2009.10.13
  • x
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

授業は子どもを探る場

岡山県教育委員会津山教育事務所教職員課 主任 高岡 昌司

 はじめまして。これから半年間、この場をおかりしまして、日頃から感じている事を執筆させていただくことになりました。よろしくお願いします。
 私は今、教育行政の場にいます。授業実践に恋焦がれる日々ではありますが、学校現場を少し離れてみると、いろいろと感じることがあります。いろんな学校の様子や授業を拝見したり、担任時代の授業実践を想起したりする中で自分なりに問題提起できたらいいなあと思っています。
 さて、新指導要領が示され、様々な教育改革が打ち出されていますが、正直、授業そのものは旧態依然としていると感じています。もちろん、不易と流行の部分を見極めなければなりませんが・・・。相変わらず、知識偏重の画一的な教え込み授業が蔓延しているように思われます。
 以前、勤務していた学校では“授業は子どもを探る場”という額が校長室に飾られていました。これは、初代副校長であった長岡文雄氏の書かれた言葉です。腰の強い授業実践として有名な長岡氏は「教室が生きている」、「子どもの生きる根っこを耕す」、「子どもには学習する道筋があり、それをどのように保障していくかが重要」と日頃から教職員へ語っていたと先輩諸氏から教えていただきました。
 かつて、その学校に転勤して、すぐに新任者の授業研究会がありました。私は、子どもたちもそれなりに発言し、転勤直後の授業としては、まずまずという思いがありました。ところが授業後の検討会では、これでもかという程の批判を浴びました。そして、ある先輩から「目の前に弱っている花があるとしよう、高岡さんならどうする?」と尋ねられました。私は「その弱っている花に、水と肥料をたっぷり与えます。」と即座に答えました。その先輩は、穏やかに「だから、だめなんだ」と返されました。10年経った今でも、鮮明にその時のことが思い出されます。
 まさに、このやりとりは、私の授業観そのものでした。
つまり、「授業は教師の思っていること、やりたいことをおしつける場ではない」ということ、そんなつもりはないと思いながら、ひとつひとつ具体的に指摘されました。この授業研は、自分にとって目から鱗が落ちる衝撃的な場でした。

 今、いろいろな授業を拝見させていただくと、子どもたち一人一人の様子を見ずに、教師は必死になって、水と肥料をたっぷりと与えているなあと感じることがよくあります。もちろん、そのこと自体は決して非難されることではありません。教師の思いもよくわかります。ですが・・・、授業はこの子を探り、働きかけ、この子から学ぶ中から、主体的な学習を成立させていくものだと思うのです。学習者中心の教育観に立つことが必要だと私は思います。日々の忙しさの中で、どれだけ、子どもを探るということが意識できているでしょうか。子どもから学ぶという教師の姿勢が問われていると思うのです。
 
 今後、私の拙い実践やこれまで経験してきたことをもとに、主に、授業について考えてみたいと思います。ご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。
091013a.jpg091013b.jpg

高岡 昌司(たかおか しょうじ)

岡山県教育委員会津山教育事務所教職員課 主任
教育行政職3年目です。授業談義できる場を求めています。この場を借りて授業実践や学級経営についての意見交換ができたらいいなあと思っています。専門は社会科教育です。

同じテーマの執筆者

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop