ゆとり教育の失敗、その後、日本の教育はどこに向かうのか?

1月8日、東京大学にて行われた公開シンポジウム『世界の科学教育』。前半の講演部分については「学びの場見聞録」でご紹介しています。ここでは、後半のパネルディスカッションの模様を一部ご紹介いたします。
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講演に続き、休憩を挟んで後半はパネルディスカッションとなった。参加者は、前半の講演者全員に、パネラーとして下村博文(文部科学省政務官)、立花隆(評論家)、黒田玲子(東京大学教授)の3氏が加わった。 ■近い将来、日本は中国に圧倒されるかもしれない 立花 学習指導要領の見直しがあって、1997年入学の学生から大学生のレベルがぐんと下がった。その学生たちも2001年には社会に出て、一般社会で学力低下の認識が広がりはじめている。たとえばテレビで取材前にリサーチをする場合、インターネットで資料を集めて英文の資料は翻訳会社に回すが、ここ数年サイエンスものの翻訳はかなりひどい。これは、翻訳をチェックする者のレベルが下がっているのだと思う。しかし学力低下はまだ止まらない。「ゆとり教育」の影響を受けた学生が大学に進み、大学生の学力がさらに下がるときがやってくる。 黒田 今、第3期科学技術基本計画を審議中だが、そこで問題になっているのは優秀な人材が不足している、ということ。人材は野菜のように促成栽培できるものではない。中国は今、優秀な人材をどんどんアメリカから呼び戻している。アメリカも政策を転換し、グローバル化を進めて優れた人材を世界中から集めようとしている。 下村 2004年は義務教育の国庫負担削減など、教育を巡りいくつも問題があがった。昨年のことはあとになって「2004年教育ショック」といわれるかもしれない。文科省は、国庫負担が削減され権限の減少につながることを恐れている。 立花 ゆとり教育が全面的に悪かったといっているわけではない。中には「自分で考える力を伸ばす」など、評価できるものもあったし、ゆとり教育前の「詰め込み教育」にも悪いところはあった。今の話を聞いていると、ゆとり教育以前の悪い方向に進む可能性があるような気がする。 下村 確かにゆとり教育はそれまでの教育の反省から生まれた。だからといってかつての画一教育に戻そう、というわけではない。みんなが同じものを目指すのではなく、能力に応じた教育が必要だ。そして、最低限の分量については全員身につける必要がある。 松田 政策の変更で大学院生の数が増えた。数は増えたがその後研究を続ける人は依然として少ない。つまり投資したお金が有意義に使われず、高学歴無職者を増やしている。しかしこうした者が教員の資格を取ることができれば、学位取得者の有効利用ができるのではないか? 下村 教育学部で教員を養成するだけでなく、教員養成の大学院を作る計画がある。学位取得者の教員免許取得についても柔軟に考えていきたいと思う。 黒田 海外では、ポストドクターはいろいろな場で活躍している。社会の側でも受け入れる体制づくりが必要なのではないか。 (ここで下村政務官は所用のため退席。代わりに文科省の若手官僚が発言する) 藤原(初等中等教育局財務課) 義務教育というのは国と地方と両方で責任を負うべきもの。ただ、実際には国の人材を育成している、という面が大きい。だから義務教育に関しては国が全面的にバックアップすべき。イギリスでは、2006年より義務教育の費用をすべて国で負担するようにしている。 松本(科学技術・学術政策局) 理数教育に関して文部科学省では、平成14年から「理科大好きプラン」を始めているし、理科教育振興法を充実させて取り組んでいく。学会からは理科離れを憂う発言が多いが、学会からも、たとえば「科学リテラシー」はいかにあるべきか、というような提言をもっと出してほしい。
<発言1> <発言2> (取材・構成/堀内一秀) ◆前半の講演の模様はこちら |
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