性格について考えてみた。
仕事、家庭、地域・・・いろんな場所でいろんな自分がいませんか?私はいます(笑)。職場での私・・・みんなにいい顔してます(笑)。家庭での私・・・妻には頭が上がりません。地域での私・・・かなり下っ端です。職場では上司や先輩から「おかしいな」ということを言われたらやんわりと反対意見を述べますが、家庭ではありません。一方でそれもこれも「私」だという、なんとなくの自分なりの統一感はもっています、いやもっているつもりです。そんな複雑な自分と統一された自分をどうバランスとっていくか。それを今日は「人称的性格」から職場での具体例を交えて考えてみたいと思います。
佛教大学大学院博士後期課程1年 篠田 裕文
人称的性格とは
『「モード性格」論』(サトウタツヤ 渡邊芳之 紀伊國屋書店 2005)によれば、
「人称的性格とは、性格をみる視点によって、1人称性格、2人称性格、3人称性格、という3つの異なる性格が存在する考え方」を指します。それぞれ「自意識としての性格」、「関係としての性格」、「役割としての性格」と呼ぶことが可能であるとも書かれています。
自分の職場で考えてみる~1人称性格~
学校での主役、子ども達を考えてみます。1人称性格は、ある「A君」がいるとすると、A君の自身に対する性格像です。「僕は明るくて社交的だ」「私はみんなの前で上手く話せないんだけど、〇〇ちゃんの前だったら楽しく話せる」といったものです。自分で自分についてもつ性格像ですから他者から見て「ん?」「え?」というものでも構いません。しかし全て自分の中だけで完結するわけではありません。A君はたった1人で学校にいるわけではありません(1人であればそもそも性格の概念すら生まれてこないでしょう)。Bちゃんも、Cちゃんも、D君だっています。Bちゃんが「A君って真面目だよね」と言えば「おれって真面目なのかな?」とA君は思うでしょう。D君が「A君っていつも楽しそうにしているよな」と言えば「おれって楽しいんだな」とA君は思うでしょう。つまり、周りの人からの影響を少なからず受けています。A君は周りの友達、もっと広げれば家族や地域の人等様々な人の影響を受けながら自分の性格イメージを自分なりに形成していくのです。これが1人称性格、自意識としての性格です。
2人称性格
さて、例えばA君が「僕は誰に対してもはっきり話せるぜ!!」という自己イメージを持っていたとしましょう。しかしこれがA君自身にとっては極めて日常的としても、もしかすると他者から見ると「A君は物言いが厳しい」「でしゃばっている」なんて思われることもあるでしょう。
- T先生:A君ははっきりものを言って、いつも清々しいね
- Z先生:A君は我慢せずに自分の考えばかりいうから大変
こんなこともあるでしょう。他人との関係においては「性格」のイメージは1人称的性格だけでは当てはまらなくなってきます。2人称的性格は、A君とB君、A君とT先生、A君とZ先生と「私」と「特定の人」との関係において形成されるもの、すなわちその関係においての性格形成をさします。先ほど紹介した『「モード性格」論』では「私たちが忘れがちなのが、相手が行っている行動は自分に対するものだということ」(サトウタツヤ 渡邊芳之 紀伊國屋書店 2005)と、私たちが相手の性格を固定的にとらえてしまう危険性を指摘しています。学校であれば「A君は〇〇だから」とある特定の先生や子どもとの関係においてだけの性格が、子どもたちの中で、教員の中で共通理解のように持たれてしまう、そのような危険性です。
人のパーソナリティーの形容は外在化された行動や表現手段によってラベリングされます。ですので関係性をもつ相手が変われば行動が変化し、それに対するラベリングである性格の形容も変わっていきます。
3人称性格
今度は「比較」という作業が入ってきます。
- T先生:A君ははっきりものを言って、いつも清々しいね
- Z先生:A君は我慢せずに自分の考えばかりいうから大変
先ほど挙げた例も、A君と他の誰かを比較して述べられています。Bちゃんも、Cちゃんも、DちゃんもT先生との関係においてはっきりと話す性格が形成されているならば「A君ははっきりと・・・」というラベリングはされないと思います。『「モード性格」論』の中では「役割としての性格」(サトウタツヤ 渡邊芳之 紀伊國屋書店 2005)と呼んでいます。教室という場に限ったA君の性格とも考えられます。よく「役割が人を育てる」と昔から言われます。A君がもし学級内でリーダー的な役割を持っていたとすれば、当然その役割にあった行動が発現されるでしょうし、発現されれば他者との比較の中でA君の性格が際立つことになります。他者からの影響は自己意識にもつながります。
一方で2人称性格でも述べた「固定化」の危険性もあります。「いい子に疲れた」という言葉を耳にしたこともあるかと思います。集団の中で「いい子」であることが固定化され、その「いい子」に合うように行動が規定される。他者との関係性は自己意識、1人称的性格にも関係してきますから自分らしくいられるはずの一人称的性格が苦しいものになることも考えられそうです。
おわりに
そろそろ4月が終わり、5月です。学級の子どもたちについて「〇〇君はああいう子だ」「〇〇さんはこういう性格だ」というイメージやラベリングがされてきているのではないでしょうか。しかしそこで「ちょっと待てよ」と立ち止まってみるのはどうでしょうか?別の活動をしてみるともっと別の見方ができるのかもしれません。教室外での様子をさりげなく見てみると新しい発見があるかもしれません。「人の性格は常に変容していくもの」として子どもを見ていくことが必要ではないかと思う今日この頃です。
最後までお読みいただきありがとうございました。『「モード性格」論』(サトウタツヤ 渡邊芳之 紀伊國屋書店 2005)は10年以上前に出版された本ですが、性格にて考えさせられる、読み応えのある一冊です。
篠田 裕文(しのだ ひろふみ)
佛教大学大学院博士後期課程1年
修士課程を修了し博士課程に進学しました。修士時代に学んだこと、学校現場で実践したことを書き綴りたいと思います。
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