2026.04.13
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「問題のあるクラス」とされる保育の場で、それでもつながっている細い線をたどる

アメリカ・モンタナ州のボーズマンという町で、モンテッソーリ保育士として働くかたわら、大学院でも学びを深めています。
今回は、3週間の日本帰省から戻った教室の様子を綴ります。

ボーズマン・モンテッソーリ保育士 城所 麻紀子

帰国後の教室で、ごたごたは一段階進んでいた

日本での3週間を終えて教室に戻った後、ごたごたは前回書いたときよりも、もう一段階進みました。
主任だった先生はポジションを離れ、隣のクラスの先生もひとり園を去りました。

子どもに集中したい、と言い聞かせながらも、止まないざわめきは私の五感に入り込んできます。

知らされていなかったイースターのイベント

正式な主任が来るまでのあいだ、仮の主任としてクラスを見ている先生が、早朝、「今日はイースターの卵を染めるわよ!」とにこやかに言いました。
「卵を染めるの?!そんなことやったことないわ。新しいイベントね」と返すと、「そう、私が作り上げたイベントなの!」とのこと。
イースターのイベントを行うことは知らなかったけれど、突然何か作業がふられるわけではありませんでした。

午後に私が外遊びを担当していると、教室内では、紙皿に並んだゆで卵と、たくさんの色の染料が入ったカップが用意されていました。教室の一角が小さなお祭りのようです。
お迎えの時間に保護者が入ってきて、子どもと一緒に卵染めを楽しんでいました。子どもたちは、どの色にしようかといろんな色のカップを見比べて悩んだり、そっと沈めたはずの卵を勢いよく落として染料をはねさせたりしながら、楽しそうな声をあげています。

情報共有より、目の前の子どもに集中したい

お昼休憩のとき、スクールアシスタントの先生が小さくため息をついて言いました。
「一言、イースターイベントのこと教えてくれたらよかったのに。なんだか輪の外にいるような気がするわ。まきは聞いてた?」
「いや、わたしもまったく聞いてなかったよ!でも、なんか楽しそうで、いいよね」と笑って返すと、「あ、それを聞いて安心したわ」と。
その会話をしながら、自分は全く違和感を覚えていなかったことに気づきました。

私としては、園で起こっていること全部を把握することは不可能だし、必要でもないと考えています。自分の役割の外側のことは、任せられる人に任せたい、というのが私のスタイルです。そして、単純に、私は目の前の子どもに、少しでも多くの注意を向けていたいのです。

「問題があるクラス」と見られる教室の現実

経営者を含め、他の先生や職員たちは、私たちのクラスにかなりの危機感をもっていて、「大変だね」「また、いろいろ変わりそうだよね」と同情や批判をこめた視線や発言を向けてきます。
経営陣は、「ここはもっと良くできるわね」と、やわらかい言葉で足りないところや気になるポイントを指摘しますが、私たち現場の先生には「全体を見ていないから、そう見えるのよね」と、不評です。「また何か言われたね。」と、疲れた笑いがこぼれます。

保護者からの反応も、厳しいです。
以前のクラスでは、行事のあとなどに小さなカードやプレゼントをよくいただきましたが、このクラスではほとんど何も届きません。

ごたごたの中で園を去っていった姉弟のことも、解雇された先生のことも、パートタイムに変わった主任のことも、子どもたちはほとんど話題にしません。
その無風さの背景には、子どもたちと先生・クラスメートとのつながりが、まだ深く育っていなかったこともあるのかもしれません。

保護者の一言が、自分の見方を立て直してくれた

そんな中で、「あなたが日本から帰ってきたことを、うちの子がすごく喜んでいるんですよ!」と、わざわざ伝えてくれた保護者がいました。

教室全体としては目立たなくても、子どもと保護者と先生とのあいだに細い線が一本、確かにつながっているというような感覚でしょうか。
その感覚が、問題のあるクラスに傾きかけていた自分の意味づけを、少しだけ支え直してくれました。

象徴的相互作用論で読み解く、意味づけの違い

ここで、大学院で学んでいる象徴的相互作用論(Symbolic Interactionism)という考え方を使って、今の職場の状況を振り返ってみます。象徴的相互作用論では、人は出来事そのものではなく、自分が与えた意味に反応すると考えます。
たとえば、同じイースターの卵染めでも、「自分だけ知らされなかったイベント」と受け取りさびしさを感じる先生もいれば、「自分の担当外のことは、任せられる人に任せたい」と考える先生もいます。

私たちの教室も、他の先生にとっては「心配なクラス」、経営者にとっては「支援が必要な場」、保護者にとっては「問題がある教室」と、それぞれ違う意味で映っています。
私にとってこの教室は、ごたごたの中でも子どもに集中したい場所です。評価や人気に揺れながらも、イースターの色水を見つめる小さな手に目を向ける時間をどう守るか考え続けることが、今の私の意味づけなのだと思います。

みなさんは、みなさんの教室の風景を、どんなふうに意味づけるでしょうか。


城所 麻紀子(きどころ まきこ)

ボーズマン・モンテッソーリ保育士、元サンディエゴ日本人向け補習校講師、モンタナ州立大学院家族消費者科学科 修士課程


2020年からアメリカのモンタナ州の人口5万人の町で、モンテッソーリ保育園の保育士をしています。
アメリカといっても、白人約90%、アジア人約2%(最近増えました!)という環境です。
あまり日本人の方に知られていない、アメリカの田舎での教育や生活の様子などを共有できたらいいなあと思っています。

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