科学エッセイ:あなたとわたしの違い~ゲノムと環境
あなたとわたしは「生まれ」も「育ち」も違う 当たり前の話ですが、あなたとわたしは違います。「生まれ」の違いと「育ち」の違い、これらの違いがあなたとわたしが違う理由です。 しかしながら、全てが生まれの違いだけで決まる訳ではありません。この0.1%のゲノムの違いに加えて「育ち」の違い、すなわち生きてきた「環境」の違いがあなたとわたしの違いに影響します。 そもそも「わたしのゲノム」って何? 「わたしのゲノム」とは、わたしが誕生する元となった受精卵に含まれていた全遺伝情報のこと。具体的にはわたしたちが持つ23対46本のDNAに含まれる遺伝情報のことをいいます。遺伝情報はDNAを構成する4種類の塩基と呼ばれる物質である「アデニン(A)」「チミン(T)」「グアニン(G)」「シトシン(C)」の並びで表されます(本「科学夜話」の加藤牧菜氏「遺伝子、DNA、ゲノムってなに?」の〈図4〉 をご覧ください)。わたしのゲノムを「A」「T」「G」「C」の4文字で表すことにすると約60億文字に相当する情報量に相当します。 ゲノム情報は「遺伝子」と「非遺伝子領域」に分けられるゲノム情報は大きく分けると「使われる情報」と「使われない情報」に分けることができると考えられています。前者は「遺伝子」、後者は「非遺伝子領域」や「ジャンク(がらくた)DNA」などと呼ばれています。 「遺伝子」からはその情報を利用して「遺伝子産物」がつくられます。遺伝子産物の大半は「タンパク質」です。わたしたちヒトの場合、約10万種類の遺伝子産物がつくられると考えられています。これら約10万種類の遺伝子産物による複雑な化学反応系が構築されることで、細胞が、ひいてはヒトが生きていくことができていると考えられています。
〈図1〉DNA、遺伝子、非遺伝子領域の関係。遺伝子の情報から、タンパク質をはじめとする遺伝子産物ができる。 一方、「非遺伝子領域」からは遺伝子産物はつくられません。その意味において「ジャンク(がらくた)DNA」という表現は的を射たものであるということができるでしょう。
生まれの違い1 -遺伝子の多様性‐
1つの遺伝子座には1つの遺伝子しか位置しません。しかしながら、同じ遺伝子座に位置しうる1つの遺伝子には、複数の種類があります。つまり遺伝子には「多様性」が存在するのです。これらの知見をもとに、現在では「遺伝子プール」という考え方が提唱されています。すなわち、同じ遺伝子座に位置することができる多様な遺伝子は常に「プール」されていて、わたしやあなたはその「プール」から1つの遺伝子を持ってきて遺伝子座に位置させているとみなすことができるのです。 実際には、両親それぞれから受け継いだ2組の遺伝子座があるので、ある遺伝子座に対して、遺伝子プールから2つの遺伝子を持ってきます。といっても実際にどこかに遺伝子が貯め込まれているプールがあるわけではなく、「遺伝子プール」とはあくまで説明のための概念的なものであり、プールに相当するのは、地球上の全ての人々です。2つの遺伝子を持ってくるということは、両親から2つの遺伝子を受け継ぐことに相当しています。 わかりやすい例としてABO式血液型を決める遺伝子であるABO遺伝子をとりあげてみましょう。ABO遺伝子には大ざっぱに分類して「A」という種類、「B」という種類、「O」という種類の3種類が存在することが知られています。つまり「遺伝子プール」には大ざっぱに言ってこれら3種類の遺伝子が「プール」されていることになります。
〈図2〉遺伝子プール(イメージ図) そしてこのプールから ただし、正確には「A」「B」「O」という分類を、さらに細かく分類することができます。これらの細かい分類は、血液型という表現型には影響を及ぼさないため普段話題になることもありませんが、遺伝子プールの中には含まれているのです。そしてABO遺伝子の遺伝子座だけに限らず、約2万5000の全ての遺伝子座について同じことがあてはまります。 生まれの違い2 -非遺伝子領域の多様性-遺伝子に多様性があるだけでなく、非遺伝子領域にも多様性は存在します。むしろ、非遺伝子領域の多様性は遺伝子の多様性よりも、さらにずっと変化に富んでいます。その理由は、遺伝子に有害な変化が起こると、その有害な遺伝子を持つ個体は生き残ることができなくなるため、有害な遺伝子は遺伝子プールの中に残らず、消えてしまうからだと考えることができます。 一方、非遺伝子領域は変化したとしても有害なものになることはほとんどないため、その変化は淘汰されることなく蓄積されてきたと考えられています。結果として、ゲノムの約7割をも占める非遺伝子領域には多くの多様性が見られます。そのため、この多様性は「DNA鑑定」として利用されています。非遺伝子領域の多様性がまるで「指紋」のような役割を果たすのです。例えばある人のある場所の非遺伝子領域では、C,T,Aという3文字が5回繰り返されているのに、別の人では7回繰り返されているといった違いが、指紋のような役割を果たします。このような箇所を複数組み合わせることで、個人の特定が可能になるのです。 また、非遺伝子領域には何の役割も持たないのではなく、遺伝子の使われ方を調節する機能を持つのではないか、そして、体質や個性といった微妙な差異は非遺伝子領域の個人差によってもたらされているのではないかと考えられ始めています。 育ちの違い あなたとわたしは、生まれ(ゲノム)だけでなく、育ってきた環境も違います。わたしは山と海と川に囲まれて育ってきましたが、あなたは都会のビルに囲まれて育ってきたかもしれません。わたしは野菜嫌いで肉や魚を好んで食べてきましたが、あなたはそうではないかもしれません。 あなたとわたしは生まれ(ゲノム)が違うのだから当たり前だと思われるかもしれません。しかしながら、たとえゲノムが全く同じである一卵性双生児も、育ちの環境の違いによって全く同じ人にはならないことが知られているのです。それだけでなく、生まれつきある病気にかかる可能性があった子でも、育ちの環境によっては病気にかからずにすむことができることも知られています。 よく知られている例として、フェニルケトン尿症という病気をあげることができるでしょう。この病気は、フェニルアラニンというアミノ酸を摂取してもそれを代謝することができず血中に蓄積することが原因で発症し、知的障害などの症状がでることが知られています。しかしながら、フェニルアラニンを含まない食事環境で育てられた場合には、発症せずにすむのです。 結びここまで説明してきたとおり、あなたとわたしに違いがあるのは、生まれ(ゲノム)と、育ち(環境)の両方が違うからだ、ということになります。このように、「生まれか育ちか?」という昔からの疑問にも、現代の生命科学は科学的な答えを与えようとしているのです。
構成・文:加納圭/イラスト:みうらし~まる ![]() プロフィール 1980年生まれ、和歌山県出身。2003年、京都大学理学部卒業後、同大学院生命科学研究科(西田栄介研究室)でMAPKと線虫C. elegansの寿命の関係について研究。「RNAi法を用いた線虫MAPKカスケードを構成する遺伝子の寿命に対する影響の網羅的解析」で修士号取得。2005年に博士後期課程に進学するのを契機に同大学院内の加藤和人研究室に移り、サイエンスコミュニケーションを専門とする。その中でも特に「生命科学教育」を専門に扱い実践的研究を行っている。 |







