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教育インタビュー

2018.04.04
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大胡田 誠・
亜矢子夫妻
障害者と健常者がともに生きる社会を語る。(vol.1)

障害者と健常者がわかりあうには、摩擦を通しての対話が必要不可欠です。

大胡田誠さんは、日本で3人目の全盲の弁護士。妻の亜矢子さんは、全盲のソプラノ歌手としてコンサート活動を行っています。幼少期を静岡県で過ごしたおふたりは、中学受験を経て、筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)に進学。中学・高校時代の6年間、東京での寄宿舎生活を経験します。高校卒業後、誠さんは慶應義塾大学法学部法律学科、亜矢子さんは武蔵野音楽大学声楽科に入学。夢に向かって勉強に励みました。
前編では、視覚特別支援学校での授業の様子や寄宿舎での生活、大学受験対策、大学生活での苦労など、学校での教育を中心にお話を伺いました。

大胡田 誠・亜矢子夫妻インタビュー動画

「大胡田 誠・亜矢子夫妻 障害者と健常者がともに生きる社会を語る。」ダイジェスト動画 前編

中学受験をして東京の筑波大学附属盲学校に入学

大胡田夫妻の写真

学びの場.com筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)を受験したきっかけを教えてください。

大胡田誠小学6年生のとき、それまで弱視だった目が完全に失明しました。目が見えていた頃の自分を知る友人たちにどう見られているのかが気になり、いっそのこと自分を誰も知らない街に行きたいと思うようになりました。自宅から歩いて5分の場所に沼津盲学校(現・沼津視覚特別支援学校)がありましたが、このまま故郷にいたら狭い世界で青春が終わってしまうという恐怖もあり、受験を決意しました。一方で、沼津盲学校から筑波大学附属盲学校に進学した友達から学校生活の楽しそうな様子も耳にしていました。休日にはコンサートやショッピングも楽しんでいるという話を聞き、東京での生活に憧れをいだきました。

亜矢子私は小学3年生のとき、沼津盲学校の先生から筑波大学付属盲学校の存在を教えていただき、以来そこに行きたいと思い続けていました。地元の学校よりも1学年の人数が多く、同じ視覚障害のある友だちがたくさんいるからというのが大きな理由です。

学びの場.com筑波大附属盲学校は、全国の成績優秀な視覚障害の子どもたちが受験する進学校です。どのような受験対策を行いましたか?

亜矢子実は受験を決めたのが入試の2か月前だったので、そこからあわてて猛勉強しました。沼津盲学校の先生が過去問を調べてくれたほか、苦手な科目については補習の時間を設けてくださったおかげで、なんとか入学することができました。

視覚障害者が学ぶための配慮が施された授業とは?

大胡田誠さんの写真

学びの場.com筑波大学附属盲学校の授業にはどのような特徴がありましたか?

大胡田誠カリキュラム自体は普通の学校と変わりませんが、授業には視覚障害に配慮した工夫が施されていました。たとえば、理科の授業で試験管の水溶液に指示薬をたらして色の変化を確かめる実験をする際には、「感光器」という道具を使いました。光の強弱をブザーの音の高低で知らせてくれるもので、これを試験管にあてがっておくと、化学反応で水溶液の色が変わったことを音の変化で確認できるのです。視覚的な情報を音や触覚に置き換えるための方法を先生方が真剣に考えてくださったおかげで、目が見えなくても理科の基本的な重要概念を理解することができました。

亜矢子体育では、視覚障害者用の特別な道具やルールがありました。たとえば、ボールを使う場合は中に鈴が入っていたり、ネットの下に転がされたボールを打ったりしていました。陸上の短距離走ではゴール付近で音を鳴らしたり、長距離走では先生とペアで走ることもありました。

学びの場.com寄宿舎での生活はいかがでしたか?

大胡田誠寄宿舎では気の合う仲間ができて、毎日が合宿のようで楽しかったです。門限を過ぎてから寄宿舎の柵を乗り越えて、近所のラーメン屋に夜食に出かけたり、夏には公園で花火をやったりしていました。校則を破る行為ではありましたが、目が見えなくても自分の世界に閉じこもるのではなく、楽しみを自分でも作っていけるのだということに気づかされた貴重な経験でした。

亜矢子さんの写真

学びの場.com中学部卒業後の進路についてお聞きします。筑波大学附属盲学校の高等部は普通科と音楽科の2コースあります。亜矢子さんは音楽科に進まれていますね。

亜矢子幼いころにピアノと出会って以来、いつしか音楽が心の支えになっていました。また、童謡を歌っている由紀さおりさんや安田祥子さん姉妹に親しみを感じていたので、将来は彼女たちのような音楽の道に進みたいと思って音楽科を選択しました。その年、中学部から音楽科に進学した生徒は私ひとり。音楽科の授業は、普通科の授業を6時限目まで受けてからようやく始まります。私ひとりだけ、7時限目にピアノの授業があるというハードスケジュールで、なかなか大変でした。

学びの場.com誠さんは高校卒業後の進路についてどのように考えていましたか?

大胡田誠中学2年生のとき、日本で初めて点字で司法試験に合格した全盲の弁護士である竹下義樹さんの著書『ぶつかって、ぶつかって。』(かもがわ出版)を読み、衝撃を受けました。目が見えなくても努力すれば、弁護士になって誰かのために働くことができるんだと。高等部に上がり、将来を真剣に考えるようになったとき、まずは司法試験の合格者が多い大学に入ることを目標にしました。

学びの場.com慶應義塾大学を選んだのはなぜですか?

