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教育インタビュー

2016.05.17
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河野 哲也 子どもの哲学を語る。

自ら考え、話し合う「子ども哲学」が道徳性を養い、思考力や対話力を育むのです。

河野哲也氏は立教大学にて教鞭をとる傍ら、各地の小中学生を対象に多様なテーマについて話し合う「子ども哲学」や、哲学対話による道徳教育を研究、実践さ れています。小中学校における道徳の教科化が告示され、「考え、議論する道徳」への転換が図られる中、河野氏が取り組む対話型の哲学には、これからの道徳 教育に有効なアイデアや実践が満載です。今求められる道徳教育とは何か?「子ども哲学」とはどのような実践で、どんな力が育まれるのか? 具体的な実践方 法や事例も交えて、お話を伺いました。

従来の「徳育」から「新しい道徳教育」へ

学びの場.com河野さんが考えるこれからの道徳教育とは、どのようなものでしょうか。

河野 哲也道徳とは利他的であることです。その基本的態度は「相手の立場に立つ」こと。しかし、人の考え方は千差万別で、相手に良かれと思ったことが逆の結果になってしまうことも少なくありません。そこで、相手を理解するためには「本人の声を聞く」ことが必要になります。 江戸時代の日本のような封建社会では、社会階級によってコミュニケーションが制限され、農民の声が直接、為政者に聞き届けられることは、ほとんどありませんでした。海外に目を向ければ、今も女性が発言権を持たない国や、宗教的なマイノリティがマジョリティに発言できない国もあります。そのような社会的に弱い立場に置かれている人々の意見は、数としては少なくても重要なものであり、その声が抑制される社会は不平等で、道徳的とは言えません。 一方、民主主義社会では一人ひとりが主権者であり、誰もが声を発する権利を持っています。ただ「民主主義=多数決」と考えられがちですが、多数決は最終的な決定手段の一つにすぎません。そこに至るまでには、できるだけ多様な意見を掘り出して考えるというプロセスがあります。 つまり、民主主義は道徳を実践するためのコミュニケーションが最も自由に行える社会システムであり、それを維持・発展させていく主権者を育成するための道徳教育こそが今の時代に求められるものと考えます。自由と平等を重視する民主主義社会は、道徳的に優れた社会であるからです。

学びの場.comこれまでの道徳教育とは、驚くほどイメージが違います。

河野 哲也従来の道徳教育は、社会で認められている一定の価値を受け入れ、社会規範やルールを遵守する個人を育てるという「徳育」が中心でした。しかし、「人間とはこうあるべきだ」という特定の型を示すことは一方的な価値観の押し付けにすぎず、それを教え込んでも、道徳的に正しい行動がとれるようになるわけではありません。お話ししたように、何が道徳的に良い振る舞いであるかは、対象となる相手によって変わるからです。 また、道徳が科学のように向上し、進歩すべきものであるということも重要です。科学は現在の常識や知識を検討し直すことで、より正しい知識へと進歩していくもの。そのために必要な科学的な思考力は、今ある知識を暗記させるだけでは育ちません。同様に、道徳も伝統的な価値観を検討し直すことによって思考力が育まれ、より良いものへと更新されていきます。こうして進歩していく道徳に自発的に加わっていくような子ども達を育てることが、これからの道徳教育の基本だと思います。

社会や政治への関心を引き起こす道徳教育とは

学びの場.com道徳の教科化にあたって「考える道徳」への転換が図られるそうですが、これは河野さんのお考えとも近いのではないでしょうか。

河野 哲也そう思います。では、ここで「考える道徳」とは何かを考えてみましょう。例えば、「お母さんの仕事を手伝いなさい」と教科書に記載した場合、男女共同参画 からかけ離れた価値観を押し付けてしまう可能性があります。「お父さんとお母さんの家庭での仕事をできる範囲で手伝いなさい」とするのが妥当でしょう。で も、なぜ家庭の仕事なのでしょうか。家事を一切お手伝いさんに任せているような恵まれた家庭の子どもが、何か手伝う必要があるでしょうか。もっと生活に 困っている人々を支援する方が、その子にとってより道徳的な行動と言えるのではないでしょうか。それを子ども自身に考えさせ、その場その場で適切な行動を とるための判断力を育てるのが「考える道徳」なのです。 また、「優しい」行動をとるといっても、相手や状況によっては、あえて厳しい言葉をかける必要があるかもしれません。誰もが優しさを感じる切り札のような ものはありませんから、相手の反応を見たり、聞いたりしながら試してみる。それをたくさん経験することで判断力が養われ、道徳的な行動が発達していくので す。

