2021.08.02
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自分のために、自分が楽しむ

子どもたちのために......ではなく、まず自分のために。こんな"Me First"の先生がいてもいいかも?
二度目のアメリカ留学中の結婚出産を経て、いつの間にかまた「先生」と呼ばれるようになり、今は楽しくてしょうがない(乗り越えるべき壁は今でもありますが、それも含めて)私ですが、ここまでやって来られたのはひとえに補習校で出会ってきた子どもたちのおかげです。

ユタ日本語補習校 小学部担任 笠井 縁

気持ちを共有できた瞬間

ユタ州に日本語補習校ができると聞いた時、うちの息子は2歳になりたて。私自身がどうやって英語を習得したかを振り返ると、中学高校はやる気なし、20歳そこそこで必要に迫られしぶしぶ……それでも何とかなっているという感じだったので、息子も大きくなってから自分でやる気になったらやればいいんじゃない、と悠長に構えていたのです。母子間では日本語を話したり、日本語の絵本を一緒に読んだりはしていましたが、週末に補習校に通わせるまではしなくてもいいかな、と。
補習校の先生をやってみないかと声をかけられた時も、育児の合間の気分転換になるかもしれない、とあくまで自分本位の理由で決めました。私はこういう仕事が好きだけど、それと息子の人生は別。まだまだバイリンガル教育には懐疑的だったのです。

そんな私を変えたのは、初年度に受け持った子どもたち。開校1年目に入学したこの子たちの大半は国際結婚の両親を持ち、日本語はまだまだ不安定で、日常会話はできるけれど読み書きはとにかく発展途上という感じでした。季節の話題を扱った際に、春夏秋冬のイラストが鮮やかな『モグラくんとセミのこくん』という絵本を読み聞かせした時のことです。
このお話は、前半はモグラくんとセミのこくんが地下で楽しく一緒に暮らす様子が描かれほっこりしますが、後半はセミのこくんの成長によって別れが訪れしんみりしたり、けれども最後には夏の勢いを感じたりと複雑な気持ちになります。

小学2年生クラスでしたが年齢的には7~10歳の混合クラスで、まだまだ自分の気持ちや考えを表現する日本語を充分に持たないこの子たちに分かるかな、でも四季を目で見て味わえたらいいかな、くらいの気持ちで選んだのですが、子どもたちは私の予想を上回っていました。
後半に差しかかり、セミのこくんの脱皮がいよいよ始まると別れの予感に教室がシ~ンと静まり始め……最後のページを読み終わると、何とも言えない空気に満ちています。

きっと、感想を聞いたら彼らなりの限られた語彙の中からなんとか表現した事でしょう。でも私には訊けませんでした。別れの寂しさや成長の喜びや、楽しかった思い出を胸にそれぞれ生きていくモグラくんとセミのこくんの心情を、それぞれに感じとっていることが伝わってきたからです。これを「悲しい」「楽しい」というような単純な言葉で狭めてはいけない気がします。気持ちが拙い語彙に縛られることもあります。今は物語を理解し感じている、それでいいのではないかと(という分析は今だからできますが、当時は私も胸がいっぱいで何も言えなかったというのが実際です)。

自分の人生が変わる

この日この瞬間に、日本からこんなに離れたアメリカでも日本語で通じ合い気持ちを通わせることができるって、なんて素晴らしいんだ!と本当に心を動かされました。今は幼い自分の息子とも、彼が成長するにつれ私が小さい頃に読んだ本を一緒に味わうことができるとしたら……なんて欲が出てきたのです。
この時の子どもたちはすでに補習校中学部を卒業しています。我が家の息子は年中クラスから入学し、今は中学部の生徒です。「なんで英語と日本語の2つの学校に行って、苦労しなければならないのか」という反発の時期は乗り越え、今では在米でも日本語が分かるという事の様々な恩恵を彼なりに実感しているようです。補習校で出会った子どもたちのおかげで、自分の子育てにも幅が生まれました。

あまり深く考えずに軽い気持ちで「補習校の先生」という役目を引き受けた事により、私はこの後も保護者との関わり方や、発達障害の児童への対応や、指導方法や教育理論や発達心理学への理解など、壁に突き当たります。とにかく新しく経験したり学んだりする必要が次から次へと出てくるので、中断していた大学での勉強へも出戻りして専攻を教育学へと変更して学び直し。そしてまたそこから現地の小学校での仕事に就きアメリカ社会への関わりも増えたりと、たくさんの恩恵を私こそが受けています。

先生が一番笑ってる

初年度の児童たちにバイリンガル教育の素晴らしさを教えてもらったように、その後も様々な事を子どもたちや保護者、同僚たちから学んでいます。誤解を恐れずに書きますが、私は自分のために、自分が楽しいから、この仕事を続けています。それはとても幸せでありがたいことです。

学校教育にはその社会の構成員になるための指導機関という側面が潜在的にあり、ともすれば個人レベルでも「将来のために、いい仕事に就くために、成功するために(苦労しないように)」と、目に見える成果つまり社会的(外的)評価に頼る方が手っ取り早い時もあります。理想主義で楽観的かもしれませんが、私は「成功よりも幸せ」という物差しも持っていてほしいなぁと思いながら、自分がまず楽しみながら「先生」という仕事や子育てをしています。

笠井 縁(かさい ゆかり)

ユタ日本語補習校 小学部担任


アメリカの小さな補習校で多文化の中で成長する子どもたちと一緒に学んでいます。アメリカの現地小学校でも非常勤で子どもたちと接し、日本との違いに驚くこともありますが、子どもたちの学びの過程には共通する部分も多いのではないかと思っています。

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