教育トレンド

教育インタビュー

2006.01.03
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

田原総一朗さん 戦争を知る最後の世代として、子ども、教師、親たちに言いたいこと

ジャーナリストは権力ウォッチャーであるべき、と語る田原総一朗さん。政治、経済各界の大物を相手に、白熱した討論を展開する一方、三人の娘さんの父でもあり、ご自身を評して「子離れできていない親」と笑う。田原さんは、現在の教育改革、家庭での教育について、どのようなご意見をお持ちなのか、ご自身の戦争体験を交えながら、次の世代にぜひ伝えたいことを語っていただきました。

「正しい戦争なんてない」

学びの場.com田原さんはよく著作の中で、「戦争を知っている最後の世代」と書かれていますが、まずはご自身の戦争体験からお聞かせ願えますか。

田原総一朗さん僕は1934年生まれですから、日中戦争が始まったのが3歳の時で、小学校1年生の12月に太平洋戦争が始まりました。終戦は、小学校5年生の夏休みになります。僕にとっての戦争は、まずお父さんたちが次々に招集される、というものでした。出征兵士を送る華々しいイベントが何度もありました。それが、戦争が続くにつれ、招集された人たちが骨になって帰ってきて、葬式に取って代わりました。それで、「戦争というのは人が殺されるものだ」という思いを強く持ちました。

僕が戦時中に過ごしたのは滋賀県の彦根市で、大都市のような空襲はありませんでした。でも、毎日空襲に向かうB29の爆音は聞こえましたし、空襲から戻るB29が遊び半分に爆弾を落としていったり、列車に向けて機銃掃射をしたりしていました。食糧事情も悪くなり、コメがなくなって代わりにイモばかり食べさせられました。「こんな戦争はもう懲り懲りだ」と痛切に感じました。 終戦の玉音放送は何を言っているのかよくわからなくて、まだ戦争が続くと思った人も多かったようです。やがて、日本は負けて戦争が終わったという情報が伝わってきました。僕は海軍兵学校に入りたかったので、前途が真っ暗になり、泣いてそのまま眠ってしまいました。夜、目が覚めてみると街が明るいことに気が付きました。灯火管制がなくなったからです。それを見て、戦争が終わって感じた絶望感が解放感に変わっていきました。そのうち軍のほうから缶詰の配給も始まり、食糧事情もよくなりました。 この体験を通して思ったのは、「戦争は二度としてはいけない」「戦争は悪だ」ということです。 戦争が終わると、反戦を貫いた共産党がもてはやされ、若い人たちの間で共産党ブームが起こります。当時は、民主化=共産化という時代でした。僕も大学で共産党に誘われましたが、あまり好きにはなれませんでした。当時の共産党では、「いかにマルクスを丸暗記するか」が第一で、上の者のいうことを聞かないと、「日和見」「反革命的」といって批判されます。それが軍隊のイメージにとても近いと感じたからです。 やがて極東軍事裁判が始まります。この裁判は完全に、戦勝国が戦敗国を裁くための裁判でした。戦争中はアメリカも非戦闘員の日本人をたくさん殺しているし、ソ連も日ソ不可侵条約を破って宣戦布告し、シベリヤでたくさんの日本人に強制労働をさせている。それなのに日本だけが一方的に裁判で裁かれる。戦争で負けるというのはそういうことです。

そんなことから、「正しい戦争なんてない」と強く思いました。戦時中、日本では「この戦争は聖戦である」と言われ、子供たちは「寿命は20歳だ」と教えられました。でも、戦争に正しいとか正しくないとかはありません。戦争はすべて悪です。アメリカのブッシュ大統領は、「これは先制的自衛である」といってイラク戦争を始めましたが、これは日本が満州に攻め込んだときの理由と同じことです。 では、なぜ戦争が起きるのか? ひとつの理由は、戦争を知らない世代が増えてきた、ということです。若者の中には、戦争に憧れる者すらいます。しかし、戦争でいちばん犠牲になるのは、いつも決まって国民です。ですから、戦争を知っている世代は、「戦争は悪だ」ということを言い続けていく必要があります。

マスコミも政府も、世論に迎合している

学びの場.com教育基本法の改正で、「愛国心」を盛り込むかどうかが問題となっていますが、それについてはどうお考えですか?

田原総一朗さん愛国心の元々の意味は「故郷を愛する心」ということです。自分が生まれ育った故郷を愛するのなら、それは正しいことだと思います。たとえばアメリカ人がイラク戦争に協力するのも愛国心からだし、逆に反対するのも愛国心からだといえます。つまり、愛国心がいろいろな形を取って表れることが許されるなら問題はありません。しかしいざ戦争となると、なかなか反対する意見は言えなくなってきます。 たとえば満州事変から日中戦争にかけて、国が厳しい言論弾圧をしたと思っている人がいますが、実際にはそういうことはまったくありませんでした。言論弾圧がなかったにもかかわらず、「戦争反対」とは言えなくなっていった。新聞や雑誌も「戦争反対」と言ったら売れないから言わない。今の日本で新聞や雑誌が「小泉首相の靖国神社参拝賛成」というのも、そう言わないと売れないからです。マスコミが世論を動かすのではありません。マスコミは世論に迎合するから、世論がマスコミを動かすのです。この前の選挙でマドンナたちが大活躍したのも、世論が彼女たちを支えたからです。同じように、政府も世論に迎合します。ブッシュのイラク戦争にしても、ヒトラーの侵略にしても、それを支えたのは世論です。そういう意味では現在の教育改革にしても、世論に訴えて、世論の支持を受ける必要があると思います。 今、自民党は憲法改正の流れを作ろうとしています。日本が戦争をできるように、憲法を変えようとしています。この流れを止めるためには、「戦争とはなんなのか」「戦争で市民がどれだけのものを失うのか」戦争を知っている世代は伝えていかなければなりません。

親が子離れできていれば、子どもはニートなんてやっている暇はない。

教育のできること、できないこと

学びの場.com今、教育改革が声高に叫ばれていますが、それに対してはどうお考えですか?

田原総一朗さん1980年代の初めから、教育は子どもの主体性を重んじ、子どもの個性を重視するようになりました。教師は「指導」するのではなく、「支援」するというようにもなりました。しかし、小学校低学年の子どもに主体性はないと思う。今の基礎学力重視の動きは、1970年代に戻ることです。そうするとまた「受験地獄」が、という人もいるけれど、人生、2、3度ぐらい地獄があってもいいと思いませんか? 教育問題については、教育とはなにか? 教育はどこまでのことができて、どこから先はできないのか? ということをはっきりさせる必要がある。たとえば、「道徳」は学校では教えられないと思う。学校に入る前に、家で親がきちんと教えておくべきことでしょう。「道徳」と言っても、何も難しいことを教える必要はありません。「朝起きたら親にあいさつをする」とか、「親の言うことは聞く」とか、「他人に迷惑をかけない」とか、「嘘をつかない」とか、「人の物を盗らない」といった当たり前のことです。これは親が教えるべきことです。

生きることの基本を考えると、みんな自分のしたいことをしていたいと思っている。でも、自分ひとりでなんでもできるわけではないから、他の人の協力が必要になってくる。その代わり、自分も他の人に協力する。こうした基本的なことを親がきちんと教えるべきです。それをまったく教えないで、いい大学に入ることばかり教えている親が多いのではないでしょうか。損得ばかりを教えている。 僕が生まれた滋賀県の近江商人には、昔から「三方善(さんぽうよし)」という言葉が伝わっています。これは、商売はまず「お客さんにとってよし」、次に「社会にとってよし」、3番目に「自分もよし」です。お客が喜び、社会にとって良いものなら商品が売れて自分もよし、ということです。今コーポレートガバナンスということがよく言われていますが、基本はこれだと思います。僕は子どもの頃からこの「三方善」を繰り返し教えられました。このお客さんを自分の親とか他人に置き換えてみれば、道徳の基本になります。 僕の世代は、「道徳」と聞くと教育勅語を思い出して抵抗があります。子どもの頃は、道徳=教育勅語でしたから。教育勅語もいいところはあります。たとえば「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ恭儉己れを持し……」などはその通りです。ただ教育勅語にも問題があって、終わりのほうに「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」とある。皇運とは天皇のことです。つまり、一旦緩急あれば自分を犠牲にして天皇の一家を守る、ということです。

