした時、九九が完璧にできていないまま小3になっている子どもが一定数いることに気づきました。そういった子どもは、小3の算数の学習内容が理解できていたとしても、九九の不正確さが原因で、テストでは不正解になってしまうということがよくありました。立式まではできているのですが、計算をすると間違えてしまうのです。小3、小4でも算数の学習においてはかなりの部分で九九を使います。

九九の間違いで不正解になることが続くと、どんどん算数が嫌いになり、勉強が嫌いになっていってしまう子どもも少なからずいます。こういったものと先ほども書いた抽象的な概念が出てくることなどが複合的に絡まって、さらに状況を悪いものへとしてしまいます。「勉強分からない」「勉強つまらない」「どうせ自分なんて出来ないし・・」

算数での躓きが発端となって、自己肯定感の低さに繋がっていってしまうケースがよくあります。自己肯定感の低さは、その人の人生において、様々な場面で不利に働いてしまいます。

「小2の九九は重要」

小2での九九の学習が大切だという理由が分かったと思います。同様なものに繰り上がり、繰り下がりがあります。筆算などの際、「6+7=13」「15−8=7」などが速く、正確にできることです。加減、乗除の基礎的な計算が非常に大事になります。しかし、その小2は、様々な学校事情で初任者やあまり学級経営が得意でない人がなることがあります。入学直後の小1、高学年で対外行事も多い小5、小6は初任者などが担任することはほとんどないでしょう。そうなると初任者は、小2、小3、小4であることが多くなります。

初任者もがんばって色々なことをするのですが、やはり余裕のない場合も多いです。そうなると九九の学習を「全員が完璧に」できるところまではできずに、小2の学習が終わってしまうということもあり得ます。

小3を担任した時に、小2で混乱していた学年を担当したことがあります。小2の時、4クラス中の3クラスが非常に難しい状況になっていました。その学年では、私が小3で受け持った時、九九などが不十分な子どもが例年よりも多かったです。学力テストなどの数値も例年よりも低く、それを取り戻す(平均程度に戻す)のに、数年間掛かりました。

写真にある石垣の例では、石を積んでいる時点(小2)では、石積みの不十分さの問題点にはなかなか気付けません。それが問題になるのは、上に石を積む時(小3以降)です。上に石を積もうとしても、下の石が不安定であったり、不十分であったりすることでうまく石を積み上げることができません。その時、下の石の問題点(九九の不十分さ)に気づきます。

私は小3の担任をした時、4月5月にしつこい位、九九の復習に取り組んでいました。上の石を積みながら(小3の学習をしながら)、下の石の調整(九九を完璧なものにする)をすることは非常に大変でした。難しいのは、あまりにトレーニング的に計算に取り組むと、九九はできるようになるのですが、算数嫌いになる可能性もあります。緩くやってしまうと、全員が完璧に出来るというレベルまでは到達しません。バランスを考え、学級の状況を踏まえながら取り組んで行くことが大切です。また、うまく家庭を巻き込むことも重要です。九九などは反復練習が必要な部分があります。そういったものの一部を家庭で担ってもらうということです。家庭ではマンツーマンで行うことができるので、弱い部分を集中的に取り組むことができます。

「小学校の教員はもっと未来を見るべき」

小学校の教員は、他の校種と比べ、多い時間の授業を持っていることが多いです。また、生活指導的な内容も多くあります。地域との連携も盛んなので、様々な仕事が舞い込みます。そういった中でどうしても目の前のことに意識が集中してしまいがちです。一日一日、一時間一時間は勿論大切です。それが大事であるということと少し違った次元で、目の前にいる子どもの将来を考えることも大事なことだと感じます。

例えば、学級経営において、パワハラ的な指導によってその時点できちんとした学級があったとします。そういった状態では、その時は確かに良い状態です。しかし、子どもは「先生が怖い」からちゃんとしているだけであり、その「怖い先生」の存在が無くなってしまったら、ダレて、荒れてしまうかもしれません。何が正しいのか、自分はどういった行動を取るべきなのかなどを考えた上での行動変容(育ち)ではないので、環境が変わることですぐにダメになってしまいます。パワハラ的な、高圧的な指導は、子どもの長い人生を考えた時、決してプラスではありません。同じような学習指導や生活指導などにおいても、短期的な視点で見るか、長期的な視点で見るかということで、見え方が違ってくるものがいくつもあります。

「終わりに」

現在の学校はあまりに多くのものを抱え込んでいます。たくさんの「〇〇教育」があります。安全教育、国際理解教育、健康教育、情報教育、環境教育・・・。まだまだたくさんあります。それらの一つ一つはどれも意味があり、子どもの育ちにおいて大切なものです。しかし、それがあまりに量的にも質的にも大変なレベルに達しているのが現在の学校が置かれた状況でしょう。

教師の働き方改革などと関連し、現在、学校のあり方を見直しているところが多いです。どこまでが教師の役割なのかなどが議論になっています。子どもの育ちの中で本当に大事である学習の基礎基本に対してしっかりと手間を掛けることができるような学校になることを心から願います。

鈴木 邦明(すずき くにあき)

帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師
神奈川県、埼玉県において公立小学校の教員を22年間務め、2017年4月から小田原短大保育学科特任講師、2018年4月から現職。子どもの心と体の健康をテーマに研究を進めている。

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