映画と教育:『ベスト・キッド』~他人への敬意、人との絆…カンフーから学ぶ精神論
現代のリアルな12歳の心理を描き出したリメイク版![]() ツ『ベスト・キッド』は84年にラルフ・マッチオ主演で作られた同名映画のリメイクだ。84年版では、ニュージャージーからカリフォルニアへと引っ越してきた内気な高校生が、知り合った女の子アリの元ステディからいじめられるようになり、その対策として空手を習い、3か月後の学生空手トーナメントで優勝して全てに片をつけることを目指す……というもの。 基本的にはリメイク版も流れは一緒。けれども本作はもっと見やすい展開に仕上がっている。まず大きな違いは主人公を高校生から12歳の小学生に変えたところ。正直言って、今の時代の高校生がいじめられたからといって、武道を習っていじめっ子と対決しようとする子はあまりいないだろう。また、本作では84年版と違い、ジェイデン・スミス演じる主人公ドレは決して内向的な少年ではない。むしろ自分から積極的に友達を作ろうとするタイプだ。いじめられたらやり返す根性だってある。 しかし彼が転校する先はアメリカではない。中国の北京なのだ。中国語が不得意な彼と友達になれるのは、同じように英語を喋ることができる中国人、あるいはドレと同じように海外から来た外国人だけだ。西洋と東洋では全く考え方も違えば、文化も違う。そりゃ、いじめられることだってあるだろう。このように、ドレがカンフーをマスターしようとする経緯が丁寧に描かれ、彼が感じている孤独感や戸惑いなども自然と胸に響いてくる(それにしても原題の『THE KARATE KID』はおかしい。それを言うなら『カンフー・キッド』だろ、とツッコミたくなる)。 ![]() 特に感動的だったのは、ドレがいじめられている事実を、懸命にも母親には見せまいとしているところ。12歳という親離れしたい年頃ゆえか、中国に来て早々にチョンという少年にボコボコに殴られても、ドレは母親にケンカしたことを報告しない。黙って母親のメイク道具を借りて目の周りのアザを隠す。化粧していることがばれても「柱にぶつかっただけだ」とごまかす。また何か落ち込むことがあったとしても、それを話さずに寝たふりをする。 台詞などで説明されていないけれど、この世界的な不況の中で景気が上向いている中国へ母親が転勤を命じられた時、2年前に夫と死別した彼女には他に選択肢がなかったことが想像できる。ドレも父の死と、母の置かれている状況を十分に理解し、一人前の男としてはまだまだ頼りないものの、なるべく母には迷惑をかけたくないと思っていることも。 冒頭、引越しのため物がすっかりなくなった家で、柱につけられた成長の証をじっと見て、自分自身で自分の背の高さのところに印をつけ、「中国に旅立つ日」と書き込むシーンから、ドレの寂しさと不安と“頑張らなきゃ”がない交ぜになった気持ちが伝わってくる。見知らぬ中国という土地で必死に頑張るドレの姿が何とも健気なのだ。 ジャッキー・チェン扮するカンフーの師から学ぶこと![]() そんな中で彼に希望を与えるのがジャッキー・チェン扮するハンという男だ。親子のマンション管理人であるハンは信じられないくらい無愛想な男だ(ジャッキーがいつもの人なつっこい笑顔を最後まで一切見せないのにはびっくり!)。実は彼には無愛想になるだけの理由がある。ネタバレになってしまうので書けないが、過去のある出来事から、彼は心を閉ざして必要なこと以外では他者と関わろうとしない。だがチョンたちいじめっ子たちに仕返しをしようとして逆に追われ、もう絶体絶命だというドレを、ハンは得意のカンフーで救ってしまう。そのせいでハンはドレからカンフーを教えてほしいと頼み込まれる。 最初は断っていたハンだが、ドレの特訓を引き受けることに。その理由は、いじめっ子のチョンたちが通う武術学校のリー先生が、子どもたちに「情けをかけず徹底的に相手をやっつけろ」というひどい教え方をしているからだ。「カンフーは武器ではなく平和の道具だ」と考え、「最高の戦いは戦わないこと」だと信じているハンにとって、これは許せないことであった。しかもリーは最初「仲直りに来た」というハンの言葉に一切耳を貸さず、逆に勝負まで挑んでくるのだ。そこでハンはドレをカンフー大会に出場させると約束する。それまではチョンたちにドレをいじめさせないというのを条件に。 ![]() 一番悪いのは教える側と言い切るハン。チョンたちのいじめに歯止めがきかないのも、強い者が最高という教えを受けているからなのだ。精神的に未熟な子どもは、強い大人の言葉に洗脳されやすいという点も見逃せない。本作は、大人が子どもを導くとき、その影響がいかに大きいか、責任がいかに重いか、声高ではないが教えてくれる。 また、次のようなシーンがある。ドレは母親に何度注意されてもジャケットをラックにかけず、床に放り出す癖をやめない。一方、ドレがハンのもとで修業を開始した時、まずやらされたのは中庭の柱にジャケットをかけて、はずして、着て、脱いで、落として、拾って、またかけて……を繰り返すだけの奇妙な訓練だった。実はこの流れの中にカンフーの基本の動作が盛り込まれ、ドレはいつの間にかそれを会得していくのだった。と同時に、その訓練のおかげでジャケットを床に脱ぎ捨てる悪癖も直ってしまうのだ。大人の導き方一つで、子どもは色々な可能性を伸ばしていくことを目の当たりにしたようだった。 そしてさらに本作ではハン自身の変化も描かれる。とある理由からハンは心を閉ざしたと書いたが、ドレの登場でハン自身も殻に閉じこもったままではいられなくなる。人を変えるのは人であり、最終的に決意するのは自分ではあるが、ハン自身の心をも変えていくドレとの出会いと絆がまた何ともいいのである。本作にはあらゆる所に様々なテーマが隠れていて、その一つ一つがクライマックスに向けて見事に繋がっていく。だから決戦のカンフーシーンでも、完全にエモーションが乗ってしまうものだから、単純に「カッコいい技がキマった!」だけでなく、心の底から「よし! やった!」と叫びたくなる。 ウィル・スミスの息子、主演ジェイデンの頑張りぶりも見所![]() 本作がこれだけの感動を与えてくれる作品になった大きな理由は、主人公を演じたジェイデン自身が本気でカンフーを稽古し修得したことがある。北京ロケが始まる3か月前からみっちり訓練し、もちろん撮影が始まってからも練習を続けていたという。ハン役のジャッキーも「撮影が始まった地点でジェイデンはまだ11歳だった。でもプロ意識が高くてセットで不平を言うことは一度もなかったね」とその頑張りぶりを称賛していた。ジェイデンの頑張りなくしてこの映画は成立しなかったろう。 実際にジェイデンのコーチに当たったのは、ジャッキーが抱えるスタント・チームでスタント・コーディネーターを務めるウー・カンだが、彼は子どもを教えるときにまず技ではなく精神論、特に他人への敬意を持つことから教えているという。 もともとジェイデン自身がウィル・スミスとジェイダ・ピンケット・スミスという二人のスターから生まれながら、おごることないよう育てられていたのも良かったのだろうが、本当にわがまま一つ言わず、ほとんどのシーンを吹替えなしに演じたジェイデンはたいしたものだと思う。そう、本作は劇中でもドレの頑張りや成長、人として大切なことを学ぶ過程が描かれていくが、実生活でもジェイデン自身、色々学ぶことが多い現場となったようだ。 ![]() この映画が公開される前、言いたがり屋な人々が「名作をウィル・スミス親子が踏みにじる」などと揶揄していた。確かに息子を主演に据えて、両親が製作に回っていると聞けば、そんな偏見を抱く人もいるかもしれない。しかし結果として、ここまで息子の力を信じ、息子の良い面をすべて見せようと大金をかけ、これほどの傑作を作れる親がいるだろうか? 確かに“親バカ映画”と思う人もいるかもしれないが、ここまで我が子を信じ、そしてその親に応え、演じ切れる子どもがいるかと、私は逆に聞きたいくらいだ。 考えてみれば、ウィル・スミスはアカデミー賞授賞式の最中に子どもの具合が悪いと連絡を受けて、自分が受賞するかどうかはどっちでもいいと、すぐに式を抜け出して家に帰ってしまうような人である。仕事を優先させて「家族愛なんぞ、どこへやら」な親よりも、我が子に愛情を注ぎ、躾もビシビシ行っている“親バカ”丸出しのスミスのほうが、私には好感が持てる。 とにかくスミス一家の愛情がたっぷり感じられ(特にエンドロールに貼り付けられたメイキング写真はちょい強烈だが)、思わず「いいなぁ」。そんな家族愛の上に成り立った本作の、人と人との出会いと絆の素晴らしさや、どんなことがあっても解決するのは自分自身の力しかないというテーマを、エンターテインメントとしてここまで見せつけた力量に、素直に、心から、拍手を送りたい。 |
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データ
監督:ハラルド・ズワルト/原案:ロバート・マーク・ケイメン/出演:ジェイデン・スミス、ジャッキー・チェン、タラジ・P・ヘンソンほか ストーリー
父を亡くし、新生活を求めてアメリカから北京に引っ越した少年ドレ。が、言葉も文化も違う新しい環境になじめず、地元のカンフー少年のチョンにいじめられる毎日。そんなある日、ドレはマンションの管理人ハンに助けられる。実はハンがカンフーの達人であることを知ったドレは、懸命にハンにカンフーを教えてほしいと頼み込むのだが……。 文:横森文 |
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