学びの場.com道徳性は、実際にやってみて初めて身につくものなのですね。

河野 哲也私の訳した『中学生からの対話する哲学教室』(シャロン・ケイ、ポール・トムソン著、玉川大学出版部)という書籍には、子ども達に道徳的なテーマについて議論させた後、社会の中で道徳的な活動を行わせる授業が紹介されています。例えば、身近な環境問題がテーマであれば、よく議論した上で、クルマからのゴミのポイ捨てをやめさせるための啓発ポスターを作成したり、それを道路に貼ってもらうために自治体や道路公団に掛け合ったり、といった具体的な行動に移すのです。自分達でゴミを拾えば一時的にきれいにはなっても、根本的な解決にはなりません。社会の主権者として自らの主張を説得力持って他の人々に伝え、実行できるようにすることが、道徳教育の最終目的と言えるでしょう。 そして、社会活動を通して「自分の行動で社会が変えられる」という効力感が得られれば、政治への興味・関心や道徳的な振る舞いへの義務感が引き起こされ、次の行動へとつながっていきます。このような道徳教育は、中高生であれば十分可能です。

学びの場.com今年の6月から18歳選挙権が適用されますが、それにもつながるお話ですね。選挙については社会科で教えると思うのですが、政治教育は道徳の授業で実践すべきとお考えですか。

河野 哲也政治教育に限らず、教科でできることは教科で行うべきだと思います。知識と実践を一連のものとして、各教科で道徳の視点を取り入れた授業を行わなければいけません。社会科で選挙について教えるのであれば、立候補するにはどのような手続きが必要なのか、投票することにどのような意義があるのか、といった実用的な知識を学ばせるべきでしょう。現職の議員を教室に招いて授業を行ったり、どう広報して票を集めればよいのか、といったことを子ども同士で議論させたりするのも有効です。 道徳の授業にも政治的な内容は含まれますが、ここでは人間の生き方や生活に関するテーマを広く取り上げ、知識の獲得とは別に、道徳的な判断力や実行力を養う場とするのが望ましいと思います。

道徳性を養い、能力を伸ばす「子ども哲学」

学びの場.com河野さんは各地の小中学生を対象に「子ども哲学」という哲学対話を実践され、道徳教育への導入を推奨されています。哲学を学ぶことで、なぜ道徳性が養えるのでしょうか。

河野 哲也皆さんは哲学と聞くと、知識人が一人難解な問題に立ち向かう、というイメージを思い浮かべるかもしれません。しかし、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスは、勇気とは何か、幸せとは何かといった問いについて、公共の場で討論を行っていました。哲学者が一人で答えを出すのではなく、一般市民との対話によってより深い思考を促すというもので、私はそれが哲学の原型だと考えます。 同じように、子ども哲学では、身近なテーマや問題について子ども達が意見を出し合い、考えを深め合います。これにより、今ある知識や情報を問い直して自分なりの価値観を見出し、自ら判断して行動するという道徳性の発達が促されます。また、道徳性の育成に欠かせない相手の声を聞く力、自分の考えを語る力も養われるのです。

学びの場.com道徳性を養うと同時に、思考力、コミュニケーション能力、判断力、表現力も育まれるのですね。学校で哲学対話を行う場合は、先程伺った道徳や社会科で行う議論に取り入れるのがよいでしょうか。

河野 哲也他の科目やクラブ活動でも哲学対話は実践できます。例えば美術であれば、皆で絵を見て感想を言い合うことで新たな発見が得られ、絵の見方が深まります。さらに、「作者がこの絵を描いたのは、どんな時代だったのか」「この絵を描くよう作者に依頼した人物の狙いは何だったのか」といった歴史や政治につながる関心も生まれますから、それをテーマに調べ学習を行えば、知識もより広く深いものになっていくでしょう。

学びの場.com子ども哲学の具体的な実践方法はありますか?

河野 哲也基本的な実践方法(動画紹介ページ)は、対話を促進するファシリテイター(教師・大人)と子ども達がサークルを作って座り(1グループ10~20人)、皆で話し合って問いやテーマを決め、それについて対話するというものです。ただし、これは一例にすぎませんから、様々に応用が可能です。 40人のクラスであれば二つのグループに分け、内側と外側に2重の サークルを作って対話するという方法もあります。その場合は、最初に内側のサークルのグループが対話し、それを外側のサークルのグループが観察・記録しま す。次に両グループの位置を入れ替え、同様に対話を行うのです。また、子ども哲学では討論の結果ではなくプロセスを大切にするため、結論の無いオープンエ ンドの議論が多いですが、あえて賛否を問うようなテーマを選び、結論を出すことも可能です。問いやテーマは教師が考えてもよいでしょう。

学びの場.com40分の授業時間内に議論はまとまりますか?

河野 哲也まとまりませんが、それこそが哲学対話の醍醐味なのです。学校では答えのあることを教え、授業は時間内に収まるように作るのが基本です。しかし、実社会では答えのない問いの方が多いですし、1コマの時間制限内では小さなテーマしか扱えません。そのため、子ども哲学では3コマにわたって一つのテーマを扱い、議論することを推奨しています。対話の前後にテーマについて意見を書かせると、議論による考えの深まりは歴然です。

哲学対話を楽しみ、真理を探求する子ども達

学びの場.com小学生の子どもでも、集中して哲学対話に取り組めるものでしょうか。

河野 哲也子ども達は面白いことであれば、驚くほど長時間、集中できるものです。私達が埼玉県の寄居町で行っている幼稚園生から小学校6年生までの哲学対話では、幼稚園生と小学1年生の小さなお子さんのグループでも、休憩を挟んで2時間くらいは集中できています。

学びの場.com幼稚園生も哲学対話をするとは驚きです。どのような会話をするのでしょう?

河野 哲也それについては、『ちいさな哲学者たち』(アミューズソフトエンタテインメント)というフランスの幼稚園で2年にわたって行われた哲学対話のドキュメンタリー映画がDVD化されていますので、ご覧になることをお勧めします。始めは他の子どもの話に耳を傾けることもできなかった子ども達が、対話を繰り返すうちに、自分の発言の根拠まで説明できるようになる。3歳の子どもでも、いかに色々なことを考えているかがおわかりいただけるでしょう。 中学生ともなれば、かなり鋭い意見も出てきます。中学1年生の子ども達と「出会いと別れ」というテーマで行った哲学対話では、「卒業しても会おうと思えばいつでも会える。でも、私達は会わなくなる。それはなぜだろう」という問いが議論のスイッチになりました。ここから、「学校がなくなれば人のつながりもなくなってしまう」「それは、私達が一人の人間として互いに関心を抱いていなかったからだ」という発言が飛び出し、「共通の場がないと、私達は付き合えないのだろうか」という所まで議論が広がっていったのです。 別の中学1年生の子ども達の対話では、「担任の先生は必要か」というテーマで意見が交わされました。その場に担任の教師がいる中で子ども達がこのようなテーマを選んだのは、その教師が信頼されているからに他なりません。でも、「どういう先生が良くて、どういう先生が良くないのか」などという意見を聞くと、教師はドキッとするでしょう。このような率直な発言が出ることが子ども哲学の怖さであり、面白さでもあるのです。

学びの場.com哲学対話を体験した子ども達からは、どのような感想が挙がっていますか?

河野 哲也「自分の意見を聞いてくれて嬉しかった」「友達がこういう意見を持っているとは思わなかった」「色々な意見があって面白かった」「たくさん考えて疲れたけど楽しかった」といった感想が多いです。肯定的な回答が9割以上を占めています。

教師に求められるのは、子どもと共に考え、学ぶ姿勢

学びの場.com子ども達が緊張せずに対話を楽しめるよう、ファシリテイターを務める教師は、どのような点に注意すべきですか?

河野 哲也最も重要なのは、子ども達との接し方を変えられるかどうかです。哲学対話においては、教師は子ども達の指導者ではなく、共に考え、共に探求する一員です。時には教師の発言が子ども達の批判にさらされることもありますが、それを受け入れなければなりません。 また、子ども同士の対話には、彼らの日常的な関係性が反映されます。クラスやグループにいじめや男女の敵対関係などが存在すれば、公平な哲学対話にはなりません。そういった場合は、簡単な遊びを行って場の緊張をほぐし、和らげることが必要です。家庭の問題など話したくないことは無理に話さなくてよいこと、逆に、聞きたくない話の際は対話から外れてよいことも伝えなくてはいけませんし、子どもが考えている時に回答を急かさず待ってあげることも大切です。

学びの場.com子どもが安心して話せる関係性を作っておくという、日頃の学級経営が大事になりますね。逆に、道徳性を養う哲学対話を、いじめの解決などに役立てることもできるのではないでしょうか。

河野 哲也そう思います。上手く言葉で表現できない鬱憤が弱い所に行くというのがいじめの構造だと思いますから、いじめをしている子どもが自分の生きづらさを人前で表現できるようになれば、何かが変わるかしれません。現に、子ども哲学の実践で知られるハワイ大学のトマス・ジャクソン教授が、多文化的で貧富の差も激しい地域の荒れた高校に哲学対話の授業を導入し、10年ほどかけて状況を大きく改善したという事例もあります。 ただし、好き嫌いは誰にでもありますから、嫌いなものは嫌いと言って構いません。率直に意見を交換することで、意見の違いを超えた人間同士のつながりができるのも、哲学対話の良い点です。

学びの場.com最後に、読者の先生方へメッセージを。

河野 哲也一人の人間として子ども達の前に立ち、どんな意見にも恐れずに耳を傾けることができて初めて、子ども哲学は実践できます。完璧な人間などいないのですから、教師だって間違えたり、失敗したりしながらやっていけばよいのです。私が副代表理事を務める特定非営利活動法人「こども哲学 おとな哲学 アーダコーダ」では、哲学対話のスキルやプログラムを提供しています。ファシリテイターの派遣やレクチャーも行っていますので、困ったときはお声掛けください。

河野 哲也(こうの てつや)

立教大学文学部教育学科教授
1963年生まれ。慶應義塾大学文学研究科後期博士課程修了。専門は哲学、倫理学、教育哲学。日本哲学会理事、応用哲学会理事、日仏哲学会理事、日本現象学会委員、日本科学哲学会評議委員、科学基礎論学会評議員。著書に『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』(河出書房新社 2014年)、S・ケイ、P・トムソン『中学生からの対話する哲学教室』(玉川大学出版部 2012年 共訳)、『道徳を問いなおす リベラリズムと教育のゆくえ』(筑摩書房 2011年)等。

インタビュー・文:吉田教子/写真:赤石 仁

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