2018.04.11
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『レディ・プレイヤー1』 VR世界にハマる人々を描くスピルバーグ監督最新作

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は、巨匠スピルバーグがVR世界にハマる人々を描く『レディ・プレイヤー1』です。

現実世界と夢のVR世界が交錯する壮大な冒険物語

スマホことスマートフォンが普及して身近になり、さらに多くの人がネットに深く関わり始めている現代。だからこそ新たな問題も起こっている。いい例がゲームでの課金問題だ。スマホなどで遊べるゲームは大抵無料だが、より強く、より装備などを充実させるため、あるいはゲームをクリアするため、現金を払ってそれらのアイテムなどを購入していくのが課金システムだ。

実際、スマホでゲームをしている人の多くは課金経験があるよう。筆者の周辺にも「あるゲームに6万円を注ぎ込んだ」と嘆いている学生がいた。でも6万円なんてまだまだ良い方だそうで、ハマってしまった人の中には200万円も300万円も注ぎ込んでしまった人がいるというから恐ろしい。

課金問題だけではない。ネットに夢中になるあまり、つい“ながらスマホ”をしてしまい、事故を起こしてしまったという人も後を絶たない。また中学生や高校生になった息子や娘がスマホばかり見ていてコミュニケーションが取れないと嘆く親もたくさんいる。もはやネットと関わる時間が、仕事でもプライベートでも1日の大半を占めているのが現実なのだ。昨夏にはスマホやパソコン、タブレットなどのIT機器を常に利用することで、認知症が若い世代にも起き始めているという“スマホ認知症”の話まで飛び出すほど、ネット依存への不安が徐々に増してきている。

そんな現状に、エンターテイメントの力で一石を投じたのが、スティーブン・スピルバーグ監督作『レディ・プレイヤー1』だ。

舞台となるのは2045年の近未来のアメリカ。貧富の差が激しくなっているのだろう、主人公ウェイドはトレーラーハウスを積み重ねてできた地域に住んでいる。マンションでもアパートメントでもなく、鉄の骨組にトレーラーハウスが押し込まれた形で数階建てになっている様子に、もうその貧しさが窺われる。そんな環境に住む人々が特にハマっているのが3Dバーチャル世界を堪能できる「オアシス」というゲームだ。そこでは自分のアバターを使い、思い通りの人生を歩める。人々はゲーム内で楽しく暮らすために課金も厭わない。

ある日、「オアシス」を取り巻く世界が一変する。「オアシス」の創設者であるジェームズ・ハリデーが亡くなったのだ。亡くなる前に彼は「オアシス」にイースター・エッグを隠したと遺言する。

ちなみにコンピュータ世界で、イースター・エッグとは何を指すのか。コンピュータのソフトウェア・書籍・CDなどに隠されていて、本来の機能・目的とは無関係であるメッセージや画面の総称であり、ユーモアの一種のこと。イースター・エッグのほとんどは普通の操作では出現しないようになっており、その発見は相当に難しいと言われる。

遺言の中でハリデーは、「オアシス」に隠された3つのイースター・エッグを発見し、その謎を解いた者に「オアシス」の権利を含め彼の遺産をプレゼントすると宣言。このため、ウェイド達人々は躍起になって謎を解く方法を探し、挑み、仮想空間で次々と壮大な冒険を繰り広げていく。

そんなウェイドを助けるのがオンラインゲームで知り合った人々。互いのアバターとニックネームだけで本名を知らない人達だ。だが、ウェイドが謎を解いていくうちに、なんとしてもハリデーの遺産を受け継ぎたい連中が現実世界でも罠を仕掛けるようになっていく。そう、謎に少しずつ近づいていくウェイドは、本気で命を狙われるようになっていくのだ。そしてそういったことが、ウェイドと仲間との絆を深めていくことにもなっていく。

すべては現実世界にこそ意味がある

この映画を観ていると伝わってくるのが、どんな素晴らしい技術で作られたものであろうとも、使い方によっては毒にも薬にもなるということだ。実際、IT機器がすべて悪いわけではない。どんなに知らない場所でも、わりとすんなりと目的地まで辿り着けるようになったのは、スマホやタブレットで観られる地図アプリのおかげだ。オンラインゲームで世界の誰とでも繋がれる楽しさもある。

要は、使う人間側の問題なのだということを、この映画はしっかり伝えてくれる。もともとゲームとは、誰かと共に遊ぶためのコミュニケーション・ツールであった。それがいつの間にか一人遊びの代名詞となっている。課金をして相手をやり込むだけではなく、昔流行ったマリオカートのような皆で楽しむオンラインゲームで出会う友人がいたっていいではないか。そう、以前はネット上でも趣味を通して出会う人々が、オフ会などをよく開催していたはずなのに、最近ではあまりなくなってしまった感がある。

また、何か嫌な事件が起きると、すぐゲームのせいだの映画や本のせいだのという人がいる。実際にどんなにグロいゲームをやろうが、過激な映画を見ようが、大丈夫な人の方が山ほどいるのだ。仮想空間を仮想空間としてとらえ、現実と線引きできる人はたくさんいる。要は、そういったことをちゃんと子どもの頃から教えてあげられるか、どうかだ。

映画の中でウェイドは謎を解くために「オアシス」の中に保管されている、亡くなったハリデーの様々な記憶が閉じ込められている図書館に行く。そこで展開されるイメージから筆者が推測すると、ハリデーは当初、皆で楽しむためのバーチャル世界をと思って「オアシス」を建造したのだろう。なぜなら、ハリデー自身は気の毒なほどコミュニケーションの取り方がヘタな人物だったから。映像を見ていると、子どもの頃は一人でテレビゲームばかりしていたことが窺える。初期の頃のテレビゲームは対戦型が多く、親と一緒にプレイする子どもが一般的だったにも関わらず。

だから、「オアシス」を理想空間として作ったはずなのに、そこに溺れ、財産を注ぎ込み、「オアシス」に囚われてしまう人をたくさん生み出すのは、ハリデーの本意ではなかっただろう。そこをスピルバーグ監督はしっかりと描き出している。そしてハリデーは自分の人生を「オアシス」の中に閉じ込め、自分のアバターをも閉じ込め、それらを他人にさらすことで、決して自分のようにはなるな、すべては現実世界にこそ意味がある、と戒めているような気がするのである。

そういったテーマに着手したのが、これまでたくさんの娯楽映画を手がけ、色んな人に大きな影響を与えてきたエンタメ映画の巨匠スピルバーグだというのも面白い。スピルバーグ自身も、夢のある映画の中だけで生きるのではなく、ちゃんと現実世界でも生きてほしいと願っているからなのかもしれない。実は今回スピルバーグは監督だけではなく、プロデューサーも自ら務めている。恐らく、アーネスト・クラインによる原作小説『ゲームウォーズ』を読んで、心をかなり動かされたからではないだろうか。

ちなみに映画自体もまるでイースター・エッグの宝庫と言わんばかりに、様々なキャラクターが登場する。例えばサンリオのキティ、けろけろけろっぴ、といったキャラクターや、アニメ映画『アイアン・ジャイアント』のアイアン・ジャイアントが活躍したり、ガンダムが暴れたり。それこそ『AKIRA』のカネダのバイクや、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアンといった懐かしいメカまで出てくる。80年代ポップカルチャーに慣れ親しんだ人には特にたまらない仕掛け(楽曲まで含めて)がふんだんに織り込まれているのだ。

