2019.07.31
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『風をつかまえた少年』映画と学ぶ特別授業(後編) -麹町中学校の生徒によるライブインタビューと原作者からのメッセージ-

日本では2019年8月2日に公開される映画『風をつかまえた少年』は、実話をベースにした作品だ。今回来日したウィリアム・カムクワンバ氏は、まさにその実話を体験した当事者であり、自分の体験したことを1冊のノンフィクションにまとめて出版した功労者でもある。そんな彼に今回は直接、短い時間ではあったが、お話を伺うことができた。

小さい頃から独学でラジオなども直せるように

教育というものは自分の生きる術、人生の選択をふやすことになる

画像提供:ロングライド

ー今日の麹町中学校で行われた特別授業の感想をお聞かせください。

ウィリアム・カムグワンバ(敬称略) 素晴らしかったですよ。生徒さんたちは恥ずかしがることなく、ちゃんと質問をしてくれたのが嬉しくて。あの年齢って自己表現することを恥ずかしがってしまう人も多いですから。なのにみんなの前で立って質問をして、素晴らしいことだと思います。

ー授業終了後には生徒さんに囲まれてたくさんお話をされていましたね。

ウィリアム・カムクワンバ 東京を観光しましたか?とか、自分の物語についてもっと知りたいというようなことも言ってくれました。

ーそれでは映画のお話をお聞きしたいのですが、まずラジオを直すのが得意という話がありましたが、あのラジオ直しも独学だったのでしょうか?

ウィリアム・カムクワンバ そうなんです。独学なんですよ。もともとは4歳〜6歳くらいの時に抱いた好奇心が出発点だったのですが、その当時、僕は小さな人間がラジオの中に入って喋ったり歌ったりしているのかと思っていて。それで親のラジオを黙って勝手に分解して、まあ見事に使えなくなってしまいましたが(笑)。その後、ひとつひとつ部品を付けたり取り除いてみたりして色々試しました。するとこの部品は音質に影響が関係していたのかとか、これを取ったらチャンネルが動かせなくなったからチャンネルの部品だとか、そうやって試行錯誤をくり返しているうちに、ラジオを直せるようになってしまったんです。

ー学校に入るまでは、興味のあることは自分で学んでいくようなタイプだったんですね。

ウィリアム・カムクワンバ ラジオが最初だったと思いますが、友達と遊ぶものもよく自分たちで作ったりしていました。ハンドルが切れる、ちゃんとハンドルに合わせてタイヤが動く車とかね。それを誰が最初に作れるか競争したりしていました。

ーそれにしてもあれだけお父様などに風車作りを反対されたら、普通は挫折しても不思議ではないと思います。それでも作り続けていられたのはなぜですか?

ウィリアム・カムクワンバ 最初に手に取ったエネルギーの本の表紙に、風力発電が乗っていたことが大きかったと思います。誰かが作ったのなら絶対に自分だって作れるはずだと感じたんです。もうひとつは大きな風車を建てる前にプロトタイプの小さなモノを作り、それが機能することがわかっていたのも大きかったですね。そのスケールの大きいものを作るだけだと思っていたから。あとは自分に対して、本当にそんなものができるのかという疑いの目が向けられている中で、自分が作らないと周りからは「ほら、みたことか」とか「何をやっているんだ、お前は」と言われてしまいます。逆に自分が作れば、無駄なことをしているわけではなく、みんなにとって役に立つものを作っていることをちゃんと証明できるという気持ちもありましたね。

ー この映画を観ていて、そうやって学ぶことの大切さをすごく感じました。
でもウィリアムさんは学びたかったのに、学費の問題で中等教育を諦めることになった。
日本は9年間の義務教育がありますが、そういう制度をどう思いますか?

ウィリアム・カムクワンバ 僕は教育というものはとても大切だと思っています。自分から選択肢を選ぶことが難しい幼い子どもたちに取って義務教育という制度は絶対に必要なことだと思います。年を経てからは自分で学びたいことを選択して学べば良いと思いますが。そもそも小さい子どもに学校に行くかどうか選んでいいよとしたら、どのくらいの子が通うかちょっと不安ですからね(笑)。まずは勉強することや学校に行くことの意味や大切さを知るというための義務教育は悪いことではないと思います。ただ同時に子供たちが何をやりたいのか、好きなのかを理解するのも大切だと思います。そして共にそれが見えたなら、どうしたらそのゴールに辿り着けるのか、一緒に考えていくことが大切なのではないでしょうか。それを親が勝手に押し付けるようなことをしたり、子どもたちの意見を聞かないとなると、また違ってきてしまうと思います。話し合いながら自分にあった教育方法とはどういうものなのか、自分の一番好きなものや好きなことがやれるのか、そんなことを一緒に考えていくことが大切だと思います。

画像提供:ロングライド

ーそれでは最後にこのインタビューを読んでくださった皆様にメッセージをお願いできますか?

ウィリアム・カムクワンバ まとめると、大人は子供たちの声にちゃんと耳を傾けてほしいと思います。親は良かれと思って、子供たちのキャリアを自分たちで決めて押し付けてしまうことがあります。でも子供の人生はあくまでもその子の人生。
どうしても心から好きじゃなければ、そのことに情熱を注ぐことはまず難しいものでしょう。とにかく子供たちのやりたいことがわかったのならば、それをサポートしてあげればいいんです。あとは自分たちの可能性を自分たちで狭める必要性はないことと、自分がやりたいこととやるべきことが違うんだということも、子供たちに知ってもらい、思い出してもらうことも大切だと思います。

ーそんなウィリアムさんの現在の夢はなんですか?

ウィリアム・カムクワンバ 僕の夢は若い方々が自分たちのアイディアを育める場所を作ることなんです。そして、それをイノベーションに繋げていければいいなと思っています。問題に対しての解決法をちゃんと形にできるようにするということです。そのために今僕は2016年から世界にデジタル教育を届ける団体Widernetと協力関係を築き、アメリカとマラウイを行き来しながらイノベーション・センターを立ち上げようとしています。プロジェクトとしてはまだ資金調達をしているところですが。実際、僕が風車を作る時に本当に相談できる相手がいなかったんです。教えてくれる人もいなければ、使える機器もないし、工場みたいな場所もなかった。アイディアを活かせる場所に僕や他の相談できる人がいたら、それに使える機器があれば、アイディアを本当に形にすることができますよね。そういう場所を提供することができるのが、僕のゴールなのではないかと感じています。できればこれから2〜3年でイノベーション・センターをたちあげたいと思っています。

ウィリアム・カムクワンバ

1987年、マラウイのリロングウェに生まれる。7人の子供たちのうちの唯一の男児だった。国中を襲った大干ばつにより、14歳の時に学費を払えなくなり退学。以来、NPOの寄贈図書館で物理や科学を独りで学んでいく。廃品で風力発電の可能な風車を制作し、井戸から定期的に電気を使って水を汲み上げる設備を開発。畑を干ばつから救いだした。その出来事が国内外の記事で取り上げられたことから、国際会議『TEDグローバル』に招待されるなど、世界的な名声を手に入れることに。2014年にアメリカの名門ダートマス大学を卒業。現在はアメリカとマラウイを行き来しながら、農業や水アクセス、教育など様々なプロジェクトに携わっている。

取材・文:横森文 画像:ロングライド

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