2016.11.28
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授業研究会に指導助言は必要?~若狭高校の公開研究授業に参加して~

立命館宇治中学校・高等学校 数学科教諭(高校3年学年主任・研究主任) 酒井 淳平

外部の方を招いての公開授業の多くは、
その後に授業研究会(合評会)があります。
大学の先生や教育委員会の方などに指導助言として
来ていただいて助言をもらうというところも少なくないでしょう。

ところで指導助言は本当に必要でしょうか?
必要だとすればそれはなぜでしょうか?

これは授業研究会の運営の方法とも密接に
かかわってくる問題と思います。
今回はこのテーマについて書くことで、
本当に必要な授業研究というものを考えたいと思います。

授業研究会(合評会)どうしていますか?

授業研究は日本の誇る文化だと聞いたことがあります。
たしかにそうでしょう。そして(数少ない自分の経験で
語っているかもしれませんが)、公開授業のあとの
授業研究会の多くは次のような流れになっていることが
多いと思います。

・授業者コメント
 (授業のねらい、授業をしての感触、残された課題など)
・フロアから質疑応答
・指導助言
・アンケートを書いて終了

質疑応答では、授業に対して厳しい質問が出ることが多く、
質問者が持論を語る場面も少なくないようにも思います。
いずれにしても質疑応答では話をしない参加者もいて、
結果的に話を聞いて終わりになる人が多いようにも思います。

この形の授業研究にもそれなりの意味はあるのでしょう。
質疑応答で自分の気づかなかったことに気づき、
指導助言で普段と違う視点をもらえることも少なくありません。
しかし自分にはどうしても納得のできない部分が多いです。
そもそも授業研究会は何のためにやっているのだろうと
思うこともあります。

みなさんは授業研究会についてどう思われますか?
そもそも何のために行っていて、
どんな形が望ましいと思いますか?

先日、若狭高校での公開授業研究会に参加しました。
国語科の渡辺久暢先生からの依頼で、指導助言という
形での参加でした。指導助言の必要性さえも疑っている
自分でいいのかと思いつつ、一度は行きたかった若狭高校
からの、しかも渡辺先生からの依頼ということで参加を決めました。
今回はそのときの経験から「授業研究会」について
考えたいと思います。

若狭高校の公開研究授業・授業研究会

若狭高校の取り組みについては3月に福井大学で行われた
ラウンドテーブルで少し聞いていました。
たとえば50代の管理職や部長の教員がリーダーとなり、
若手とチームを作りお互いに授業を見せ合う
「若手教員授業力向上塾」。これは教科をこえた取り組みです。
同じ教員のチームの授業を見るのは
「自分の授業に生かせるヒントを得るため」ということを
共通認識として持ち、授業の良いところを見つけます。
そしてふりかえり会は指導助言はおらず、メンバーを
「ほめる」活動があり、建設的な質問が最も重要とされます。
そして授業者に「ラブレター(まねしたいところ、よかったところ、
少しのアドバイス)」を渡して終了します。
若狭高校では「授業力とは“生徒や状況を見て柔軟に授業を
変える力”であり、“やる気を出させ、生徒の気づきや学びを
促す力”であり、“生徒の言動を拾い上げる力”」と定義して、
授業力向上に向けた取り組みを全校体制で進めています。

こういうことを聞いていたので、助言者として参加すると
決まった時から、自分のイメージしている授業研究会とは
違う場になるかもしれないという期待もありました。

公開授業のあとの授業研究会は以下のように行われました。

・授業者コメント
・グループワーク。
 ふせんを使って、授業のよかったところや改善点
 についてまとめる。 
・各グループから話し合いの内容など報告。
・指導助言

指導助言に際しては、事前に先方の教員から
「授業についてのコメントもいただきたいが、参加者の多くは
若狭高校の教員なので実践を聞きたい」とのリクエストが
ありました。

