中間考査も終わった時期でしょうか。試験監督をしていて気付いたことを紹介します。
ある試験の行われている教室の場面。
テストが始まると、鉛筆やシャープペンシルなどの筆記用具が答案用紙の上を走る音が静寂な教室に響く。なんと平和な一時であろうか。
「あー試験中なのだな」とホットする。
日頃の教科の授業では私語が溢れ、ほんの数分と静かにならないのである。そんな彼らでも一応試験中はけじめを付けてくれることが嬉しい。だったら授業中もけじめを付けられるのではないかと考えてしまう。こんな事ににんまりと喜んでいるようではいけないのかも知れない。
残念なことに、筆記用具の音も15分と続かない。やはり、ぬか喜びである。頭にため込んであった解答例やら暗記事項を答案用紙にはき出してしまうのも本当に早い。15分間持てばいい方である。
解答を頭のチューブからしぼり出したとたん、忽然と頭が机に吸い寄せられていく。そして新たな静けさに教室は包まれていく。カリカリという答案に答えを書き殴っていた慌ただしさに哀愁を感じてしまう。今度は、一夜漬けした疲れか、それとも次のテストに向けての休養なのか、彼らはうたた寝か爆睡の段階へ進んでしまう。
目をつむって静かに眠っていてくれたら、試験監督者には心穏やかなのである。でも試験監督者を安心させてはなかなかくれない。「すーすー」という寝息はまだ許せるのだが、鼾の癖のある生徒の場合は困ってしまう。他の受験生の集中が途切れることになるので、折角の熟睡のところを起こしに行かなければならない。
周りの生徒らも「クスクス」声から不要な発言が出てきて、厳粛なテストの雰囲気が壊される大きな要因にもなる。起こされた生徒は、気持ちよく自分の世界に浸っていたところを邪魔されたものだから、寝起きが悪いのに乗じて、とても不機嫌な顔になってしまう。彼との葛藤が新たにドラマを演じることになる。
彼らには、50分の中間や期末などの定期考査は、非常に時間が長く、意味があるものとは映らないようである。試験監督をしている私にも50分がいやに長く感じられる。
実は、上に紹介した生徒らは、まだいい方であると私は考えている。試験監督をしていて「ボー」とまるっきり生気がなくやる気が見えない生徒がいる。これこそが問題である。
上で紹介したテストの風景は、ある教科で、事前にテスト用の対策プリントが出ている。さらにこの先生は、試験の1時間前の授業で、対策プリントを用いて1度解答作りをさせて、本番の考査に臨ませている。対策プリントの内容も記述と記号のバランスも良くできており、○×で答えさせるものが入っており、生徒への負担も考慮されている。生徒にとって勉強しやすく工夫されている。
生徒は、本当に意欲的に解答を覚えてきている。内容の理解が伴っているかどうかは正直わからない。しかし、この先生の科目を生徒らは一生懸命に勉強しているという点では、やる気にさせている何かがあるのだ。
それは、これとこれをやれば(暗記すれば)点数(満点)がとれるという具体的な結果が、生徒に見えることであろう。実際90点以上が取れるのである。点数が取れるという、実現可能なことが、暗記するという、比較的思考労力を使わなくても済むので、生徒らにはとても魅力なのである。高得点をとって来たことがないので、なおさらやる気になるのである。また対策プリントという限定された勉強の範囲が、勉強しやすく生徒には感じるのである。テスト範囲だけの指示では、何を、どこを、どう勉強したらいいのか、生徒らは分からないのである。
一度事前に授業で扱うことによって、頭の中にいくらか記憶として残っているので、家で自分一人で勉強する時にも、分からなくて、やる気が失せることが軽減される。
最近、テスト範囲だけを伝えていた古いスタイルでは、生徒らがテスト勉強をしてこなくなったと実感していた。どうしたら生徒らはテスト勉強に時間をかけてくれるのか悩んでいる。本当は少しずつ手を離して、自分で自立してテスト勉強ができるように育てなければいけないのである。
でも小学や中学までの段階に学習習慣が十分に付いていなかった生徒らも増えてきている現状では、上で触れたような対応では非常に甘く過保護だとお叱りを受けるかもしれないが、手厚く、きめ細かいテストへの指導ステップを踏まなければならないと実感している次第である。最終的には、テストで何をめざし、何を求め、どこを評価していきたいのかという教科担当者の考え方(信念)にも関わることになるかもしれない。
私は、今日答案を生徒に返した。
その中で、
(1)何を目指したテストだったのか
(2)みんなの点数や間違え方から、先生の教え方で反省すべき事や
(3)先生が出来るようになってほしかった内容が何であったのかを語り、
(4)それを生徒みんなにもう一度理解してもらうようにした。
そして、1時間かけて、テストの間違い直しをさせた。
優しい(?)岩本先生は、
「次の授業の時は、同じ問題で全員に再テストを実施するぞ」という〈ご褒美〉を与えたのだ。
金八先生のように色々御託を並べても効果が上がるかどうかは分からない。
「赤点になるぞ」という天下の印籠を見せつけて、強権発動をするしかないのだろうか。これだけは避けたいのが私の気持ちである。
生徒からは悲鳴ともとれるブーイングの嵐となってしまったが、ねばり強く生徒に勉強させるよう根比べを楽しんでいきたいと思う。再テスト勉強をやってきてくれるかどうかは生徒次第。楽しみにしています。
ある試験の行われている教室の場面。
テストが始まると、鉛筆やシャープペンシルなどの筆記用具が答案用紙の上を走る音が静寂な教室に響く。なんと平和な一時であろうか。
「あー試験中なのだな」とホットする。
日頃の教科の授業では私語が溢れ、ほんの数分と静かにならないのである。そんな彼らでも一応試験中はけじめを付けてくれることが嬉しい。だったら授業中もけじめを付けられるのではないかと考えてしまう。こんな事ににんまりと喜んでいるようではいけないのかも知れない。
残念なことに、筆記用具の音も15分と続かない。やはり、ぬか喜びである。頭にため込んであった解答例やら暗記事項を答案用紙にはき出してしまうのも本当に早い。15分間持てばいい方である。
解答を頭のチューブからしぼり出したとたん、忽然と頭が机に吸い寄せられていく。そして新たな静けさに教室は包まれていく。カリカリという答案に答えを書き殴っていた慌ただしさに哀愁を感じてしまう。今度は、一夜漬けした疲れか、それとも次のテストに向けての休養なのか、彼らはうたた寝か爆睡の段階へ進んでしまう。
目をつむって静かに眠っていてくれたら、試験監督者には心穏やかなのである。でも試験監督者を安心させてはなかなかくれない。「すーすー」という寝息はまだ許せるのだが、鼾の癖のある生徒の場合は困ってしまう。他の受験生の集中が途切れることになるので、折角の熟睡のところを起こしに行かなければならない。
周りの生徒らも「クスクス」声から不要な発言が出てきて、厳粛なテストの雰囲気が壊される大きな要因にもなる。起こされた生徒は、気持ちよく自分の世界に浸っていたところを邪魔されたものだから、寝起きが悪いのに乗じて、とても不機嫌な顔になってしまう。彼との葛藤が新たにドラマを演じることになる。
彼らには、50分の中間や期末などの定期考査は、非常に時間が長く、意味があるものとは映らないようである。試験監督をしている私にも50分がいやに長く感じられる。
実は、上に紹介した生徒らは、まだいい方であると私は考えている。試験監督をしていて「ボー」とまるっきり生気がなくやる気が見えない生徒がいる。これこそが問題である。
上で紹介したテストの風景は、ある教科で、事前にテスト用の対策プリントが出ている。さらにこの先生は、試験の1時間前の授業で、対策プリントを用いて1度解答作りをさせて、本番の考査に臨ませている。対策プリントの内容も記述と記号のバランスも良くできており、○×で答えさせるものが入っており、生徒への負担も考慮されている。生徒にとって勉強しやすく工夫されている。
生徒は、本当に意欲的に解答を覚えてきている。内容の理解が伴っているかどうかは正直わからない。しかし、この先生の科目を生徒らは一生懸命に勉強しているという点では、やる気にさせている何かがあるのだ。
それは、これとこれをやれば(暗記すれば)点数(満点)がとれるという具体的な結果が、生徒に見えることであろう。実際90点以上が取れるのである。点数が取れるという、実現可能なことが、暗記するという、比較的思考労力を使わなくても済むので、生徒らにはとても魅力なのである。高得点をとって来たことがないので、なおさらやる気になるのである。また対策プリントという限定された勉強の範囲が、勉強しやすく生徒には感じるのである。テスト範囲だけの指示では、何を、どこを、どう勉強したらいいのか、生徒らは分からないのである。
一度事前に授業で扱うことによって、頭の中にいくらか記憶として残っているので、家で自分一人で勉強する時にも、分からなくて、やる気が失せることが軽減される。
最近、テスト範囲だけを伝えていた古いスタイルでは、生徒らがテスト勉強をしてこなくなったと実感していた。どうしたら生徒らはテスト勉強に時間をかけてくれるのか悩んでいる。本当は少しずつ手を離して、自分で自立してテスト勉強ができるように育てなければいけないのである。
でも小学や中学までの段階に学習習慣が十分に付いていなかった生徒らも増えてきている現状では、上で触れたような対応では非常に甘く過保護だとお叱りを受けるかもしれないが、手厚く、きめ細かいテストへの指導ステップを踏まなければならないと実感している次第である。最終的には、テストで何をめざし、何を求め、どこを評価していきたいのかという教科担当者の考え方(信念)にも関わることになるかもしれない。
私は、今日答案を生徒に返した。
その中で、
(1)何を目指したテストだったのか
(2)みんなの点数や間違え方から、先生の教え方で反省すべき事や
(3)先生が出来るようになってほしかった内容が何であったのかを語り、
(4)それを生徒みんなにもう一度理解してもらうようにした。
そして、1時間かけて、テストの間違い直しをさせた。
優しい(?)岩本先生は、
「次の授業の時は、同じ問題で全員に再テストを実施するぞ」という〈ご褒美〉を与えたのだ。
金八先生のように色々御託を並べても効果が上がるかどうかは分からない。
「赤点になるぞ」という天下の印籠を見せつけて、強権発動をするしかないのだろうか。これだけは避けたいのが私の気持ちである。
生徒からは悲鳴ともとれるブーイングの嵐となってしまったが、ねばり強く生徒に勉強させるよう根比べを楽しんでいきたいと思う。再テスト勉強をやってきてくれるかどうかは生徒次第。楽しみにしています。
岩本 昌明(いわもと まさあき)
富山県立富山視覚総合支援学校 教諭
視覚に病弱部門が併置された全国初の総合支援学校。北陸富山から四季折々にふれて、特別支援教育と英語教育を始め、身の回りに関わる雑感や思いを皆さんと共有できたらと願っています。
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