2016.07.27
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子どもたちの社会

京都教育大学附属桃山小学校 教諭 若松 俊介

子どもたちにとっての教室とは

教室は子どもたちの小さな社会です。

いや、子どもたちにとっては大きな社会ですね。

同年齢の仲間と毎日を共に過ごしていく。

当たり前だけど全員に思いがあり、

一つのことに対しても考えていることはバラバラ。

でもその中で学習だけでなく、そうじ、給食など様々な活動を共に行っていく。

 

大人であるのは教師だけ。

教室のほとんどを占めているのは子どもたち。

だからこそ教室は子どもたちのものであるべきです。

 

教師の強いリーダーシップやカリスマ性で教室がうまくいっている。

これってとてもこわいような気がします。

「うまくいっているように見える」だけかもしれません。

教師がいなくても

次の学年になっても

残っている力、残っていく力こそ本物の力です。

 

そもそも「うまくいく」っていうのもおかしな話ですよね。

うまくいく必要ってあるのでしょうか。

誰にとって「うまくいく」なのか。

教師にとって?子どもたちにとって??

色んな人がいるのだから、うまくいかないのが当たり前。

そこに教師が介入し過ぎてしまうと、

学級をより良くしていくのは「教師である大人」になってしまいます。 

 

教師が決めたルール

教師が決めた方法

 

その通りに行動するとうまくいくことは多いでしょう。

でもそうなると子どもたちはどこか受け身になってしまいます。

そのルールや方法を守る守らないが大事になり、

どこかやらされる、守らされるというものが出てきます。

 

子どもたちが「自分たちの社会」という意識を持った時、

教室で起きることは他人事で無く自分事に変わっていくでしょう。

子どもたちとつくる学級

そのためにはどうすれば良いのか。

いきなり子どもたちに全てを任せてもうまくいきません。

これまで「大人が決める」学級だった子ほど、

何をすれば良いのか、何をして良いのか分かりません。

 

まずは、先ほどのルールや方法の部分を子どもたちと一緒に考えていくことが大切だと考えます。

給食、そうじ、席替えなどなど。

ついつい「こっちの方がうまくいく」と思っても言わない。

うまくいかなかったら、

「だったらこうしてみれば?」をまた子どもたちと一緒に見つけていく。

何度も何度もその繰り返し。

 

もちろん人を傷つけること、命に関わることは指導します。

しかし、それ以外はたくさん失敗をさせたらいいのかなと。

「失敗から学ぶことがある」ということを学ぶと、

どんどんチャレンジするようになってきて、

もう失敗は失敗でなくなってきます。

 

「自分」が活かされる学級だからこそ、

学習においても「自分」を出そうとします。

仲間と対話しながら学級をより良くする経験があるからこそ、

学習でも仲間と協力しながら学び合おうとします。

自分たちの幸せは自分たちでつくるという経験によって、

あらゆる場面で主体的に動けるようになってきます。

教師の在り方とは

教師がどのような場づくりをするかで大きく変わります。

何を言って何を言わないのか、

色んなことを教師が見通せるようになればなるほど、

その見極めができるようになってくるのだと思います。

教師自身もふり返りの毎日。

 

「言わない」のか「言えない」のか。

そこには大きな違いが出てきます。

 

「教室は子どもたちのものだから、何でも子どもたちに任す」

では短絡的過ぎますね。

子どもたちの「今」をしっかりと見つめた上で、

どんな声かけをするのか、

どんな場をつくるのか、

どう「気づける」ように支えるか、

ということを見つけていきたいです。

 

アクティブ・ラーニングって、方法ではなく

教師の在り方が問われるのかなと思っています。

子どもが何を見ているのかを見る目が大切でしょう。

そんな目をこれからも鍛えていきたいと思います。

若松 俊介(わかまつ しゅんすけ)

京都教育大学附属桃山小学校 教諭
「子どもが生きる」授業を目指して、日々子どもたちと共に学んでいます。子どもたちに教えてもらった大切なことを、読者の皆様と共有していければ幸いです。国語教師竹の会所属。

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