本校の存在意義が問われる行事の一つに、1ヶ月乗船実習がある。太平洋上でのマグロ延縄実習を行うために、先頃9月17日に、富山新港(旧新湊市)を出港した。日本海を北上し、津軽海峡を抜けて、太平洋中央部の漁場で2週間程度、文字通りマグロの調査漁猟を行う予定になっている。捕獲したマグロは、静岡県三崎漁港で水揚げし、その後太平洋に沿って瀬戸内海を通り、門司港で施設見学をする。そして日本海を北上して、10月16日に富山へ戻ってくることになっている。大ざっぱに言えば日本を船で一周することになる。
全国には高校生が300万人いると言われている。そのうち水産系の高校生は0.3%で、約1万人であるらしい。その中で実際、乗船実習を体験できる高校生というのは、もっと少なくなるらしい。ということは、乗船実習体験ができるというのは、非常に貴重なことでもあるのだ。
たまたま水産系の高等学校に勤務しているからではあるが、私は、できれば多くの生徒に高校時代または中学時代でも構わないが、相当の期間の乗船体験も学校教育の一部として脚光を当てても良いのではないかと考えはじめてきた。従来から水産教育という視点から乗船実習は、学校のカリキュラムや授業の一環として考えられている。
私は、林間学校などの宿泊学習や、インターンシップなどのキャリア教育などと同様に、乗船実習も大きな学校教育の中で位置づけられないだろうかと考える。乗船実習を水産系の枠から外す発想も必要ではないかと思うのだ。
昨今の水産業界をはじめとする第一次基幹産業への若年層の興味関心の低下や、日本の社会構造の激変や農林水産業への国家施策上の不備等が複雑に絡み合って、水産系の高校などを取り巻く環境は、言葉で言い尽くしきれないほど困難を極めてきていると感じられる。
本校に限らず、水産教育が、たとえば水産業へ出口問題として直接反映されなくとも、人間教育・人間形成という大きな意味や観点で、一人ひとりを本当に大事にして、コペルニクス的転換や変化を生徒たちに与えており、数値にできない、数値にならない部分をなんとかアピールできないものかと考えている。
では、乗船実習では、一体どんなメリットが生徒にあるのか。私なりに考え、水産系の専門教科の先生方と交わした会話から得たヒントなどを列記してみたい。
1)浮き世の雑音から隔離できる。船内はテレビもない。携帯の電波も届かない。船での生活は、陸地での情報の氾濫から遮断される。このことが大きな理由か分からないが、顔つきが変わり、何か取り憑かれたものがなくなったような、すっきりした締まった表情になる。
2)団体共同生活を通して、人間的な濃い付き合いを体験することができる。生徒間同士だけでなく、指導教官や船長や機関長を始め乗組員の方々とも。もしかしたら家族とすら取っていなかったような親密なコミュニケーション体験することにもなる。
3)船という生活の場を利用した一種の寮生活を体験する中で、食事当番、機関当直など
仕事分担など、個々人に負わされた責任分担を果たすことを学ぶ。
4)たとえイヤなことや我が儘を言いたい・したいことがあっても、「我慢」をしないといけない状況(逃げることができない状況)で生活を強いられるので、比較的自分の思い通りに言動をとってきた生徒にとっては、つらいかも知れないが、大切で重要な社会勉強の機会になっている。
5)マグロ以外のマンボウやサメなどの捕獲品を直に目にすること、イルカやカモメなど大海原という自然に触れ、自然体験をすること。
6)相当期間を船酔いに苦しむこともあろうし、悪天候など自然環境を受け入れることもある。体調管理および健康であることのありがたみを味わうことになる。
7)身の回りのことは、自分ですることが求められる船内生活を通して、改めて家族や家庭や親兄弟のありがたみに気付かされることになる。
8)集団生活を通して、生徒同士の結団力も高まり、学校へ戻ってからの学習面でも前向きな行動がとれるようになる。
これらは、マグロ延縄等の操業実習から見れば、副産物のような事柄であるかもしれないが、私はこの部分も大事であると思っている。
乗船に関して上で考えてみたことは、私が教えている「英語」にも通じることがあるのではないかと気付いた。
英語の「読み・書き・聞き・話す力」を付けたり、大学入試を突破する学力を付けたりすることを一つの目的として英語を教えていることもある。しかし、英語を通して、人間形成の面を見失ってはいけないのではないかと考えさせられる。次のような副次的な点の方も大事なのではないだろうか。
具体的に言うと、
1)言葉そのものに敏感になること。
2)人とのコミュニケーションを成り立たせるために大切な人間的なもの。
3)英語を通して、逆に日本語そのものを振り返り・見直し、他の諸言語にも興味関心が広がること。
4)英語は、世界語としても、情報の授受の道具としても必要で、グローバルな広い視野を持つためにも有効であること。
5)英語に限らないが、外国語を学ぶことが、ものの見方・考え方の多様性を理解し共有することにも通じる窓口となること。
話は戻るが、乗船実習は、本校の教育課程に組み入れてあり、授業の一環でもあり、評価をされ、単位認定にもなっている。このような実務面で乗船実習は大事であるのだと言うよりは、副次的な部分こそが重要で強調されるべきではないかと思う。この副次的な部分の成果や結果は今日明日にすぐ答えがでるものではないかもしれない。何年後か何十年後に花開くものかもしれない。そうでなくても、彼ら彼女らの体の芯のどこかに組み込まれて、きっと一生の宝物となると確信している。
こう思っていても、残念なことに行政や事務方には、理解されない部分もあるようだ。今回の乗船実習には、原油の高騰が逆風となっている。このため、少しでも燃費を抑えるために、船の速度を遅くする工夫が求められ、そのため漁場へいくまでの時間が従来よりかかることになる。航路もできるだけ短くし、航海にかかる燃料費を抑制することに腐心しているようだ。
また船の維持管理にかかる費用と教育効率の関連が問題として出てくる。生徒一人に県が負担する経費は、普通科の生徒の5~6倍になるとも言われている。聖域無き財政再建の大義名分の下、やはり生徒の数が少なく、弱い立場のところから切り込みが行われていく傾向が出てくる。教育効率という数値が幅を利かしている。さて、この流れで本当に良いのだろうか。行政や事務方にも1ヶ月の長期乗船実習体験をお奨めしたいものである。
全国には高校生が300万人いると言われている。そのうち水産系の高校生は0.3%で、約1万人であるらしい。その中で実際、乗船実習を体験できる高校生というのは、もっと少なくなるらしい。ということは、乗船実習体験ができるというのは、非常に貴重なことでもあるのだ。
たまたま水産系の高等学校に勤務しているからではあるが、私は、できれば多くの生徒に高校時代または中学時代でも構わないが、相当の期間の乗船体験も学校教育の一部として脚光を当てても良いのではないかと考えはじめてきた。従来から水産教育という視点から乗船実習は、学校のカリキュラムや授業の一環として考えられている。
私は、林間学校などの宿泊学習や、インターンシップなどのキャリア教育などと同様に、乗船実習も大きな学校教育の中で位置づけられないだろうかと考える。乗船実習を水産系の枠から外す発想も必要ではないかと思うのだ。
昨今の水産業界をはじめとする第一次基幹産業への若年層の興味関心の低下や、日本の社会構造の激変や農林水産業への国家施策上の不備等が複雑に絡み合って、水産系の高校などを取り巻く環境は、言葉で言い尽くしきれないほど困難を極めてきていると感じられる。
本校に限らず、水産教育が、たとえば水産業へ出口問題として直接反映されなくとも、人間教育・人間形成という大きな意味や観点で、一人ひとりを本当に大事にして、コペルニクス的転換や変化を生徒たちに与えており、数値にできない、数値にならない部分をなんとかアピールできないものかと考えている。
では、乗船実習では、一体どんなメリットが生徒にあるのか。私なりに考え、水産系の専門教科の先生方と交わした会話から得たヒントなどを列記してみたい。
1)浮き世の雑音から隔離できる。船内はテレビもない。携帯の電波も届かない。船での生活は、陸地での情報の氾濫から遮断される。このことが大きな理由か分からないが、顔つきが変わり、何か取り憑かれたものがなくなったような、すっきりした締まった表情になる。