学びの場.com今、歴史教科書の選択を巡って、いわゆる「自虐的日本史観」が問題になっていますが……。

田原総一朗さん「自虐」というのは一部の人がそう言っているだけであって、過去に対して余り誇りを持ちすぎるのは危険だと思う。歴史については、反省するぐらいがちょうどいい。「昭和の戦争が正しかった」などというのは冗談じゃない。あれは断固正しくなかったというべきです。 ただ、日本の歴史が全部ダメかというとそんなことはありません。日本が誇ってもいい面もたくさんあります。たとえば、織田信長はそれまで一緒だった宗教と政治を分けた。これは近代化の一種です。また、江戸時代には金融の先物がすでに始まっていた。明治維新の第1世代は、外国語を必死になって勉強した。それから、アジアで外国の植民地にならなかったのは、日本とタイだけです。こんな風に、日本にも誇るべき点はたくさんあります

夢がないのは幸せなこと

学びの場.com今の子どもは、生きる目的がない、とよく言われます。勉強しても将来の見通しが暗いのでニートになってしまう若者も増えていますが……。

田原総一朗さん子どもに夢がない、閉塞感が強いとよく言われますが、とてもいいことだと思います(笑)。夢がなければ自分で作るべきで、閉塞感があるなら打ち破るべきです。乗り越えるべきものがあって、今の子どもはとっても幸せです。たとえば国の800兆円の借金をどうするか? 少子化をどうするか? 問題だらけじゃないですか。先が開けて前途洋々だったら、何もする必要がないじゃないですか。

学びの場.comそう考えると、これから大人になる子どもたちは幸せなのかも知れません。いちばんかわいそうなのは、生まれたときから平和で豊かな時代だった世代、今、就職もできずニートをしている人たちでしょうか?

田原総一朗さん親が悪いんだよ(笑)。親が、「お前、親を食わせなくちゃいけないよ」と言わないのが悪い。僕はずっとそう言われ続けてきたから、高校の時からアルバイトをして、大学になったら親に仕送りするものだと思っていました。そんなことをやっていたら、ニートなんてやっている暇はありませんよ。だから、子どもが親離れできないことよりも、親が子離れできないことの方が問題です。学校にはほとんど責任はないと思う。


実生活では三人の娘さんの父であり、一昨年はお孫さんにも恵まれた田原さん。「私も“子離れできていない親”のひとりなんですよ」と笑う。

関連情報

昨年1月の『朝まで生テレビ! ~激論! こんな教育が日本を滅ぼす?! 』に出演した高篠編集長。田原さんとは実に一年ぶりの対面。「素顔はとても優しいジェントルマン」とのこと。

たとえば小学生の女児殺害が続きましたが、これも学校には責任がない。日本はこれまでずっと性善説に立ってきたけれど、国際化で文化が急激に変わってきているのだと思います。学校の行き帰りで子どもが殺されるなんて、これまでの日本では想定外です。アメリカなどはどちらかというと性悪説に立っているから、通学にはスクールバスを使います。校内暴力などが起きても当然だと考え、日本のように大騒ぎはしません。子どもの安全のためにどうしたらいいか、真剣に考える必要があります。そのために、地域コミュニティーを復活させよう、という動きも出てきています。教育で大切なのも、親と地域です。そのためにも、地方分権、地方主体の動きは正しい方向だと思います。

田原 総一朗(たはら そういちろう)

1934年滋賀県生まれ。早稲田大学文学部を卒業後、JTB、岩波映画社、テレビ東京を経てフリーのジャーナリストに。ご自身で企画、司会も務める『朝まで生テレビ』は、各界の論客に本音でぶつかり、たたみかけるように核心に迫っていく独特の進行ぶりが人気を呼び10年を超える長寿番組となっている。著書は『日本の官僚』『日本の戦争』『日本の戦後』など多数。

聞き手:高篠栄子/構成・文:堀内一秀/PHOTO:岩永憲俊

※当記事のすべてのコンテンツ(文・画像等)の無断使用を禁じます。

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop