教育トレンド

教育インタビュー

2022.04.20
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稲垣恭子 令和時代の教育文化

コロナ禍の影響を強みに変える

学習指導要領の改訂や家庭教育の外部委託、情報端末の普及、そして新型コロナウイルスの流行。子どもたちの生活や教育を取り巻く環境は目まぐるしく変化している。長引くコロナ禍の影響を強く受ける子どもたちのため、一体何ができるだろうか。教育社会学を専門とし、現在は京都大学理事・副学長として活躍されている稲垣恭子先生に知見を求めた。

新学習指導要領による学校教育の変化

学びの場.com

2020年にスタートした新学習指導要領によって、学校は知識ではなく学び方を教えるとされました。「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」を意識して子どもたちにディスカッションをさせたものの、前提となる知識が不足しており、理解が深まらないという悩みをよく聞きます。一体、どのような課題があるのでしょうか。

稲垣恭子(敬称略 以下、稲垣)

想像力や独創性、ディスカッションを通じた探究力の大切さは、今回の学習指導要領改訂前から言われていました。2000年代になってからは政策論議のキーワードにもなっています。日本の社会制度が液状化し崩れていく中、目指す方向が不透明になった社会の不安を子どもの教育に託しているのではないでしょうか。

その前提の上で、基礎的な知識の理解と独創性、探究力が対立するものなのかを考える必要があります。深い学びとは何か。どんな授業が探究力や独創性につながるのか。それが具体的ではないまま強調され、現場が戸惑っているのだと思います。

アメリカの研究者ジェルミー・ラプリー氏と小松光氏との共著『日本の教育はダメじゃない』(筑摩書房、2021)に示唆的な箇所があります。日本の詰め込み式教育が子どもの創造性や課題解決力の育成を阻む要因になっていると言われていますが、子どもの興味に合わせた授業では簡単なことしか教えられない。人が興味を持てる事柄は、たいてい今の自分の考えの枠組みで理解できることだからだというわけです。国際調査では、日本の子どもたちは基礎学力も創造的な問題解決力も高いという結果が出ています。学習指導要領が変わる度に海外や最新のトレンドを参考にするだけではなく、日本の学校が長年蓄積してきた教育方法の中に両立させる工夫があると気付くことも大切なのではないかと指摘しています。

家庭教育の変化と外部委託

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共働きの家庭が増えたこともあり、塾や習い事、学童保育など家庭教育の外部委託が進んでいます。委託先の専門分化により、保護者には経済面だけでなく、情報収集・選択の負担も増えました。どのような格差が拡大しているのでしょうか。

稲垣

外部委託自体は必ずしも問題ではありません。約半数の子どもが塾に通っているというデータがありますが、スポーツ教室や習い事をさせている家庭はかなり多いでしょう。家族全員で一緒に食事をすることが大切といわれることもありますが、外食という形の外部委託も増えています。フルタイムで働く女性が増えただけでなく、単身赴任や別居のように家族の形態も多様化してきました。さまざまな形の家族を外食が支え、補完しているのです。

外食に関する調査として、回転寿司チェーン店で家族連れにインタビューをしたことがあります。寿司屋は金額も高く、回転寿司ができるまでは中高年男性が男同士で行くところでした。敷居が高いものだったお寿司も、今は家族で楽しむものへと変化しています。外食の意味を考える上で、回転寿司店での調査は面白いのではと考えました。

インタビューの回答はさまざまでした。例えば、普段は父親の帰りが遅くて一緒に晩御飯を食べることができないので、給料日の後の休日に家族で来て一緒に食事をするという意見。まさにハレですよね。一方で、共働きの家族は普段は外食が多く、子どもの誕生日やハレの日は逆に家で手作りの料理を食べるという回答がありました。また、中学生の子どもがいる家庭では休日に家族で行楽には出かけないけれど、食事は一緒にとりたい。回転寿司チェーン店は郊外にあるので、家族で車に乗ることで会話が始まるのだそうです。外食で会話の機会を設け、家族のコミュニケーションの場として使っているわけです。各家庭で工夫し、家族の絆を外食によって確認している。外食は必ずしも家族機能を縮小するものではないということがわかりました。

その他にも、子どもが「お母さん、イカが好きだよね」と言ってお寿司を取ってくれたり、他人の前で汚い食べ方をしてはいけないのでマナーを注意するなど、教育の場にもなっていました。外部委託で大切なのは、その使い方の工夫ではないでしょうか。

委託先の選択や利用の仕方は親の教育意識や収入に大きく影響を受けますが、外部委託は公教育の範囲外なため、見えない格差が生まれます。新型コロナウイルスによる一斉休校中の子どもの学習状況について、東京大学の中村高康教授が調査を行い、シングルマザーの家庭では、子どもの勉強を手伝えていない傾向があると指摘しています。ただ、教育に関心のある家庭では、親の仕事が忙しく、勉強を見てあげられない場合でも、子どもがオンラインの学習教材などを使えるように工夫していたとのことです。こうした見えない形で開く格差について、行政も放課後にオンライン教材等を使えるようにするなどの支援を始めています。学習教材を提供する会社には、こうした格差を意識した上で、質的な面を考慮していくといった工夫が求められます。

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外部委託できず、家庭に残る部分もあるのでしょうか。

稲垣

外部委託すれば家庭では何もしなくてよいというわけではありません。何をどこに外部委託するのかという方針を決めるのは家庭ですし、子どもに合っていなければ変える必要もあります。短時間でも家庭で必ずコミュニケーションを交わし、子どもの状態を理解し、相談できる関係を維持することが大切です。何かあったときは、まず家族に相談する。それが子どもにとっての一番の心の支えになります。そのためには、日頃の家族のコミュニケーションが欠かせません。

情報端末の普及とメディア社会

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情報端末の普及によって、家に帰っても同級生とつながっていなければならない、といった新たな負担も増えています。子どもたちは情報社会とどのように付き合っていくべきでしょうか。

稲垣

情報端末の利用はメディア社会で生きていく上で必須のリテラシーです。ただ、つながり続けなければいけないことが新しい負担にもなっています。人間関係のつくり方も対面とメディアでは大きく異なるため、それぞれの違いや特徴を子ども自身が意識して切り替える必要があります。

また、情報が簡単に手に入るようになり、自分に必要な情報を選択するための主体的な情報処理能力が欠かせなくなりました。受動的では情報の洪水に埋もれてしまいます。情報処理は、技術的な問題だけではありません。自分の好奇心を維持しつつ、伸ばしていけるようなメディアとの付き合い方が必須になるでしょう。すると今度は、友達の持っている情報との共通項が少ないという問題が出てきます。違う情報や関心を持ちながらも、共通の感受性や感性を持っていること。多様性を認め合う社会の基盤として、共通性や普遍性は欠かせないものではないでしょうか。

コロナ禍におけるオンライン授業の課題

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コロナ禍でオンライン授業を受けることが普通になりましたが、対面授業と比較して課題はありますか?

稲垣

大学での話になりますが、オンラインでは画面を切り替えるだけなので、授業の選択範囲が広がります。特に大きなメリットは、海外の大学と授業を共同開催できることですね。

大人数のゼミだと対面では一度も発言しない学生がいましたが、オンラインではチャットでも話せるため、みんなが発言できるようになりました。一方、少人数の講義やゼミでは対面には届かない面もあります。特に感じるのは議論の仕方についてです。対面の場でなぜ学生たちが発言せず黙るかと言うと、みんなの前での発言には圧がかかるからです。一方、オンラインでは全員がフラットなため、圧がありません。フォーマルな場に出て行く、外国に行く、知らない人と話をする。そのような場で、圧があっても発言できるようにする訓練はグローバル社会では必須ですが、オンラインだけでは十分鍛えられないのではないでしょうか。

また、対面のゼミではオンラインと違って話し足りないときは延長して話したり、場所を移動してでも続けることがあります。新しい発見があったり、行き詰まりが解消されたり、そんな展開が授業後に生まれ、決められたゴールにはない面白さに展開することも。これが少人数授業やゼミの面白さでもあります。

柔軟な発想や創造性は枠が取れたときに生まれます。喫茶店や居酒屋で延々と続く議論。どうでもいいようなことを議論し続けるエンドレスなディスカッションは、学生時代にしか経験できないことです。そんな時間は対面の中にしかなく、オンラインでは難しいのではないでしょうか。

学びの場.com

京都大学では、どのような授業で対面授業が継続されましたか。

稲垣

実験や実習の授業ですね。医学の臨床や理学の実験実習はしっかりと感染対策を行った上で対面授業を継続しました。講義やゼミは原則オンラインでしたが、令和3年度10月下旬から順次ハイブリッドに移行しました。

コロナ禍における学生生活の変化

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コロナ禍で課外活動においても制限を受けていますが、同年代の人たちと日常的・長期的に対面で接する環境でなければ身に付きづらいものは何でしょうか。

稲垣

コロナ禍になって約2年。大学入学時に授業がオンライン化していて、ほとんどキャンパスに来ることがないまま専門課程に入った学生もいますし、大学に来ないまま修士課程が終了したという学生も出てきました。大学生活は授業以外の経験の範囲の広さが魅力なので、残念に思っている教員や学生は多いと思います。

学部や出身地の違いなど、さまざまな考え方や生き方と直接出会い、身体や感情全部で受け止め、全身でカルチャーショックを経験できる場が大学生活ですよね。自分が今まで「これが世界だ」と思ってきたものを広げる出会いや経験は対面の大学生活ならでは。それがあって初めて、メディアを通して他者を理解し、共感できるようになるのではないでしょうか。

コロナ禍の経験を活かすために

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「コロナ世代」はこの経験をどのように活かしていくでしょうか。

稲垣

コロナ前とは異なる経験や考え方をマイナスと捉えず、ポジティブに表現していける環境をつくることが大人の仕事ではないでしょうか。コロナは全世代共通の経験ですが、それぞれの世代で意味は大きく異なります。高齢者は死を身に迫った問題として考えなければいけなくなり、若い世代は将来が不透明になりました。5年先や10年先、私は今より楽しく生きていられるだろうか。そのために今を我慢するのではなく、今を充実して生きるために何をしたらいいのか。この答えを探していけるよう、世代を超えた理解が求められているのではないでしょうか。

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グローバル化・多様化が進む中で特に重要になってくるものは何でしょうか。

稲垣

近代社会の前提で子どもの成長を考えると、まず身近な人との身体を通した経験があり、徐々にメディアへと広げていくのですが、コロナ世代はメディアから入り、現実の経験へと逆転しています。そのメリットを活かせる可能性はありますよね。外国人との会話はハードルを感じがちですが、オンラインでは比較的スムーズです。誰とでもフラットに話す経験をした後では、抵抗なく対面のコミュニケーションに入っていけるかもしれません。

グローバル化とは多様な見方や考え方、生き方を認め、共生していくことで、人種や国籍、性別を超えていくものです。ではどうやって越えていくか。今のウクライナ問題が象徴的ですが、グローバル化の中で異質なものに出会うと理解の前に違和感や対立の原因になります。それが紛争につながることもあります。

自分の枠の中で他者に同情し共感しただけでは、理解したことにはなりません。異質な他者と実際に向き合う経験が必須で、他者と全身で対面するという経験がないとそれに耐えていけません。他者と折り合っていくマナーは大切ですが、マナーとは表面的に付き合うことではなく、他者と一緒に生きていくための技法です。ちょうど良い距離を他者とどう維持するか。感情をどこまで出し、どこまで抑えるか。これらは全身で相手と接する中で培われるものです。

コロナ禍の子どもたちは逆転をうまく活かし、フラットでグローバル化に入っていきやすいという素地の中から他者と真剣に向き合う経験を広げていけるはず。新しい教育文化を研究することを仕事とする教育者として、そう強く願っています。

記者の目

コロナ禍によって長期にわたる大きな制限を受け、子どもたちは学生生活を送っている。心身の成長の過程にある子どもたちにとって、その影響は大人以上だ。オンラインが身近になった今、身体性が持つ意味とその重要性について深く考える良い機会となった。オンラインによるグローバル化が加速した社会で子どもたちが逆転の経験を活かし、先の見えない未来を切り開く希望を持って社会に羽ばたいていくことを願う。

稲垣 恭子(いながき きょうこ)

京都大学理事・副学長(男女共同参画・国際・渉外担当)。女性の教育と教養文化の歴史社会学的研究や、学校・学生文化の社会学的研究、感情社会学の理論的・方法論的な検討等を行っている。「内外教育」に「『師弟関係』の社会史」を40回にわたり連載(時事通信社、2015~2017年)。主な著書に『女学校と女学生』(中公新書、2007年)、『教育文化を学ぶ人のために』(世界思想社、2011年)、『教育文化の社会学』(放送大学教育振興会、2017年)。

取材・構成・文・写真:学びの場.com

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