2023.04.09
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新年度&新学期。「目標はいらない」と「こんな子を育てたい」、そして「前提のリセット」

「ガッコウのセンセイって、やっぱりとっても真面目な人たちなんだなあ」とか、「chatGPTが現れた今、学校の存在意義はどうなるのだろうか」とか、「ブラック企業化した勤務環境と人手不足は改善されるのだろうか」とか、「非認知能力を育てるとか、学び方を教えるとか言ってっけど、結局「優れる」ことを目指すのは既存の発想と同じじゃないか」とか、アタマの中では様々な思考が渋滞中。
でもとりあえず、今、明確にしたいのは、「新年度/新学期に、どんな態度で臨むのか?」ということ。

東京都内公立学校教諭 林 真未

「目標とか、ほんっといらないよね」

「目標なんていらないよね」
ある先生が、こそっと私にささやきました。
「学校目標も、学年目標も、学級目標もいらない。月目標も、週目標もいらない。あれ作ったり決めたりする手間を省けば、働き方改革になるのに」

普段から私が、同じような発言をしていたので、共感をもってささやいてくれたのだと思うけど、基本的には、多くの先生方はこんなこと、絶対言わないですよね。
だから来年度も、学校目標と学年目標と学級目標を、年度当初に教室に掲示し、毎月毎週の生活目標を張り替える日々がはじまるんだろうなあ、と私は今から諦めています。

ここまで読んで「なんてアナーキーな」と眉を顰める先生もいるかもしれません。
けれど、私もその先生も、けっして不真面目にそう言っているのではないのです。むしろ大真面目にそう考えています。

だって、子どもたちがそれを必要としていないんだもの。
彼らがそれを見て生活に生かしていることなんて、見たことがない。
だから、シンプルに必要がないのではないかと思っているだけなのです。

ただ、この中で一つだけ、「あってもいいのかなあ」と思うものはあります。
それは、学級目標。
私は、多くの先生方同様、新年度の一番最初に、子どもたちからの意見をもとに学級目標を決め、それを1年間、教室後ろの背面上部に大きく掲示してあります。

すると、学級で問題が起きて話をするたびに、子どもたちから声が上がります。
「そうだよ、だってこのクラスは〇〇なクラスってみんなで決めたじゃん!」
「うん、だから××しちゃだめだと思う」
聞いている私のほうは、学級目標を決めたのはルーティンでやったことだからすっかり忘れていて、でも、そんなことはおくびにもださずに、
「ねえ! そうだよねえ。〇〇なクラスを作るって、みんなで決めたんだもんね」
と言いながら、心の中で(この人たち、えらいなあ、ちゃんと目標を意識して)と毎年感心しています…….。

あ、そうか。
数多の目標のなかで、学級目標だけは、先生じゃなくて、子どもたちが、自分たちで話し合って決めたことですものね。
そういうことか……。

「自分のアタマで考える子を育てたいんです!」

また、ある先生からは、こう言われました。
「言われたことばかりやるんじゃなくて、自分でどうすればいいかを考えられる子を育てたいんです」
こちらの発言は、「目標はいらない」のように眉を顰める要素が一つもない。むしろ不確実な未来を抱える現代に生き抜く子どもたちを育てるために、先生として、ふさわしい目標のように思えます。

私自身だって、「どうすればいい?」と子どもに聞かれたら「どうすればいいと思う?」と聞き返して、なるべく自分で考える機会を生むようにしています。
それなのに、それを、「自分の教育の目指すところ=目標」と宣言されると、なにか違和感をおぼえてしまいます。

それは、なぜなんだろう……。

……正直に言ってしまえば、そんなの、余計なお世話と思ってしまう私がいます。
「どんな子になるか」は、その本人の範疇で、先生を含む他の人が立ち入る領域ではないと思ってしまうのです。

だけどきっと、私は「幸せじゃなくていい」なんて言う子がいたら、「ダメです。幸せにならなくてはいけません」とずかずかとその子の領域に踏み込んでいくでしょう。
それこそ、余計なお世話なのにね。

すべての前提をリセットしよう

人の発言をいろいろ言っているけど、結局お前はどうなんだ、と問われれば。
私は「前提をすべてリセットしてスタートしよう」と言いたいです。
世の中に、「学校は堅苦しいところ、つまらないところ」、学びは苦行、子どもはもっと伸び伸び育てるべき、という「大前提」が充満していると感じるのは、私だけでしょうか。

かつて私が教えた1年生が言いました。
「べんきょうってたのしいんだよ。だって、しらないことがわかるようになるんだもの」
この言葉通り、学びはそれ自体が楽しみのはずです。

私が出会った子どもたちはみな、もちろん苦手なことに挑戦するつらさはあれど、学ぶことにむしろ果敢に挑戦し、新しいことを身につける喜びを、全身で味わっていました。

学校ならではの集団生活も、子どもたちは、そこで、友だちとうまくいかなくて悲しくなることもあるけれど、みんなで協力して働く喜びや、助け合い達成する快感を、存分に経験します。

つまり、言いたいのは、本来、学校は、学級は、学びという面白いことや人間関係という貴重な体験が溢れている場所なのです。

子どもたちが、
「今日はどんな楽しいことが待っているんだろう」
とワクワクしながら来る場所のはずなのです。

学校の中にいる私たちが、世の中のイメージに毒されてはいけない。
私たちは、本来、こんな素敵な場所で働いている。
もし、今の職場がそうじゃないと感じるならば、前提をリセットして、もう一度学校を捉えなおすところから始めませんか。

そうしたら、もう、それだけでいいのではないですか。
いちいち目標を掲げなくても
時代に合わせた教育をしなければと肩肘張らなくても
この場に、子どもとともにいるだけで、あとは大人だからこそできる環境調整を精一杯、できる範囲でしていけばいい。
いろいろ考えたって、やってみなくちゃわからない。

というわけで、
私は、シンプルに、自然体で新年度を迎えようと思います。

(お知らせ)一人一人違う子どもたちに「伝わる」学級づくりを本気で考える

本サイトの新刊案内でも取り上げていただきましたが、川上康則さんとの共著を上梓しました。お手元においていただけたら嬉しいですが、図書館にリクエストして購入してもらえば、お財布も傷みません笑。
良かったら読んでください。

林 真未(はやし まみ)

東京都内公立学校教諭
カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)
特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事


家族(子育て)支援者と小学校教員をしています。両方の世界を知る身として、家族は学校を、学校は家族を、もっと理解しあえたらいい、と日々痛感しています。
著書『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)
『子どものやる気をどんどん引き出す!低学年担任のためのマジックフレーズ』(明治図書出版)
ブログ「家族支援と子育て支援」:https://flejapan.com/

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