これまでに書き綴った「教育つれづれ日誌」の中で、私は、「友だちとのトラブルが絶えない子」、「偏食の子」など、特徴的な様子を示すケースを何度か取り上げてきました。そして、大人の目に見える部分は実はつまずきの「根っこ」を知る重要なサインであることを強調してきました。今回は、「根っこ」を掘り下げていく作業に、「年齢」という軸を加えてお話していきたいと思います。
その子にとっての支援の適切さの一つとして、年齢や発達段階に応じた援助の量やレベルを考慮しているか、という点が挙げられます。同じつまずきを持つ子でも、幼児と中学生では、大きく対応が異なるのが普通です。たとえば、8月から9月にかけて2回に分けて取り上げた「言葉よりも先に手が出てしまう子」の場合、幼児期であれば、発達障害への支援というよりも「子育て支援」という観点から広くとらえ直す必要があります。中学生で同じつまずきを抱えている場合には、第二次性徴にともなう第二次反抗期についての理解も大切になることでしょう。
前回取り上げた「タッチのものさし」。接触する場面での基準作りの必要性をうたった教材ですが、これは小学校低学年程度の年齢で認められる接触を想定したものですので、中学校でそのまま使えるとは考えていません。
以上のように年齢や発達段階という軸は、支援を考える際に欠かしてはならない重要なポイントだと言えます。
中学校に巡回相談に出かけると、授業中ほとんど顔を上げない子がクラスに何人かいる場面に遭遇することがあります。「自分にはできない」、「やっても無駄」・・・自己有能感の低さの表れです。静かにしていてくれるので、授業の進行の妨げになることはありません。しかし、その子たちから返ってくる反応もない、そんな状況です。
ここまで追い込まれてしまった子どもたちの多くは、それ以前に多数の失敗経験を積み上げてきているということがわかっています。したがって、失敗経験を積ませることだけは避けなければなりません。「そうは言っても、失敗から学ぶことだってあるのではないか」とお叱りをいただくかもしれませんが、彼らが学んだことは「やってもできない感」なのだと思います。失敗から、自分のふがいなさを「誤学習」してきた状態なのです。
中学校に入ってからいきなり「支援を」といってもなかなか浸透しません。幼児期や、遅くとも小学校低学年までに、「失敗しても、大人と一緒にやればうまくできる」という大人の援助を受け入れる態度の形成ができていることが大切です。こうした土台があってはじめて、多感な思春期にあっても他人の援助を受けてみようかなという気持ちになれるのだろうと思います。
幼少期の支援のあり方は、その後に続く少年期、青年期の支援に大きく影響します。その場しのぎの支援でとどまらないよう、長いスパンを考えた支援であってほしいと願っています。
その子にとっての支援の適切さの一つとして、年齢や発達段階に応じた援助の量やレベルを考慮しているか、という点が挙げられます。同じつまずきを持つ子でも、幼児と中学生では、大きく対応が異なるのが普通です。たとえば、8月から9月にかけて2回に分けて取り上げた「言葉よりも先に手が出てしまう子」の場合、幼児期であれば、発達障害への支援というよりも「子育て支援」という観点から広くとらえ直す必要があります。中学生で同じつまずきを抱えている場合には、第二次性徴にともなう第二次反抗期についての理解も大切になることでしょう。
前回取り上げた「タッチのものさし」。接触する場面での基準作りの必要性をうたった教材ですが、これは小学校低学年程度の年齢で認められる接触を想定したものですので、中学校でそのまま使えるとは考えていません。
以上のように年齢や発達段階という軸は、支援を考える際に欠かしてはならない重要なポイントだと言えます。
中学校に巡回相談に出かけると、授業中ほとんど顔を上げない子がクラスに何人かいる場面に遭遇することがあります。「自分にはできない」、「やっても無駄」・・・自己有能感の低さの表れです。静かにしていてくれるので、授業の進行の妨げになることはありません。しかし、その子たちから返ってくる反応もない、そんな状況です。
ここまで追い込まれてしまった子どもたちの多くは、それ以前に多数の失敗経験を積み上げてきているということがわかっています。したがって、失敗経験を積ませることだけは避けなければなりません。「そうは言っても、失敗から学ぶことだってあるのではないか」とお叱りをいただくかもしれませんが、彼らが学んだことは「やってもできない感」なのだと思います。失敗から、自分のふがいなさを「誤学習」してきた状態なのです。
中学校に入ってからいきなり「支援を」といってもなかなか浸透しません。幼児期や、遅くとも小学校低学年までに、「失敗しても、大人と一緒にやればうまくできる」という大人の援助を受け入れる態度の形成ができていることが大切です。こうした土台があってはじめて、多感な思春期にあっても他人の援助を受けてみようかなという気持ちになれるのだろうと思います。
幼少期の支援のあり方は、その後に続く少年期、青年期の支援に大きく影響します。その場しのぎの支援でとどまらないよう、長いスパンを考えた支援であってほしいと願っています。

川上 康則(かわかみ やすのり)
東京都立港特別支援学校 教諭
障害のある子どもたちの指導に携わる一方、特別支援教育コーディネーターとして小中学校を支援してきました。教育技術の一つとしての「特別支援教育」を考えていきます。
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