つまり、映画を観ているだけで「オアシス」に入り込んでいるような実体験ができるわけ。だからこそウェイドが体感する様々な出来事や、ハリデーの隠された思いが胸に刺さってくる。筆者が見つけられていないものも含めて、相当数の映画、ゲーム、アニメなどのキャラクターが映画に盛り込まれていると思うが、そのために様々な会社に使用許諾をどれだけ取りにいったのかと思うと頭がクラクラする。が、それをキッチリとやり遂げて素晴らしい「オアシス」世界ができあがっているのだ。

夢を語ることは簡単だが、それを具現化するのはどんなものでも困難。けれども、どんなに現実が苦しかろうが困難だろうが、やればできるのだということを、この映画の存在自体が語っている気がするのである。

Movie Data

監督:スティーブン・スピルバーグ/原作:アーネスト・クライン/製作:ドナルド・デ・ライン、クリスティ・マコスコ・クリーガー、スティーブン・スピルバーグ、ダン・ファラー/出演:タイ・シェリダン、オリビア・クック、ベン・メンデルソーン、T・J・ミラー、サイモン・ペッグほか
(C)2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. ALL RIGHTS RESERVED

Story

2045年、人々が暮らす街は荒廃が進み、バーチャル世界<オアシス>だけが希望となっていた。その<オアシス>の開発者、ジェームズ・ハリデーが亡くなり、「<オアシス>内に隠したイースター・エッグを見つけた者に、56兆円と<オアシス>の権利を与える」という彼の遺言が配信。莫大な財産を求めるプレイヤー達の激しい争奪戦が始まった……。

文:横森文

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

子どもに見せたいオススメ映画

『いぬやしき』

神がかったパワーを得た2人の男が対照的な道を歩む

この映画に出てくるのは、たまたま同じ日同じ場所に居合わせたがために、異星人との接触事故に合い、同じ機械の体と神がかったパワーをもらうことになった2人の男性。木梨憲武が演じる犬屋敷は、定年間近の男性で会社ではしょっちゅう使えないとなじられ、家でもその存在を家族全員から無視されている。末期ガンと診断されるが、それすらも家族に伝えられない状況。片や、佐藤健が演じる獅子神は、両親が離婚し母の下で暮らす高校生。自分達を置き去りにし別の女性と家族を持った父親のことを恨み、その思いをもてあましている。

2人が神がかった力を得た時、実際に神のようになったのは様々な人に虐げられてきた犬屋敷。彼は究極の治癒力を発揮して病院を巡り、末期の患者を死の淵から救い出していく。

一方、獅子神は実父の家庭に向けたムシャクシャした苛立ちを、つい見知らぬ家族に向けてしまったことから悪事が雪だるま式に膨れ、遂には自分を抑えきれなくなり、大量虐殺行為へと踏み出していく。『スターウォーズ』で言うなら、ダークサイドに落ちたという感じだ。

こんな対照的な道を歩む彼らを見ていて感じるのは、どんなにすごいパワーを得ようと、所詮は本人の意志力によって神にも悪魔にもなってしまうということ。最近、人の立場に立つことができず、自分の感情だけで行動してしまう人が増えている気がする。しかし、相手の立場に立つことができれば、苦しいのは自分だけではないこと。そして、恨みのマイナスパワーを発揮するより、プラスのパワーを発揮する方がどれだけ幸せを呼べるか、想像がつくはず。逆に、相手の立場に立てず、他人の物差しで物事を測れないと、自暴自棄と恨みや妬みが合体して大量殺人のような目を覆いたくなるような行為を生むことになるのだ。是非中学生・高校生の多感な時期に見てもらい、色々考える材料にしてもらいたい作品だ。

監督:佐藤信介/原作:奥浩哉/出演:木梨憲武、佐藤健、本郷奏多、二階堂ふみ、三吉彩花、生瀬勝久、濱田マリ、齊藤由貴、伊勢谷友介ほか
(C)2018 映画「いぬやしき」製作委員会
(C)奥浩哉/講談社

文:横森文 ※写真・文の無断使用を禁じます。

横森 文(よこもり あや)

映画ライター&役者

中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。

2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。

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