2020.05.14
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「学校って、なくてもいいんじゃない?」......!?

臨時休校の間じゅうずっと、私が戦々恐々としていたのは、世の中が「学校って、なくてもいいんじゃない?」って気付いちゃうんじゃないかってこと。
だって、休校中のオンライン授業が充実すればするほど、「学校にわざわざ行かなくても、オンラインでいいや」ってことになりません? 
子どもたちが、すっかり学校がない生活に慣れちゃって、「毎日登校しなくても、家で過ごせばいいや」ってことになったら、どうしよう?

東京都内公立学校教諭 林 真未

学校に行かなくてもいいことは、もう証明されている

休校になる前から、必ずしも学校に通わなくてもいいということは、すでに一部の人によって実証されています。

徳島県のNPO法人自然スクールトエックでは、公立の小学校に全く通わず、農園を中心として各自で学び、公立の中学校に進学するそうです。どの子も、中学校生活の最初の半年くらいで小学校の勉強をマスターし、ほかの子と同じ学習にキャッチアップできるとのこと。たしかに、中1だったら、小1がたっぷり時間をかけて学ぶ、くり上がりのあるたし算、くり下がりのあるひき算なんてあっという間にマスターしそうです。

また、全国的にも、小・中学校へほとんど行かず、高等学校卒業程度認定試験を経て大学に合格した子の例もたくさんあります。義務教育の時代を不登校で過ごしても、独学や塾の勉強で、大学に合格することは可能なのです。

大学進学の必要性がない人もいます。その最たる例が、台湾の閣僚、オードリー・タン氏。彼女は、ほぼ独学で学歴としては中卒になります。ほかにも、その名が知られていなくても、ITや職人、芸能の世界などで、学歴を持たずに立派な仕事をしている人はたくさんいることでしょう。

もっと言えば、名が知られなくても、立派な仕事じゃなくても、なんとか生きていければいいわけで。この境地に至ってしまうと、ますます、学校の必要性に赤信号が灯ります。

オンライン学習の充実がもたらすもの

休校を機に、とくに中学、高校、そして大学では、オンラインでの学習提供が、飛躍的に充実しているようです。そうなると、受け手である児童・生徒・学生(家庭)の方も、オンライン学習のノウハウを身につけざるをえない。学習コンテンツの視聴やレポート提出だけでなく、映像、チャットを使った双方向・多方向コミュニケーションのスキルも含めて。

PCによる学習を推進してきた方々は、この機会を大歓迎しているかもしれません。実際、これからの時代を生きていく子どもたちが、オンラインコミュニケーションやPC利用のスキルを身につける必要は絶対ある、と私も思います。

けれど一方で、全国民がオンライン学習のノウハウを知ってしまったら、「あ、もしかして、学校なくてもイケるんじゃね?」となってしまうのではないか、という心配が頭から離れません。

学校を「子どもが学習するところ」と定義するなら、学習がPCを使って家庭でできるとなれば、学校に参集する必然性がありません。学習効率という視点だけに立てば、IQも発達段階もちがう子どもたちを一斉に指導することはどうなのか、PCを使った個別学習のほうがよいのではないか……そんな意見も十分説得力があります。

ステイホームで、エンタメ業や飲食業が青息吐息と言うけれど、オンライン学習の充実で、教師が職を失うおそれはないのでしょうか。

当事者たちにとっての学校とは? 

子ども

子どもにとって、学校がないことで一番の痛手は「友達と会えないこと」のようです。学習のことでも、学校活動のことでもない。友達が毎日一緒にいるっていうのは、学校のメイン機能ではなく、派生した現象。
だけど、子どもたちにとって、それはとても大きな意味を持っているんですね。考えてみれば、友達が大きな意味を持っているからこそ、いじめや仲間はずれがその子の人生に大きく影響するような傷を残すんですよね。一方、先生に勉強を教えてもらえないから困る、と言う子はあまりいないようです……。



親が休校で痛感するのは、学校が子育て機能を担っていたことではないでしょうか。一日中ずっと子どもの面倒を見て、学習を教え、食事の用意をして……というのは、なかなかしんどいです。障害があって手のかかる子の場合は、とくにたいへんです。いつもなら、朝8時ごろから午後3時ごろまで、学校がすべて面倒を見てくれていたのに。
学習がオンラインでも可能なのにもかかわらず、親が学校を希求するとしたら、それは、学校に子守機能を求めているということではないかと私は思っています。そうなると、学校がなくても、子守をしてくれる人がいればそれでいい? 子どもの居場所があればそれでいい?

先生

先生達は、「学校がなくなるわけない」と楽観視しているように私には思えます。
「だって、学校は勉強以外のことも教えるところ。全人的教育を担う場所だから」
え、でも、勉強以外のしつけやら何やらを全部引き受けたから、教師はブラック化したって言ってたじゃないですか。
「集団行動は学校でしか身につかないから」
え、でも、数百人を数十人で見なければいけないから集団行動は必要なだけであって、過疎地の学校は、最初から集団なんていませんよ?

学校が、あるいは先生が絶対に必要不可欠という確信が、私にはなかなか見つかりません。

「学校って、なくてもいいんじゃない?」なんて言わせない!

実は私、平時(!)には「学校が全くなくなって、子どもたちがみ-んな世の中に解き放たれたら、それはそれで、面白いんじゃないのかなー」なんて妄想していたこともあります。そしたら、子どもは、自由に好きなことができるだろうし、大人は、親と学校と福祉に子どもを任せすぎていたことに気づくだろうしって思って。

でも、それは学校があればこその気楽なおとぎ話でした。実際に休校が続いてみたら、学校がなくなったら一番困るのは、ほかでもないこの私だった!と気づいたのです。

学校がどんな機能のところだっていい。とにかく、地域の子どもたちが毎日集まって来てくれるこの場所で、私は子どもたちと泣いて笑って一緒に過ごしたい。普段からそう思っていたけれど、これだけ会えない日々が続いたことで、切実にそう思いました。この仕事を奪われるなんて、身を切られるように辛い。きっと、そんな気持ちでいる先生は、私だけではないはずです。

学校に行かなくても、資格試験を受ければ進学できる。学校に通わなくても、オンラインで学習はできる。

「それでもやっぱり、学校のほうがいい」
「学校で勉強したい」
「子どもを学校に行かせたい」

子どもに、親に、世の中にそう思ってもらうために、私達”先生”はどうすればいいのでしょう。

私は、学校を「楽しいところ」にすればいい、と考えています。本来「学ぶ」のは楽しいことのはずですし!そこに行くと幸せが待っている、理想を言えば、学校をそんな場所にできたらいい。
そうすれば、たとえ絶対必要不可欠な場所ではなくても、学校は、人々にとって大切な場所であり続けることができると思うのです。

イラスト/有田りりこ

林 真未(はやし まみ)

東京都内公立学校教諭
カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)
特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事


家族(子育て)支援者と小学校教員をしています。両方の世界を知る身として、家族は学校を、学校は家族を、もっと理解しあえたらいい、と日々痛感しています。
著書『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)
『子どものやる気をどんどん引き出す!低学年担任のためのマジックフレーズ』(明治図書出版)
ブログ「家族支援と子育て支援」:https://flejapan.com/

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