2020.07.20
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海へ~われら天竜川探険隊~(2)

天竜川213kmを海まで探険するという、長野県伊那市立伊那小学校3年忠組の総合学習の取り組みを取材した際に心に残ったエピソードを、さらにいくつか紹介したいと思います。

尼崎市立立花南小学校 主幹教諭 山川 和宏

いつもの林

「いつもの林」です。ここで忠組の子たちはいつも遊んでいました。

伊那小学校の敷地から歩いて数分のところに、忠組の子どもたちが「いつもの林」と呼んでいる場所がありました。そこには、手作りのブランコやターザンロープ、基地などがあり、忠組の子どもたちは、1年生の時には毎日ここで遊んで過ごしていたそうです。
天竜川探険も佳境にさしかかった頃、忠組の子どもたちに案内され、子どもたちの思い出の詰まったその林を訪ねました。
子どもたちは、あっという間にあちこちでそれぞれの遊びを始めます。みんなバラバラで好き勝手に遊んでいるように見えて、何かしらの調和を感じさせられることが不思議でした。

そんな中、ある男の子が近くの水路に転がっていた大きな塩ビ管を拾ってきました。この日一番の収穫です。すると、塩ビ管を使った遊びを発明する子が現れます。10メートルはあるかという斜面の上まで塩ビ管を運んで、転がり落としはじめました。塩ビ管は、かなりのスピードで転がり落ちます。「中に入れないかな?」とつぶやく子。子ども一人が入るには十分な大きさの塩ビ管です。「俺が入る!」今度は斜面の上から、男の子の入った塩ビ管が転がり落ちます。ものすごいスピードで落ちていく塩ビ管。ようやく止まってはい出してきた男の子の第一声は「目が回るぅ~」でした。そこからは我も我もの大盛り上がり。男の子だけでなく、普段は物静かなで大人しい女の子も挑戦しました。塩ビ管から飛び出した女の子の長い髪の毛がくるくると回るのを見ていた子どもたちからは、大きな笑顔がはじけていました。普通の先生だったら「危ないから」と言ってやめさせていたかもしれません。でも、担任の“マルちゃん”は一緒になって大笑いしていました。本当にすごい先生です。

探険のはじまり

その一方で、くるみ拾いに興じる女の子たちもいました。拾ったくるみは、さっそく石で砕いて食べ始めます。いつの間にか人が増え、井戸端会議が始まりました。噂の的になるのは、“マルちゃん”です。
ある子が語り始めます。「この林から天竜川探険が始まったンだよね」「そうそう」「あの子がね、『そこの小川、どこから流れてきているんだろう?』って言ったンだ」「そしたら“マルちゃん”がものすごくうれしそうな顔した」「だって“マルちゃん”『ねえ、もう一回言って』みたいな感じでお願いしてたもン」「絶対”マルちゃん“が探険を始めたかったンだよね」「そう思ったから私、言ったンだ。『この川の始まりを見てみたい』って」「何だか”マルちゃん“に言わされた感じだったよね」……。

別の機会に“マルちゃん”にインタビューすると、「1年生の時に毎日のように林に遊びに行って、それはそれで楽しかったけれど、そこからどうやって総合学習を発展させていけばいいのか、正直焦っていた。そんな中で子どもたちの中から、川の探険を始めたいって意見が出て、『これだ!』と思った」と語ってくださったのでした。
子どもたちは担任の先生の気持ちを推しはかり、担任の先生は子どもたちの言葉によい意味で乗せられて、川のはじまりを探しに行く探険を始めることになったという事実。そして、それが天竜川探険につながっていったのです。この話を両者から聞いた私は、教師と子どもたちがそれぞれを尊重し合う理想的な関係性に、とても心を動かされました……。

目的がはっきりしていれば…

天竜川です。

前回の記事でも触れましたが、天竜川探険では、毎回のように集団からはぐれてしまう子がいました。“マルちゃん”は先頭を歩き、遅れてしまう子がいても、構わずにどんどん歩いていってしまうのです。私は、取材するという立場から、遅れてしまう子の苦労にスポットをあてようと、最後尾を歩くことが多かったです。そこで気づかされたのは、困った事態が起きても、準備さえしっかりしておけば、子どもたちには自分たちで何とかする力が備わっているということです。実際、いつも遅れてしまう子には一緒に歩いてあげる子が現れて荷物を持ってあげたり、迷子になっても町の人に道を教えてもらったりと、どんなピンチも乗り越えてきたのです。
“マルちゃん”はこんなふうに言っていました。
「天竜川探険は、その日のゴールの駅は決めてあるので、遅れてしまった子がいても、どうにかしてたどり着いてくれるという安心感があります。それに、一番後ろには山川さんがいてくれてますしね」
取材しているだけのつもりの自分が知らないうちに天竜川探険に役立っていたということは別にして、ゴールという目的がはっきりしていれば、その過程は子どもたちに任せることで、子どもたち自身が考え、困難を乗り越える力が身についているのだと感じました。

天竜川探険を取材していた頃のことは、教師になった今でも、よく思い出します。教育について迷ったときには、いろいろなヒントをもたらしてくれるのです。取材を通して、私はかけがえのない財産をいただいていたのだと、今さらながら気づかされるのです。

山川 和宏(やまかわ かずひろ)

尼崎市立立花南小学校 主幹教諭
富良野塾15期生。青年海外協力隊平成20年度1次隊(ミクロネシア連邦)。
テレビ番組制作の仕事を経て、小学校教師になりました。以来、子どもたちと演劇を制作し、年に2回ほど発表会を行っています。

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