大胡田誠司法試験の合格実績と試験内容で選びました。視覚障害者が大学の入学試験を受けるためには、何人ものボランティアが何科目もの試験問題を点訳しなければなりません。また、点字で勉強する分だけ健常者に比べて時間がかかるので、受験する科目を最小限に絞り込んで集中的に勉強する必要がありました。慶應義塾大学の試験内容は、英語の配点が高く、国語の試験は小論文のみ。英語が得意で現代文が苦手だった私にはぴったりな内容でした。もう1科目は子どもの頃から興味があった世界史を選択し、山川出版社の用語集の点訳版をひたすら繰り返し読みました。

障害者と健常者がわかりあうには、摩擦を通しての対話が必要不可欠

大胡田誠さんの写真

学びの場.com誠さんは慶應義塾大学法学部法律学科、亜矢子さんは武蔵野音楽大学声楽科に入学後、健常者と一緒に生活する世界をどのように感じましたか?

大胡田誠盲学校という守られた世界で6年過ごした僕にとって、健常者の中で勉強するのは新鮮な体験でした。ただ、社会の厳しさを感じる瞬間も何度もありました。下宿先のアパートを貸してくれる不動産業者がなかなか見つからなかったときのことです。安全確保が難しいという理由で何社も断られたあと、一緒に探していた母が「アパートを借りてあげられなくてごめんね」と泣きながら僕に謝ってきました。強い憤りを感じるとともに、弁護士になって社会を変えていかなければならないと決意した瞬間でした。
また、大学の講義では、哲学の授業に出席した際、点字でノートをとるときの音がうるさいので、隅のほうで授業を受けるようにと教授から言われたこともあります。大学に入学してみんなと同じスタートラインにようやく立てたと思っていた矢先だったので、本当につらく、思わず涙がこぼれ落ちました。救いだったのは、同じ授業受けていた仲間が抗議の声をあげてくれたことです。授業そっちのけで大討論会となり、結果的にそれまで通りの自由な席で授業が受けられることになりました。擁護してくれた仲間の声はいまも耳に残っています。障害者と健常者がわかりあうには、摩擦を通しての対話が必要不可欠だと学んだ出来事でした。

亜矢子私の場合、入学当初は、通学や授業への不安でいっぱいでしたが、校内では声をかけてくれる人が多く、たくさんの友人を得ることができました。まさに、「案ずるより産むが易し」を体感しました。

亜矢子さんの写真

学びの場.com大学生活で一番苦労したことはどんなことですか?

大胡田誠唯一といえるほど苦労したのは読書です。盲学校では点字の教科書や参考書が用意されていましたが、大学ではボランティアを探して点訳をお願いするか、朗読のボランティアを探さねばなりません。ですが、おかげで支援者の探し方、また必要な情報を取捨選択する力を身につけることができました。

亜矢子私は点字楽譜を用意するのが大変でした。大学では、ひとつの楽曲に自分用の点字楽譜と、先生用の普通の楽譜の2種類を用意しなくてはなりません。まずはその楽曲が点字楽譜になっているのかを調べ、なければボランティアを探して点字楽譜にしてもらいました。高校時代は点訳した楽譜がすでに用意されていたので、そのありがたみにも気づきました。

大胡田夫妻の写真

学びの場.com大学時代の学びは、いまの仕事にどのように生かされていると思いますか?

大胡田誠大学入学前は、法律とは人を縛るもの、自由を制限するものだと思っていました。ですが、法学の授業で「すべての法律の根底には、よりよく生きたいという人の希望が流れている」という言葉を聞いた瞬間、法律に対する考え方がガラッと変わり、自分の未来が開けていくような気がしました。人がよりよく生きるための道具として法律を活用していきたいという思いは、このときから変わっていません。

亜矢子2年生のとき、成績上位者はホールで歌うことができるという試験で、選抜されました。いつもは公開講座を聞きに行くようなホールで、大勢の人の前で歌曲を披露するのは貴重な勉強の場となりました。この経験が、のちのコンサート活動の原点になっていると思います。

プロフィール

  • 大胡田 誠さんの写真

    大胡田 誠(おおごだ まこと)

    1977年、静岡県生まれ。先天性緑内障により12歳で失明する。筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)の中学部・高等部を卒業後、慶應義塾大学法学部を経て同大学院法務研究科(法科大学院)へと進む。8年間かけて2006年、5回目のチャレンジで司法試験に合格。全盲で司法試験に合格した日本で3人目の弁護士になった。現在、つくし総合法律事務所に所属し、一般民事事件や企業法務、家事事件(相続、離婚など)や刑事事件などに従事するほか、障害者の人権問題についても精力的に活動している。著書に、松坂桃李主演でテレビドラマ化された『全盲の僕が弁護士になった理由』(日経BP社)、『今日からできる障害者雇用』(共著・弘文堂)、夫婦共著の『決断。全盲のふたりが、家族をつくるとき』(中央公論新社)。

  • 大石 亜矢子さんの写真

    大石 亜矢子(おおいし あやこ)

    1975年、千葉県生まれ。男女の双子として早産で産まれる。1200グラムの極低出生体重児だったため、保育器の高濃度の酸素によって網膜が損傷する「未熟児網膜症」により失明。2歳のとき静岡県沼津市に移住。筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)の中学部・高等部を卒業後、武蔵野音楽大学声楽科卒業。ソロによる歌唱のほか、ピアノの弾き語りによる演奏活動を行う。また、盲導犬の啓発活動などを行うかたわら、夫で全盲の弁護士の大胡田誠とともに「全盲夫婦によるトーク&コンサート」を各地で開催している。6歳と5歳の一男一女の母。本名は大胡田亜矢子。

インタビュー・文・写真・動画:学びの場.com編集部

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