2015.08.26
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心の安全基地の大切さ~アタッチメントのつまずきから二次障害を防ぐために~

東京都立南花畑特別支援学校 主任教諭・臨床発達心理士・自閉症スペクトラム支援士(standard) 綿引 清勝

 他の子どもと同じように接しているはずなのに、なぜか掴みどころのないような反応をする子どもがいます。自分から接してくるからこちらからも入っていこうとすると、スッと距離を取るような感じになります。

 このような対人関係の違和感を覚える子どもの中には、発達障害の診断名がついているケースがありますが、例えば自閉症スペクトラムという診断がついていたとしても、どうしても状態像と診断基準とに矛盾があり、説明がつかないケースが稀にあります。では、そのような違和感はどこから来るのでしょうか?

 どうやら、その理由の一つにアタッチメントの形成が関係していることがあるようです。そこで、今回はアタッチメントの形成と発達障害との関連について思うことを書きたいと思います。
 

アタッチメントとは

 アタッチメントの定義は「特定の対象を安全基地として利用できるかどうかというシステムである。危機的場面、あるいは危機がなくても特定の対象を安全基地として利用し、安心感を得る」とあります。

 最初にアタッチメントを提唱したボウルビィは、スキンシップを重視しました。しかし、身体接触をもたなくても年齢が大きくなれば「この人がいれば大丈夫」と感じられるようになっていきます。そして、このアタッチメントの重要なポイントは、安心感です。本人にとっての危機的場面で「危ないぞ、生存に関わるぞ、でも、アタッチメントの対象がいるから安心」と思えることがベースになりますが、直接目の前にいなくても、本人が「大丈夫」と思えることがより重要なっていきます。

 
 

アタッチメント形成のつまずきから

 アタッチメントの形成が適切にできているお子さんは、精神的に安定した印象を受けます。学校での生活を見ていると「先生、見てください」、「先生、できました」と自分から積極的に環境と関わっていきます。一方でアタッチメントの形成につまずきがあると、適切な環境との関わりが難しくなってしまうことがあります。

 例えるなら、適切に発達している子が積み木を高く積み上げて「できた」と表現することに対して、アタッチメントの形成のつまずきのある子どもは、せっかく途中まで積みあげてきた積み木を、自ら崩してしまうような行動をとることがあります。その背景には、失敗したくない、できなくて「見捨てられたくないという大きな不安」を抱えていることを理解する必要があるでしょう。

 本当は受け入れてほしい、認めて欲しいという気持ちとは裏腹に、周囲からすると困った行動を取ることで、結果として注目を得るようなことで、本当は満たされていないはずなのに、仮想的に人に求められるという安心感を依存的に得ていく…。

 

 こういったアタッチメントの形成につまずきの方は、努力家が多いように感じます。それは、言い換えれば努力し続けなければ生きられなかったのではないでしょうか。絶えず、周囲の評価が気になり、自分で自分を認めることができない生きづらさは、「頑張り屋さん」と簡単に形容できるものではなく、必死でもがきながら今を生きているのではないかと思います。

 成人の例として夏目漱石の精神疾患については、諸説あるようですが、愛着障害と捉えることができるようです。漱石は自分のことを表現することが苦手で、とても不器用でしたが、それゆえ、自分の内にある思いを多くの文学作品に反映させることで、間接的に傷ついた自分の心を表現しようとしていたと言えます。一方で、自分の評価や周囲の反応というものに対し、非常に敏感でした。少しでも自分が否定されたと感じることがあると、激しい怒りを抑えることができず、感情のコントロールができないことがありました。恋愛においても同様で、デートをすっぽかされたことについて相手を「うそつき」と言い、恨み節を書かずにはいられなかったようです。そんなことを言えば当然相手からは嫌がられることになってしまいますが、自分の受けた傷に心を奪われてしまい、生きづらさがあったのでしょう。だからこそ、このようなケースには、頑張れと励ますのではなく、大丈夫と受け止めていくことが鍵になっていきます。

 
 

冷蔵庫マザーと呼ばれて

 アタッチメントの形成のつまずきは、家族形態の問題に限った話ではなく、親子関係が重要だと言えます。ところが、発達障害のある子どもの中には、感覚の過敏さから触れられることが苦手なケースがあり、結果としてそれが難しくなってしまうことがあります。テンプル・グランディンが著書の中で「触れられることは苦痛でしかなかった」と述べているように、本来、発達の過程において得られるべき安心感が得られないことで、保護者は定型発達児であれば適切だと言える関わりをしていたはずなのに、なぜか他の子と同じようにいかない…。

 残念ながら、母親が子どもを冷たく突き放し、拒絶することで愛情の絆がつくれていないのではないか?という理論が広がったことがあります。「フリーザーマザー」と言われるこの理論は、1940年代に自閉症の子をもつ母親に付けられたレッテルです。このレッテルにより、「子どもの自閉的な行動は、母親の冷淡な養育態度によるもの」と母親たちが厳しい批判にさらされたという悲しい歴史がありますが、これは間違いで、そのようなことが原因ではありません。

