最近、「不思議と感じる感性」について考えています。
そのきっかけは11/14(土)に理科教育シンポジウム(東京学芸大学理科教員高度支援センター主催)にパネリストとして参加することになったからです。
テーマ「不思議と感じる感性をいかに育むか」
私の他には、中学校の教員、自然科学館の職員がパネリストとして参加します。
私は、小学校での実践から話題を提供しようと思っています。
まず、「不思議と感じる感性」について考える時、私自身の体験が思い起こされます。
それは、昨年、体験した「微小重力(無重力)体験」についてです。
詳しくは、以前この場でも書かせてもらっているので、詳しくはそちらを見てください。
その中にも書いたのですが、自分が重力の無い環境に行くということが決まった後、世の中の見え方が大きく変わりました。
少し大袈裟な表現ですが、今まで見えていないものが見えるほど見えている景色が変わりました。
例えば、新幹線についてです。
新幹線は、重い金属の塊が物理の法則に則り、300キロ近くで移動しています。
それまでは、何も感じなかったものが、重力やエネルギーというものを意識した途端、不思議であり、すごいものだと思えてきました。
正直に言うと、それを感じた時、新幹線に乗っていることが少し不安で、怖くなりました。
また、フライトに向けて、大学で物理についての研修会の後、秋葉原の電気街を訪れたのですが、売っているものや展示されているものが、気になるものばかりでした。
動く仕組みはどうなっているのか?
エネルギーは?
重力に対して、どう対応しているのか?
自分の視点が変化したことで、秋葉原の街の見え方が大きく変わってきました。
子どもにも視点が変わるような体験をさせることが大切でしょう。
ところで、学校において「不思議と感じる感性の育成」をしようとした場合、受け手(子ども)と出し手(教員)の双方の関わりが大切になります。
出し手である教員は、様々な形で工夫をしていきます。
しかし、受け手である子どもの状況が整わないと子どもはきちんと受け取ることができません。
例えば、クラスの中で、いじめが頻発するような状況においては、いくら教師が魅力的な教材を用意したとしても、それらの目的をきちんと果たすことができないことが多いということです。
広義での学びの基礎基本ができていないと、「不思議と感じる感性」どころではなくなってしまうということです。
「不思議と感じる感性」もそうですが、子どもの心情面を育てようとした場合、学びの基礎基本が整っている必要があります。
勿論、管理的すぎて、ぎすぎすしたような学級では、心情面が育たないのは、当たり前です。
そういった学びの基礎基本ができた上で、「不思議と感じる感性の育成」を考えた時、ポイントとなるのが「時間」です。
生活の中で、子どもが不思議と感じるような事象に出会ったとしても、時間的なゆとりがないとそこに注目することができません。
「感じる時間」が必要となります。
先日、私は学校の栽培委員会の子ども達と一緒に花壇の草むしりをしていました。
その際、ある子どもがアリとイモムシが格闘している所を見つけました。
わずか5ミリほどのアリが、自分の体の数倍の大きさになるイモムシと格闘しながら、巣へ運んでいました。
はじめのうちは暴れていたイモムシも急所を攻撃されたからなのか、途中からは動かなくなってしまいました。
その後、巣まで運ぶ様子を見ていたのですが、自然界は厳しいものです。
何度も途中で敵(他のアリ)に襲われながら、その都度、上手に交わし、何とかエサを巣まで運ぶことができました。
子ども達と一緒に見ていた時間は僅か1~2分だったのですが、とても印象深かったです。
まるで、映画を見ているかのような感じでした。
昔、ファーブルが昆虫を見つめていた時、レイチェル・カーソンが自然を見つめていた時などは、この様な感じだったのかもしれないと感じました。
自然を見つめることのできる時間的なゆとり(精神的なゆとりも)が、しっかりとそれを受け止めることにつながるのだと思います。
「時間」に関しては、「考える時間」も重要になります。
私のクラスでは、よく「競争的学習」というものに取り組んでいます。
これは、学習した内容を利用してコンテストなどを開催していくものです。
詳しくは、下の文章に書いてあるので読んでみてください。
この学習では、子どもが「考える時間」を大切にしています。
方法論では、正解が無いものが多いので、子ども達は試行錯誤しながら取り組みます。
時には、週末や長期休業などを挟むことがあるので、親子で色々と考えたりもします。
先日行った空気鉄砲を利用した大会「とばしてポンッ選手権2015」では、キットの筒と棒だけは皆で共通にし、玉を工夫して、飛ばす距離を競いました。
大会では、玉を通常のスポンジからサツマイモに変えた子どもが優勝していました。
その子どもは、家庭にある様々な野菜(大根、ニンジン、キュウリなど)を試した上でサツマイモになったそうです。
他の子どもは、ジャガイモを玉にするにあたって、ふかしたものと生のものを比較したそうです。
大人の感覚ではふかしてしまうと壊れそうな感じがしますが、その子どもは、ふかすことでイモに粘り気が出て、空気が抜けにくくなるのではないかと考えたと話していました。
この様に子どもは、きっかけを与え、考える時間を与えることで、豊かな発想をしていくことがあります。
学校においては、やらなければならないことが多く、なかなか子どもにじっくりと自然・科学と関わる時間を確保できていません。
そうでない状況では、素晴らしい自然や不思議な事象に接したとしても、それが通り抜けていってしまったり、表面だけを通ってしまったりするのかもしれません。
しっかりと「感じ」「考える」時間を確保していくことが大切でしょう。
幼稚園、保育園、小学校などでの子どもの体験は、その子どもの人生に大きな影響を与えます。
ノーベル賞を受賞した人達の幼少時代は、豊かな自然・科学との関りがあったということが多いです。
良い指導者との出会いがその子どもの人生を変える可能性があります。
子どもへの関わりは「種蒔き」のようなものでしょう。
すぐには芽が出ないかもしれません。
しかし、種を蒔かない芽は出にくいものです。
しっかりと種を蒔き続けたいものです。

鈴木 邦明(すずき くにあき)
帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師
神奈川県、埼玉県において公立小学校の教員を22年間務め、2017年4月から小田原短大保育学科特任講師、2018年4月から現職。子どもの心と体の健康をテーマに研究を進めている。
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