2015.11.03
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「子どもが生きる」学びのスタート

京都教育大学附属桃山小学校 教諭 若松 俊介

 

 

はじめに

 前回、「子どもが生きる」ということについて書かせていただきました。自分の考えていることを書いて整理していく中で、これから大切にしていくことを改めて考えるとても良い機会となりました。これからは、「子どもが生きる」とあらゆる状況・場面をつなげながら考えていきたいと思います。今回は「子どもが生きる」学びのスタートに注目して書いていきます。
 

学びのスタートと「問い」

 「問い」は、おたずね・質問・課題意識・・・など様々な言い方があります。子どもでも大人でも学んでいることや、日常の様々な事象に対して「これってどういうことなんだろう?」「どうしてこうなるんだろう?」というような問いを持つと、自然に追究心が生まれてきます。これらが学びのスタートです。
 教師として、子どもたちが学びを生み出すための発問にこだわることはもちろん大切です。そのための教材分析・教材研究は欠かせません。ただ、もし教師が「教える」、子どもは「教えてもらう」だけになってしまうと、子どもたちはずっと受け身になってしまいます。「教え方がうまい教師」「面白い問いを出してくれる教師」を求め続けてしまうかもしれません。しかし、子どもたち一人ひとりが持つ「問い」を学びのスタートにすると、子どもたちは主体的に学び続けていくことができます。そのためには、気になったことや感じたことをそのまま出し合える学級の雰囲気づくりを大切にすることはもちろん、「問いを生み出す力」を育てる意識を持たなくてはいけません。「問い」の自然発生だけを待っていては、「子どもを大切にする」と言っておきながら、ただの子ども任せになってしまいます。
 そこで4月当初は、まず「問いをつくる」経験を大切にします。とにかく思い浮かぶかぎり「問い」を出していく。例えば、私の学級では子どもたちにバナナを見せて、そこから思い浮かぶ「問い」をたくさん聴きました。
 
すると、子どもたちからは、
  • どうしてバナナは黄色いのだろう。
  • バナナを漢字で書くとどう書くのだろう。
  • バナナはどこの国でよく生産されているのだろう。
  • 海外ではバナナは何円で売られているのだろう。
  • バナナはどのような栄養があるのだろう。
・・・など、実に様々な「問い」が生まれました。
 問いを生み出す力あれば、バナナ1本でも学び出すことはたくさんあります。いきなり質の高い「問い」は生まれないかもしれませんが、「教えてもらう」だけでなく、「自分から問いを出すことによって、いくらでも学ぶことができる」ということを知ることが大切かなと思います。子どもたちは、様々な授業でその大切さや面白さを実感したからか、学級目標の1つに「?を考えて!に変えよう」というものを取り入れました。
 

国語の授業での「問い」

 現在、私は国語を中心に研究しています。その中でも特に追究したいと考えているのは、今回の話とつながる「問いづくりと問いの解決」です。子どもたちが、まず1人で教材文の読みどころにおいて、自分で問いを作って、それらを解決していきながら読んでいけるように進める。つまり、自問自答しながら文章を読んでいけるようにしたいと考えています。また、こうした子どもたちから出た問いを、「聴き合い学習」で共通の課題となるようにして、解決していくために、手がかりとなる大事な文章を共に見つけ出していけるようにします。子どもたちから出た問いを、子どもたちが主体的に関わり合いながら解決していくような「聴き合い学習」の中で、友だちと読みを高め合え、自分自身の考えもより深めていくことができるのではないかと考えています。
 例えば、光村図書5年には「なまえつけてよ」という物語があります。ここで、学級の子どもたちは、「題名はどうして『名前つけてよ』ではないのか。」という問いを出しました。この問いを中心にして、一人ひとりの考えを聴き合うことによって、登場人物の関係や内容的価値、作者の表現の特質にも迫っていくことができました。
 「問い」をつくることは、あまり難しくありません。子どもたちは、私たちが当たり前に考えているような様々なことに対してもたくさんの問いを持っています。そこで、国語においても4月はまずどのようなものでもいいからたくさん「問い」を出せるようにします。そこから自分たちが抱いた「問い」について考えていくことによって、読みがより深まる経験をすると、また新たな「問い」をつくろうとします。「問い」の中身も気になりだします。そこからは、自分たちの経験をもとにして「浅い問い」「深い問い」の基準について考えてみることもいいかもしれません。冒頭の写真は、子どもたちが考えた基準です。
 
 自分の「問い」が学びのスタートです。そこから交流することによって、自分の読み方がまた変わってきます。これまで気づかなかった文章表現にまで立ち止まりだします。こうした積み重ねによって、「問い」の質と同時に、読みの質も向上してくるでしょう。
 

一人ひとりの「問い」を追いかけて

 今後は一人ひとりの「問い」を生み出す過程を見つめていきたいなと考えています。教師として、その学習内容に対する子どもたちの問いが「浅い」「深い」などの感覚は持っていたとしても、決して評価してはいけないなと思っています。なぜなら、その子の今の全力の「問い」だと思うからです。まずは子どもたちの生み出す「問い」そのものをしっかりと受け止め、さらに向上していくための場づくり、そして、それらを追究していくための場づくりを子どもたちと共に見つけていきたいです。

若松 俊介(わかまつ しゅんすけ)

京都教育大学附属桃山小学校 教諭
「子どもが生きる」授業を目指して、日々子どもたちと共に学んでいます。子どもたちに教えてもらった大切なことを、読者の皆様と共有していければ幸いです。国語教師竹の会所属。

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