2007.04.06
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30年前の良き先生像

富山県立富山視覚総合支援学校 教諭 岩本 昌明

「学校へ行こう!MAXみのもんた緊急提言!私を昔の学校へ連れてってスペシャル!」というテレビ番組を見た。
最初から最後まで視聴していたわけではないので、番組全体に対してとやかくコメントすることはできない。
東国原英夫知事や黒木瞳さんが、小・中学時代を振り返っているコーナーがあった。私とは年齢が近いと思っていたので期待した。東国原さんは、鉄棒遊びで無茶をして怪我をしたときに、先生の対応とその当時の子どもたちが擦り傷やら骨折など怪我を受けても、問題となることはなかったことに触れていた。私も本当に遊びほうけていたし、膝や肘など手足に生傷が絶えなかったように覚えている。瘡蓋(かさぶた)がいつも体中のどこかにあり、そして膿んでいたことを思い出した。「痛み」を体感していたのである。彼に共感できるところが多かった。
黒木瞳さんは、野崎先生が「交換日記」を通して、中学生の多感な時期に本当にスポンジに水が吸収していくような影響を彼女に与えたことを知った。30年前当時を彷彿させる教師が浮かび上がっていた。私の担任の先生ともオーバーラップする気がした。現在の私があるのも、中学一年生の担任の先生のお陰だと私は思っている。「~するより、…される人であるように」と野崎先生が、黒木瞳さんに一言添えていたのと、彼女が中学校時代の「交換日記」を今も大事に保管していたことに二重の驚きを覚えた。それだけの影響力を野崎先生は、黒木瞳さんに与えたのだ。同時に、黒木瞳さん自身も、それを受け入れる素地を持っていたことも幸いしたのではないだろうか。私も、中学校勤務の時代が3年間あったが、どのように当時の担任した生徒らに印象として残っているのであろうか。そう考えると不安でもある。
残念に思ったことがある。今の教育界では、上の二人が出会ったようなタイプの先生が出現しづらい環境にあることだ。教師を取り巻く、社会環境や保護者の見る目が30年前と今とでははっきり全く違うということを考察していないのである。ただ、当時の先生方は良かったという懐古趣味で終わってしまうのは避けたいのだ。逆に教師の取り巻く社会環境や保護者からの見る目が大きく変わったとしても、私は「教師」という職業に喜びと楽しみを持ち続けたいものだ。

岩本 昌明(いわもと まさあき)

富山県立富山視覚総合支援学校 教諭
視覚に病弱部門が併置された全国初の総合支援学校。北陸富山から四季折々にふれて、特別支援教育と英語教育を始め、身の回りに関わる雑感や思いを皆さんと共有できたらと願っています。

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