2)団体共同生活を通して、人間的な濃い付き合いを体験することができる。生徒間同士だけでなく、指導教官や船長や機関長を始め乗組員の方々とも。もしかしたら家族とすら取っていなかったような親密なコミュニケーション体験することにもなる。
3)船という生活の場を利用した一種の寮生活を体験する中で、食事当番、機関当直など
仕事分担など、個々人に負わされた責任分担を果たすことを学ぶ。
4)たとえイヤなことや我が儘を言いたい・したいことがあっても、「我慢」をしないといけない状況(逃げることができない状況)で生活を強いられるので、比較的自分の思い通りに言動をとってきた生徒にとっては、つらいかも知れないが、大切で重要な社会勉強の機会になっている。
5)マグロ以外のマンボウやサメなどの捕獲品を直に目にすること、イルカやカモメなど大海原という自然に触れ、自然体験をすること。
6)相当期間を船酔いに苦しむこともあろうし、悪天候など自然環境を受け入れることもある。体調管理および健康であることのありがたみを味わうことになる。
7)身の回りのことは、自分ですることが求められる船内生活を通して、改めて家族や家庭や親兄弟のありがたみに気付かされることになる。
8)集団生活を通して、生徒同士の結団力も高まり、学校へ戻ってからの学習面でも前向きな行動がとれるようになる。
これらは、マグロ延縄等の操業実習から見れば、副産物のような事柄であるかもしれないが、私はこの部分も大事であると思っている。
乗船に関して上で考えてみたことは、私が教えている「英語」にも通じることがあるのではないかと気付いた。
英語の「読み・書き・聞き・話す力」を付けたり、大学入試を突破する学力を付けたりすることを一つの目的として英語を教えていることもある。しかし、英語を通して、人間形成の面を見失ってはいけないのではないかと考えさせられる。次のような副次的な点の方も大事なのではないだろうか。
具体的に言うと、
1)言葉そのものに敏感になること。
2)人とのコミュニケーションを成り立たせるために大切な人間的なもの。
3)英語を通して、逆に日本語そのものを振り返り・見直し、他の諸言語にも興味関心が広がること。
4)英語は、世界語としても、情報の授受の道具としても必要で、グローバルな広い視野を持つためにも有効であること。
5)英語に限らないが、外国語を学ぶことが、ものの見方・考え方の多様性を理解し共有することにも通じる窓口となること。
話は戻るが、乗船実習は、本校の教育課程に組み入れてあり、授業の一環でもあり、評価をされ、単位認定にもなっている。このような実務面で乗船実習は大事であるのだと言うよりは、副次的な部分こそが重要で強調されるべきではないかと思う。この副次的な部分の成果や結果は今日明日にすぐ答えがでるものではないかもしれない。何年後か何十年後に花開くものかもしれない。そうでなくても、彼ら彼女らの体の芯のどこかに組み込まれて、きっと一生の宝物となると確信している。
こう思っていても、残念なことに行政や事務方には、理解されない部分もあるようだ。今回の乗船実習には、原油の高騰が逆風となっている。このため、少しでも燃費を抑えるために、船の速度を遅くする工夫が求められ、そのため漁場へいくまでの時間が従来よりかかることになる。航路もできるだけ短くし、航海にかかる燃料費を抑制することに腐心しているようだ。
また船の維持管理にかかる費用と教育効率の関連が問題として出てくる。生徒一人に県が負担する経費は、普通科の生徒の5~6倍になるとも言われている。聖域無き財政再建の大義名分の下、やはり生徒の数が少なく、弱い立場のところから切り込みが行われていく傾向が出てくる。教育効率という数値が幅を利かしている。さて、この流れで本当に良いのだろうか。行政や事務方にも1ヶ月の長期乗船実習体験をお奨めしたいものである。
岩本 昌明(いわもと まさあき)
富山県立富山視覚総合支援学校 教諭
視覚に病弱部門が併置された全国初の総合支援学校。北陸富山から四季折々にふれて、特別支援教育と英語教育を始め、身の回りに関わる雑感や思いを皆さんと共有できたらと願っています。
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