意外と知らない"デジタル教材"(vol.1)
全国の小中学校でICT機器(PC、タブレット端末、電子黒板等)の普及が進み、現在では授業・校務と先生方も日常的にICT機器をお使いのことと思います。本連載では、今では当たり前となったデジタル教材の変遷について3回に渡ってご紹介します。第1回は、「デジタル教材へ移行する前に、学校現場ではどのような教材が使われていたか?」について解説します。
提示型投影教材の始まり
かつて、学校現場では、拡大投影する機器として、スライド映写機やOHP(Over Head Projector)が使われていました(もちろん今でも残っていますが)。これらの機器を利用して、提示する画像や、映像素材として、スライド写真や、OHPのステージガラスの上に載せるTP(トランスペアレンシー)教材が売られていました。
TP教材は、透明の板に教材が印刷されている単純なものから、図形を動かすことができる「しかけ絵本」のような構造を持つものも存在しました。手で動かしたり、マーカーで書いたり消したりということが可能でしたので、OHPの投影機を教室に運んで電源を入れれば、その後は直感的に使うことができ、愛用する先生もたくさんいました。今で言うインタラクティブ型の教材の走りでした。
デジタル機器やデジタル教材と呼ばれるものが出現する前は、これらの光学的な提示装置や教材群が、全国の学校で盛んに利用されていました。
映像教材の変遷
デジタル化の波に乗った教材の典型的な例は、映像教材でしょう。今では、いつでもどこでもネットを通じて音楽や動画を視聴することが当たり前となっていますが、昔は、音楽も動画も何らかの媒体に収められて、それぞれに専用の再生機が必要でした。
映像コンテンツを収録した教材を例にとれば、戦後間もない頃までは、8mmフィルムや16mmフィルムで映像教材が販売されていました。学習研究社などは、「教育用映画」「科学映画」を専門に作る部隊を編制していました。時代を経て、家庭用のビデオデッキが発売されるようになると、VHSやベータマックスといった規格のビデオテープ教材が一般的になります。当時は「視聴覚教材」という呼称が使われていました。学校にも「視聴覚教室」と呼ばれる部屋が整備されていたのを記憶されている方も多いでしょう。
文部省(当時)も視聴覚機材必要基準を策定し、全国の自治体に「視聴覚ライブラリー」を整備するよう後押しをしていましたので、自治体の教育センターに視聴覚ライブラリーが併設されている所も多くありました。映像教材でいえば、このあたりまでがアナログ教材の時代です。
以降、ご存知の通り、レコードはCDに、レンタルビデオはテープからDVD-Video(Blu-Ray )に、と急激なデジタル化が推進され現在に至ります。後に述べる、PCやインターネットの普及と相まって、今では、NHKがNHK for Schoolを通じて無料の教育用動画を提供しています。また、米Google社ではYouTube for Schoolといったサービスを提供しています。中学校・高等学校では、YouTubeで流れている英語の映像を語学用教材として用いている先生もいらっしゃることと思います。
このように、専用の設備や環境が必要な映写機から、教室単位で簡単に再生できるビデオデッキへ、そして検索して即時再生ができるインターネット上の動画コンテンツへと動画を再生する手段は遷り変わって来ました。やはり教育の場面では、音や映像で伝えたいという先生方のニーズが変わりなくあるということでしょう。今後も、再生手段は進化を続けつつ、教育現場においては、映像教材が欠かせないものとして使われ続けるのではないでしょうか。
CAI教育の到来
教育現場におけるデジタル機器・教材の歴史を語る上で、最大のインパクトを残したものの一つは紛れもなく、「学校パソコン」の導入でしょう。
小・中学校にコンピュータが本格的に入り始める時期が到来するのは、1980年代に入ってからでした。当時はCAI(Computer Assisted Instruction)または、CMI (Computer Managed Instruction)と呼ばれていました。
CRTモニタと演算装置がセットになった専用システムが問題を画面に表示し、児童・生徒が入力した答えを自動的に正誤判定し、成績集計まで行えるというシステムは、電脳時代の到来を感じさせるに十分であり、情報教育の幕開けとなりました。この他にもコンピュータは、ワープロソフト、お絵描きソフト、漢字練習、語学(LL)など様々な場面で利用されることになります。
CAI自体は米国から輸入された概念でしたが、WindowsやMacOS(Macintosh)が登場する前の段階では、国内の電機メーカーや教育関連企業が独自のCAIシステムを競って開発し、激しいシェア争いが全国で展開されていました。
その後、メーカー専用のCAIシステムは衰退しましたが、コンピュータ上でドリル的な教材などを通じ、学習者が自立的に学ぶ仕組みは、現在、「e-Learning」として主に塾や高等教育、企業教育の場で活用され進化しています。
マルチメディア教材の誕生
1980年代後半から、NECのPC-9800シリーズや富士通のFM TOWNSといった、国産パソコンの普及期を経て、Windows OSを搭載したPC/AT互換機隆盛の時代を迎えます。文部(科学)省による教育用コンピュータ整備費の補助もあり、徐々に学校にパソコンが普及し始めます。
この頃になると、パソコンがカラーの画像や動画を表示する能力を備え出し、1990年代に入ると、CD-ROMが登場し、FD(フロッピーディスク)に比べて遥かに大容量データを格納できるようになりました。
画像や動画がふんだんに格納された百科事典ソフトウェアが登場するなど、シミュレーション型の教材が登場することとなります。
普通教室へのパソコン配備
それまで大学や学術機関のものだったインターネットを小中高校に導入する「100校プロジェクト」を起爆剤に、2000年代に入ると、本格的にインターネットが普及し、同時に普通教室へもパソコンが入り始めます。それまでは、CAI教育に始まり、「パソコン教室」でパソコンを利用するというのが当たり前でした。情報教育としてパソコンが使えるようになることに主眼が置かれていたためです。
2000年代以降は、普通教室で行われる教科教育にもパソコンを活用しようという取り組みが実践され、一斉授業で指導しやすい提示型のデジタル教材が増え出します。
パソコンの低廉化も然ることながら、2010年代以降は、プロジェクタの低廉化、補助金の充実による電子黒板の整備拡充とセットになって、普通教室でICT機器を活用する土壌が整ってきます。電子黒板は、麻生政権時に打ち出されたスクールニューディール政策によって国家的規模で後押しされ、普及が加速したという背景もありました。
プロジェクタの役割の変遷
普通教室へのパソコンの導入と前後して、1990年代後半からは学校にプロジェクタが導入され始めました。当時は、提示型デジタル教材があまり存在していませんでしたので、プロジェクタと書画カメラの組み合わせが重宝されました。
先に上げたOHPとTPの組み合わせ同様、操作が簡便であり、先生が教材を書画カメラの投影台に置いて、児童・生徒の顔を見ながら指導することができたため、ICT機器の操作に長けていない先生でも利用できるというメリットがありました。
普通教室にパソコンが入り始めたことで、プロジェクタが、パソコン画面の大型提示装置としての役割を担うことになります。以降、そのための改良が加えられ、現在のプロジェクタは、電子黒板機能を備えたものも一般的になっています。また、高輝度化・短焦点化等の技術改良により、従前に比べて教室内での設置自由度が格段に高まりました。
大画面ディスプレイと共に、プロジェクタは教材を大きく投影できる機械として今後も親しまれていくことでしょう。
今回は、アナログ機器・教材からデジタル機器・教材への移行の様子や背景をお伝えしました。第2回は、「現在のデジタル教材」についてもう少し詳しく見て行きましょう。
構成・文:内田洋行 教育コンテンツ企画部 石島有剛
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