当時の資料から、戦争について多面的・多角的に考察を深める(前編) 愛知県立大府高等学校 「歴史総合」実践授業リポート

高等学校で2022年度から必修化された科目「歴史総合」。これまで日本史と世界史は別個に扱われてきたが、歴史総合では、主に18世紀以降の近現代史を、日本史・世界史の枠を超えて"総合"的に学ぶ。
「歴史総合」で求められるのは、近現代の歴史の中で、日本および世界がどのように変化してきたのかを、多面的・多角的に考察することだ。生徒が「自ら考える」ためには、授業も従来の板書型から転換する必要がある。生徒が資料を的確に読み込み、議論の中で考察を深める能力を高めるために、授業にも工夫が必要となる。今回は、愛知県立大府高等学校の普通科、生活文化科それぞれの歴史総合の授業をリポートする。
【授業概要】
教科:歴史総合
授業者:野々山 新 教諭
使用教材:タブレット端末、黒板、タイマー
単元指導計画:
| 時 | 普通科1年「戦争っていけないことじゃなかったの?」 | 生活文化科3年「戦争は私たちの生活をどう変えたの?」 |
|---|---|---|
| 1 | 「戦争っていけないことじゃなかったの?」 ⇒ウクライナの小学生が描いた絵を端緒に問いを抱く |
「戦争は私たちの生活をどう変えるの?」 ⇒戦時中のお菓子に着目して戦争の影響に関心を抱き、変化の予想を表現する |
| 2 | 「正義のための戦争ってありえるの!?」 ⇒WWⅠの米国参戦理由に疑問を抱き、正義とは何か検討する |
「バウムクーヘンはなぜ日本にやってきた?」 ⇒ユーハイムの挙動に着目して戦争と文化の伝播の関連性を考察する |
| 3 | 「戦争を拒む声は届かないの?」 ⇒犠牲者やその家族の嘆きに着目しつつ、それでも戦争が継続する事実へ葛藤する |
「私たちは、本当にできる?」 ⇒We can do itと戦争協力を求めるポスターに着目して総力戦体制の構造を考察する |
| 4 | 「力が生むのは戦争?平和?」 ⇒WWⅠ後の制裁に着目し、抑止力の是非について議論する |
「美男子は、ヒゲダン?」 ⇒日本男性のヒゲ文化に着目してアメリカ文化と私たちの価値観の関係性を考察する |
| 5 | 「第一次世界大戦って終わったんじゃなかったの!?」 ⇒WWⅠの禍根とその後の影響に着目し、WWⅡへの連続性に気付く |
★本時「美女子は、洋服?」 ⇒日本女性の服飾文化に着目してアメリカ文化と私たちの価値観の関係性を考察する |
| 6 | ★本時「早期終戦のための犠牲ってありなの!?」 ⇒加害と被害の複層性に着目し、倫理観を揺さぶる |
「洋服を作るのは、誰なの?」 ⇒女子教育の特質に着目してジェンダー格差の生成過程を考察する |
| 7 | 「大戦の教訓は私たちに活かされてるの!?」 ⇒国際連合の構造と現在における課題に着目し、私たちの立ち位置を吟味する |
「戦争は私たちの生活をどう変えたの?」 ⇒満鉄の観光促進ポスターに着目しつつ、学習内容を踏まえ成果物を作成する |
| 8 | 「争い合うのは仕方ないのかもしれない??」 ⇒SEKAI NO OWARI「Dragon night」を事例に、学習内容を踏まえ成果物を作成する |
― |
普通科1年「早期終戦のための犠牲って、ありなの!?」

取材した授業は第6時で、単元を貫く問い「戦争っていけないことじゃなかったの?」のもとに、「早期終戦のための犠牲ってありなの!?」を考える。
野々山先生が作成したA4サイズ裏表の「歴史総合プリント」に沿って6点の資料から、「被害」を最小限にするための「加害」とは、どの程度認められるものなのか議論する。その際、真珠湾攻撃や日本への原爆投下に着目する。
資料1 独ソ不可侵条約の風刺画

最初に提示されたのは、1939年にドイツとソヴィエト連邦(ソ連)が相互の侵略を禁じるために結んだ「独ソ不可侵条約」の風刺画だ。
当時の両国の利害が一致したことで結ばれた同条約を風刺画では、ドイツのヒトラーとソ連のスターリンを、結婚式の新郎新婦に見立てて描いている。そして風刺画の下には「このハネムーンはいつまで続く?」との懐疑的なコメントが記されており、長続きしないことが予想されている。
この条約は2年後には破棄され、互いに批判し合うまで関係は悪化した。
野々山先生が「どうして2年でここまで変化したのか?ということを、両国が出した批判文書から読み解いていこう」と、生徒に議論を呼び掛けた。
また、同盟破棄までの2年を「長いかどうか」と、生徒に問いかけた。挙手で聞いてみると、意見は半々だった。
資料2 ある政党が作成した宣伝絵葉書
資料2の考察では、日独伊三国同盟の際にイタリアが発行した絵葉書をどこの国のものかを伏せて、クイズ形式で紹介。生徒に「何が描かれているか」と聞くと、「武士が攻撃している」、「下に戦艦が沈もうとしている」「日本とドイツの国旗がある」などの意見が挙がった。
資料3 パールハーバー・アーカイブ

資料3では、日本の真珠湾攻撃を記録した動画を視聴した。
「私たちは原爆の犠牲者を知っていても、真珠湾攻撃の犠牲者を知らない」と、野々山先生。奇襲だから、普通の生活を送っていたところを突然、日本軍に攻撃された。「攻撃された人の感情は、数字では推し量れない」と。
パールハーバーでは、今も戦艦アリゾナが当時のまま沈んでいる。それには慰霊の意味もある。でも日本人にはあまり知られていない。「私たちはパールハーバーのことを知らない。なぜ知らないか。それは『非対称』だから」という野々山先生の言葉に、戦争の加害者と被害者という境界が、次第に曖昧になっていくのを感じた。
資料4 第二次世界大戦中の各国の様子、資料5 1944年10月7日 アメリカ兵ローレンス・ケインの友人宛の手紙より

資料4では、戦時中の3枚のポスターや写真から、それぞれの加害者、被害者は誰なのかと考えた。
「ドイツ軍によるロンドン空爆を逃れる市民」の写真では、「ドイツ軍が加害者で、ロンドン市民が被害者ではないか」という意見が。
女性へ軍需産業への動員を促すイギリスのポスターでは「イギリスが被害者では?でも、武器を作るということは、イギリスも加害者かもしれない」という疑念が。
「空爆されたドイツの都市ドレスデン」の写真では、「ドイツが被害者に見える」との意見が出た。
知っての通り、この場合、一般的にはイギリスが被害者、ドイツが加害者となる。しかし、この3枚の写真やポスターを通して「加害と被害は、渾然一体になる。加害者でもあり被害者でもあるのが戦争です」と、野々山先生から話があった。
資料5では、敵であるドイツの地を攻撃するアメリカ兵の気持ちが紹介された。
このように、戦争をさまざまな視点から見る資料が提示され、授業が進んだ。
資料6 アメリカ大統領トルーマンの声明(1945.8.9)

そして最後の資料として出されたのが、長崎へ2個目の原爆投下後に出された、アメリカのトルーマン大統領による声明だった。
トルーマンは声明の中で、「私たちはパールハーバーで奇襲を受けた。若いアメリカ兵の命を救い、戦争を早く終わらせるためには、原爆の投下は必要なことだった」と宣言している。
この声明に関連し、「被害を最小限にするための加害とは認められるのか?」について、まず隣の生徒と議論し、
白:認められる(賛成)
赤:認められない(反対)
の2択で、生徒に意見を求めた。
続けて野々山先生から「私は戦争や核兵器には絶対に反対だ。でも、アメリカの立場に立脚した時、原爆を投下しなかったら戦争が長引いてしまうと考えるのではないかと言われれば、答えが出ない。私自身も、正解がない問いにモヤモヤする。それでも、自分で考えを捻り出して、白か赤を選んでほしい」と促しがあり、授業は終了した。
授業後に提出されたワークシートを確認すると、白6割、赤4割ほどに分かれ、意見は拮抗していた。
白(認められる)の意見例
- 戦争を完全に止められる程度の最小限の「加害」なら認められる。被害は最小限にとどめたいけれど戦争はどうしても止めたい。
- アメリカ軍は日本の奇襲もあって原子爆弾を落とすことになったけど、原子爆弾は放射線の影響など後遺症が残っているから、加害するレベルが大事だと思う。犠牲を出すのはありだが程度を考えるべき。
赤(認められない)の意見例
- 罪を償うために暴力、虐殺などの加害ではなく、その人の自由を奪うこと(今でいう刑務所)で罪を償わせるべきだと思う。もし殺してしまったら残された家族がまた殺した側に恨みをもってしまい、負の連鎖につながる。
- 暴力(殺人)で解決するのではなく、加害者を刑務所に入れるように殺すこと以外で罪を償わせることなら認められると思う。
生活文化科3年「美女子は、洋服?」

続いて、生活文化科の授業。単元を貫く問い「戦争は私たちの生活をどう変えたの?」のもとに、戦争や戦後の状況の中で、食文化やファッションがどう変わっていったかを学んでいる。
取材した授業は第5時で、「美女子は、洋服?」と題し、日本女性の服飾文化に着目して「女性のファッションが変化していくのはどうしてなのか」を考察。「消費社会」「大衆文化」「モダンガール(モガ)」をキーワードに、アメリカ文化と私たちの価値観の関係性を考えた。
資料Ⅰ 1925年のファッション雑誌、資料Ⅱ テーブル席の宴会場にいる女性たちの写真

配布されたプリントの最初に提示されたのは、1925年のファッション雑誌の資料。ここには、当時の銀座で洋装と和装の人がどれくらいの割合で見られるのかが紹介されている。
ここでは、男性は洋装67パーセント、和装33パーセントと、すでに男性では洋装が多いことが示されている。女性の割合は伏せられていて、資料Ⅱも参考に、生徒全員で予想をした。
答え合わせがあり、女性の洋装率はわずか1パーセントと分かると、「どうして?」と、生徒の間で疑問が湧き、今回の授業の出発点となった。
資料Ⅲ アメリカの女性ファッションを紹介する雑誌の表紙

野々山先生は黒板に板書し、当時の世界のファッション事情を説明。1920年代にアメリカ文化が世界的に拡大した。日本では1923年に関東大震災が起き、その復興の過程で、欧米の文化が大量に流入した。そして、おしゃれに敏感な女性やショップの店員が、率先して洋服を着るようになったと、当時の時代背景の説明があった。
それを踏まえ、「最も実用的なアメリカンスタイル全集」と書かれた雑誌の表紙を掲示。先生から「この雑誌は、いつ頃発行されたものだろう?」と、4択の問いかけがあった。
- 1920 年代(資料Ⅰ・Ⅱの頃で、第一次世界大戦が終わって好景気になっている頃)
- 1930 年代(世界恐慌が始まり、日本の政治も国際関係も不安定になっている頃)
- 1940 年代(第二次世界大戦が始まり、戦争への協力が強く求められている頃)
- 1950 年代(第二次世界大戦が終わり、民主化が進んでいく頃)
それぞれの時代背景も考慮し、どの時代のものか考察した。ちなみに正解は4で、戦後に戦勝国アメリカの文化が大量に日本に入ってきた時代のものである。
授業のまとめでは、「モダンガールは、増えていったの?減っていったの?それはどうして? 資料を使いながら内容を整理し、表現しよう!」という課題にじっくり取り組んだ。
考察例
- モダンガールは増えていったのではないかと思います。WW2の後、アメリカの支配下になり、アメリカンスタイルが普及しやすくなったし、憧れるようになったと思います。また、資料Ⅲから分かるように、日本でもアメリカの文化が紹介された雑誌が発行されています。そういったところから徐々に他文化が許容され、受け入れられるようになったのではないかと思います。
後編では、授業者である野々山新教諭に、授業のねらいや工夫した点について伺っていく。
取材・文・写真:学びの場.com編集部
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