ここで大事なことは2つあると思います。
一つは授業研究会の参加者みんなで授業について分析
するということです。指導助言の私も授業者もグループワーク
に参加しました。ふせんを使って作業をし、あとでみんなで
まとめるので誰か一人の意見で全体が決まるということが
ありません。何より授業について焦点化した話し合いができます。

授業研究会でよくある質疑応答では質問者が質問したい
ことを聞くのですが、授業批判ばかりになったり、
質問者が持論を長く述べるということも起こります。
若狭高校ではこうしたことが起こらない仕組みができていました。

二つ目は「参加者が聞きたいことを助言者に聞く」ということです。
私がお役にたてたのかはともかく、事前のリクエストが
明確だったので、リクエストの中で私ができることややってきた
ことを中心にお話しさせていただきました。
今回助言者という立場になってはじめて、何を期待されて
いるのかがわかっていることの重要性に気づきました。
もしもこうしたやり取りが事前になければ、抽象的な話をして
終わってしまったかもしれません。何より
“一応助言者だからしっかりしたコメントをしたい”
などと変な意識を持つことで、参加者のニーズや生徒実態と
かけ離れた話をしていたかもしれません。
こうしたことが起こらないようになっていました。

授業研究会に評論家はいらない

私自身、公開授業については何度もいろいろな立場で
経験してきましたが、心のどこかで納得ができないことが
ありました。それは授業をした人が批判ばかりされることです。
たしかに批判してもらえることは大切です。でも中には
その批判が次の授業につながらないこと、
質問者が言いたいことを言っているだけということ
も多いように感じていました。

授業を外から見て批判することは、実際に授業をする
ことに比べるとずっと簡単です。
評論家的に授業を批判し自分の意見を述べることは、
授業者の役に立たないことが多いです。
公開授業をした以上、そのことで授業者の授業力が
上がらなければいけない、次の授業につながらないといけない。
そのためにも、批判はあっていいが、できているところも
きっちり指摘することが大事である。このように思います。

また指導助言者に専門的な見地からアドバイスをもらうことは
大切です。しかしアドバイスする側にも専門や得意分野が
あります。
東京大学の中原淳先生は「専門家をダメにする確実な方法は、
専門家に"自分の専門外のこと"を、"あたかもその筋の専門家"
のように語らせること」と言っておられます。
専門家に来てもらえば何か有益な助言をしてもらえるだろう
という程度の意識で依頼をして、授業研究会という名のもとに
専門家をダメにしていることは本当にないでしょうか。
そうしたことがあれば、その結果一番不幸なのはせっかく
来てもらったのに有益な助言をもらえない授業者であり、
その学校の生徒たちではないでしょうか。

いろいろ書いてきましたが、一言でいうと
「授業研究会に評論家はいらない」ということになるでしょう。
評論家ではなく、参加者全員が実践家として、見た授業を
自分事として考え、ともによりよい授業を考えていくプロセス、
これこそが授業研究会に必要なのでしょう。
評論だけし、自分の持論だけを述べるのは楽だけれど、
そういう人は授業研究会に求められる人ではない。
自戒をこめて書きました。

このようなことを考えたのも若狭高校の公開研究授業に
参加させてもらったからです。貴重な場をありがとうございました。

これを読んでくださっている方には学校の先生も多いと思います。
ぜひ読者のみなさまから「こんな授業研究会はいいのでは」
「こんな授業研究会もある」などの情報をいただければ
うれしいです。授業力向上は自分にとっても、学校としても
大きな課題です。「学習する組織」「教師が育つ学校づくり」
ということに少しでも貢献できたらうれしいし、
学校をそういうところにしていきたいと思います。

お読みいただきありがとうございました。
引き続きよろしくお願いします。

 

酒井 淳平(さかい じゅんぺい)

立命館宇治中学校・高等学校 数学科教諭(高校3年学年主任・研究主任)
文科省から研究開発学校とWWLの指定を受けて、探究のカリキュラム作りに取り組んでいます。
キャリア教育と探究を核にしたカリキュラム作りに挑戦中です。

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