2005.01.25
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ゆとり教育の失敗、その後、日本の教育はどこに向かうのか?

1月8日、東京大学にて行われた公開シンポジウム『世界の科学教育』。前半の講演部分については「学びの場見聞録」でご紹介しています。ここでは、後半のパネルディスカッションの模様を一部ご紹介いたします。


















 


















 




























 

 

 講演に続き、休憩を挟んで後半はパネルディスカッションとなった。参加者は、前半の講演者全員に、パネラーとして下村博文(文部科学省政務官)、立花隆(評論家)、黒田玲子(東京大学教授)の3氏が加わった。
 前半の講演で時間が延びたため、後半のディスカッションは当初の予定より時間が短くなってしまった。しかし、主催者の松田氏が、「7年前この会合を始めたとき、まさか数年後に文部科学省の政務官と立花隆さんが隣同士に座ってディスカッションする日が来るとは予想もしなかった」というように、下村博文政務次官と立花氏のやりとりは今の文部科学省の立場を浮き彫りにした。ここでは、そのあたりのやりとりを中心にお伝えしたい。

■近い将来、日本は中国に圧倒されるかもしれない

立花 学習指導要領の見直しがあって、1997年入学の学生から大学生のレベルがぐんと下がった。その学生たちも2001年には社会に出て、一般社会で学力低下の認識が広がりはじめている。たとえばテレビで取材前にリサーチをする場合、インターネットで資料を集めて英文の資料は翻訳会社に回すが、ここ数年サイエンスものの翻訳はかなりひどい。これは、翻訳をチェックする者のレベルが下がっているのだと思う。しかし学力低下はまだ止まらない。「ゆとり教育」の影響を受けた学生が大学に進み、大学生の学力がさらに下がるときがやってくる。
 それに比べ、中国の高等教育は今ものすごい勢いで伸びている。中国は文化大革命で大学が10年間ストップしていたが、今はその空白期間が埋まりつつある。国の政策決定に際しても、きちんとした科学者が参加できる体制になっている。このままだと、近い将来日本は中国に圧倒されてしまうのではないか。
 日本の将来を考えると、これはとても大きな問題だと思う。

黒田 今、第3期科学技術基本計画を審議中だが、そこで問題になっているのは優秀な人材が不足している、ということ。人材は野菜のように促成栽培できるものではない。中国は今、優秀な人材をどんどんアメリカから呼び戻している。アメリカも政策を転換し、グローバル化を進めて優れた人材を世界中から集めようとしている。

下村 2004年は義務教育の国庫負担削減など、教育を巡りいくつも問題があがった。昨年のことはあとになって「2004年教育ショック」といわれるかもしれない。文科省は、国庫負担が削減され権限の減少につながることを恐れている。
「ゆとり教育」についていえば、現中山文部科学大臣は、戦後の大臣としては初めて学力低下を認めた。国は今、義務教育のあり方について見直しをしているところだ。ゆとり教育の結果、子供は学力が低くなっただけでなく、能力に合った授業が行われないのでやる気までなくなってしまった。
 技術立国である日本にとっては、人材が唯一の財産だといえる。そうであれば、教育は国家の戦略としてとらえる必要がある。これから教育関係の予算を増やすともに、全国学力テストを行い、中教審の中にも理数教育の部会を新たに設けていく。

■かつての画一教育に戻そう、というわけではない

立花 ゆとり教育が全面的に悪かったといっているわけではない。中には「自分で考える力を伸ばす」など、評価できるものもあったし、ゆとり教育前の「詰め込み教育」にも悪いところはあった。今の話を聞いていると、ゆとり教育以前の悪い方向に進む可能性があるような気がする。

下村 確かにゆとり教育はそれまでの教育の反省から生まれた。だからといってかつての画一教育に戻そう、というわけではない。みんなが同じものを目指すのではなく、能力に応じた教育が必要だ。そして、最低限の分量については全員身につける必要がある。

松田 政策の変更で大学院生の数が増えた。数は増えたがその後研究を続ける人は依然として少ない。つまり投資したお金が有意義に使われず、高学歴無職者を増やしている。しかしこうした者が教員の資格を取ることができれば、学位取得者の有効利用ができるのではないか?

下村 教育学部で教員を養成するだけでなく、教員養成の大学院を作る計画がある。学位取得者の教員免許取得についても柔軟に考えていきたいと思う。

黒田 海外では、ポストドクターはいろいろな場で活躍している。社会の側でも受け入れる体制づくりが必要なのではないか。
 イギリスでは理数系の学力を上げるために、物理と数学教師の賃金を上げた。このように、日本でも何らかの形で理数教育に力を入れる必要があるのではないか。

(ここで下村政務官は所用のため退席。代わりに文科省の若手官僚が発言する)

藤原(初等中等教育局財務課) 義務教育というのは国と地方と両方で責任を負うべきもの。ただ、実際には国の人材を育成している、という面が大きい。だから義務教育に関しては国が全面的にバックアップすべき。イギリスでは、2006年より義務教育の費用をすべて国で負担するようにしている。

松本(科学技術・学術政策局) 理数教育に関して文部科学省では、平成14年から「理科大好きプラン」を始めているし、理科教育振興法を充実させて取り組んでいく。学会からは理科離れを憂う発言が多いが、学会からも、たとえば「科学リテラシー」はいかにあるべきか、というような提言をもっと出してほしい。


このような発言が続き、パネルディスカッションは予定の時間をはるかにオーバーして終了した。パネリストたちの発言が終わり、会場からもいくつか意見が出された。そのうち、現場の教師からのものを紹介したい。

<発言1>
先ほど中国の例として、生徒の成績で教師の給料に差をつけるという話が出たが、もし日本で実施すると、優れた教授法を人に教えなかったり、お互い足の引っ張り合いをするのではないかと思う。

発言2>
このパネルディスカッションでは主に「ゆとり教育」が話題として取り上げられたが、観点別評価のことも考えてほしい。文部科学省は現場の自主性・裁量に任せるといっているが、教師の負担はあまりに大きい。観点別に、一人ひとりの生徒について評価をするとなると、毎日膨大な数のデータを入力しなくてはならず、その作業に追われて授業の準備をする時間がとれない。観点別評価をなくさなければいい授業をするのは難しい。

 (取材・構成/堀内一秀)


◆前半の講演の模様はこちら
 


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