2007.06.29
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0点から見えてきたこと

富山県立富山視覚総合支援学校 教諭 岩本 昌明

 最近世の中は、何でも数値化していこうとする傾向が幅を利かせているようだ。数字や数値というものは、一見客観的・科学的にも理路整然と誰に対しても説明責任が果たせるように思われている。

 数値目標という言葉が、教育現場でもやたらと耳にすることとなった。テストや通知票など、数字を扱うことに慣れている学校現場が、逆にこの数値目標ということに意外と抵抗を示している皮肉な状態が生まれている。

 また、数値数字信仰に踊らされている現在に何か落とし穴があるのではないかと個人的には心配もしている。

 さて、英語のテストの採点をしていて感じることがある。そもそも無記入の解答用紙が多いのである。採点者にとっては、解答がないので、非常に採点が早く進んで嬉しいというか、楽なことである。

 しかし、これで良いのかと考えさせられることにもなる。
 同じ0点でもそこには様々な状態の英語の学力差が隠れているのではないだろうか。
 数字には表れてこないが、生徒一人ひとり異なった英語の学力が見て取れるのではないだろうか。
 0点という得点(各設問の0点も含む)というのは、本当はその中に、かなり幅の広い英語力・学力が潜んでいるのではないだろうか。

 たとえば、「相手に質問があるとき」英語で何と言いますか。という基本的な設問があったとする。実態は、次の4つに大別できた。
「1)無回答、2)Excuse me.の綴りミス、3)解答と無関係の英語表現、4)模範解答例通り」である。
「何と言いますか」と尋ねておきながら、書き取りの形式を取らざるを得ないのは、テスト方法の限界を示唆しているかもしれない。コミュニケーション能力を測定する場合、本来であるならばインタヴュー形式が望ましいのかもしれない。時間や受験する生徒数等物理的制約のため、筆記形式で代用せざるを得ないのはもどかしいが、テスト形式についての議論はここでは扱わない。

 回答欄に何か記入があると、「あ、この生徒はここまで分かっているが、この部分が理解出来ていない状態なのだな」等、予想したり、○付けをしながら一人会話をして自問自答していくことができる。

 しかし、「無回答」つまり回答欄が空欄状態では、状況が違ってくる。生徒の実態が把握・予想できないので困ることになる。何がどこまで分からず無回答なのか。テスト用紙からは、生徒の実態が指導者には伝わってこないことになる。

 日頃の授業中の態度や反応等でおおむね分かる場合もある。しかし、テストからは、生徒の「分からなさレベル」が、教師側に伝わらず困ってしまうことになるのだ。

 たとえば、同じ無回答であっても
(1)カタカナ表記にすると、「エクスキューズミイー」と記載し解答できたのだろうか。
(2)そもそも英語の言い方を知らなかったのか。
(3)綴りに自信がないので、口頭(面接形式)だったら言えたかもしれないが、書いて解答しなかったのか。
(4)そもそも、教科担当への無言の反発かメッセージであるかもしれない。
(5)英語が嫌いだという教科への抵抗かもしれない。等

 また、一方のExcuse me程度の単語のスペルミスについても、
(A)単語の練習不足でスペルが、まだこの学年や生徒らには定着していないためなのか、
(B)そもそも、「イ(エ)クスキューズ ミー」としゃべることはできが、音と綴りの関係が理解出来ていないためなのか、
(C)別の種類の単語で、あれば単語は書けたのだろうか。たまたま不得手な単語を書かせる質問だったのだろうか。
 等、原因や理由も色々考えることができる。

 こんな時に、私はヴィゴツキーの「発達の最近接領域」理論(zone of proximal development;略してZPD)という考え方に出会った。

 子どもの精神発達には2つの水準があると考え、子ども自身が自分だけで達成できる発達水準と、他者からの援助や協同によって達成できる水準があるとした。そして、この2つの水準のズレの範囲を発達の最近接領域とよんだ。教育は、この最近接領域に適合したものでなくてはならないと考えられる。(出典;http://www8.plala.or.jp/psychology/dic.htm

 私なりの解釈では、誰かの援助やヒントがあれば、または別の尋ね方や方法を取ると、答えられる場合は、それで評価できるし、することも必要なタイプの子ども等がいる。今までのテストや評価は、できる事(暗記したり、理解した内容等)を評価してきた。しかし、これから出来るようになる事(可能性や、誰かの助けや援助があればできること)は評価されずにきたように思う。

 このような現状を少しでも改善するために何かできないかと悩んできた。

 ここ数年の間に、ペアー活動が有効であると感じてきた。どんなペアーでも良いというわけではない。好ましいペアーを作ること、ペアー同士がお互い補い合う関係であること、片方が出来て、もう片方を支援する上下関係、優劣関係にならないように配慮が必要となってくる。

 気兼ねなく教わることができるだけでなく、教えることを通して理解が深まる利点もあり、ペアー相互にとっては非常に都合がいいものである。励まし合ったり競争心を高めたりと、一人だとくじけそうになる課題や作業も楽しそうに心穏やかにすることができる。

 ただペアーの良いところだけを羅列しているが、ペアーが成立しない生徒が出ないようにすることとペアリングについては、学級経営上または教科経営上配慮していかなければいけないかもしれない。

 私も職場に自分にとって気持ちが落ち着くパートナーが上司にいる。生徒も教室の中で、または英語の授業の中で、居心地のよい場がパートナーとによって醸し出されるように配慮していきたいと思う。

 でも、一番居心地の悪いのが、実は身近な伴侶なのかもしれない。読者諸氏はこの点では違うかも。さて、生徒の0点から色々と考えるきっかけを頂けたことに感謝したい。

岩本 昌明(いわもと まさあき)

富山県立富山視覚総合支援学校 教諭
視覚に病弱部門が併置された全国初の総合支援学校。北陸富山から四季折々にふれて、特別支援教育と英語教育を始め、身の回りに関わる雑感や思いを皆さんと共有できたらと願っています。

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