 自閉症スペクトラムに代表される神経心理学的な発達障害は、本人の特性と環境との摩擦が大きな困難さを示すことにつながっていきますが、その背景は養育的な問題が主ではありません。ところが、このような理論が広がっていった背景には、レオ・カナーが提示した見解に世論が大きな影響を受けたことがあります。しかしながら、少なからず愛着障害と発達障害の状態像が重なる面があったことも影響があったのではないでしょうか。

 
 

発達障害と愛着障害

 社会性のつまずきとともに、感覚の過敏さや特定の行動パターンへのこだわりを特徴とする障害に、自閉症スペクトラムがあります。自閉症スペクトラムは必ずしも環境要因によって生じる障害ではありませんが、岡田尊司氏はネグレクトを受けた子どもで自閉症スペクトラムと見分けがつきにくい状態を呈することがあると報告しています。

 これは、「抑制型愛着障害」が自閉症スペクトラムや広汎性発達障害として診断されることに対する警鐘ですが、本来の発達障害は遺伝的な要因や胎児期・出産時のトラブルで発達に問題を生じたものです。しかし、愛着障害に伴って生じた発達の問題も、同じように発達障害としてされてしまう問題があると言えます。言い換えれば、愛着障害と発達障害を症状だけでは区別することが難しいと言えるでしょう。

 例えば、社交的に育つ遺伝子をもって生まれてきた子どもでも、幼児期の環境によっては対人関係に課題のあるような状態像になっていく可能性があります。

 また、別なケースでは、アスペルガー症候群として診断された方が、実は愛着障害であったということを論じており、診断が間違っていたというよりも、愛着の問題によって見分けが難しい発達の障害が生じることを示唆しています。

 近年、発達障害という言葉が広がり、その診断を受ける方も増えてきています。しかし、本来の定義が広がり過ぎて、過剰適用されているということも少なからず起こっているように感じます。最も大切なことは「診断名は何であるか」ということではなく、「本人がどのようなことにつまずき、困っているか」ですが、このようなケースを参考にするとより慎重に個の発達を俯瞰的、包括的に捉えていく必要を感じます。つまり、愛着障害と発達障害のケースでは当然対処やアプローチが変わってきます。また、発達障害があることによって、親との愛着形成が難しく、両者併存する場合にはさらに対応が難しくなります。こうしたケースに対しても、幅広い視点から、寄り添う支援は何かを考えていくことが求められているでしょう。

 
 

二次障害を防ぐために

 上述してきたアタッチメントの形成のつまずきによる違和感は、小学校段階のお子さんでも感じるようなことが多くあります。そして、適切な対応がなされずに月日を重ねることで、より重篤な精神疾患レベルへと移行していく危険性があります。

 代表的なものにパーソナリティの障害がありますが、学校教育段階で求められることは、成人になって時にこのような精神疾患へ移行することがないよう、できるだけ早く本人の心のケアをしていくことが必要だと感じています。

 ある小学校の先生は、自分がもっている学級の子どもたちに対して、「私が親代わりの側面がある」という話をしていました。全ての子どもに共通して言えるとは限りませんが、やはり、教師に対して安心感をもてることは重要で、生活の中でキーパーソンとなり得ることが有効なこともあります。

 一緒に学び、一緒に遊び、様々経験や情動を共有していくプロセスの中で、たくさんの成功体験を積み上げ、自分は愛されているという実感を得られるように支援していきたいものです。

 

 このようなキーパーソンがいる人生こそが、特別支援教育を必要とする子どもたちにとって、より人生を豊かに広げていくものだと感じます。

 

 「障害は個性」

 

 特別支援学校の在籍児童・生徒数が増える昨今の社会状況において、こんな言葉を聞くことが多くなりました。

 

 確かに、本人の特性と環境との間に障害は生じるものなので、個々の特性を「個性」という捉え方に対して否定する気はありません。ただ、それを言うのは本人や当事者であって、周囲が同じように捉えていくことには、若干の違和感があります。なぜなら、個性という前に、やはりその人なりの「困難さ」があることを忘れてはいけないと思うのです。

 その困難さを理解した上で、「どうすればその人が自分らしく生きられるか」という議論ができる状態になった時に、はじめて「障害は個性」と言う事ができるのではないでしょうか。

 

 長かった夏季休業期間も終わり、いよいよ新学期が始まります。これからも、目の前の子どもたちと向き合いながら、よりよい支援とは何かを考え続けていきたいと思います。

 

 次回は、協調運動のつまずきから不器用さが見られる発達性協調運動障害について書かせていただきます。

 

参考文献

・市橋秀夫(2006)、パーソナリティ障害(人格障害)のことがよくわかる本、講談社

・岡田尊司(2011)、「愛着障害-子ども時代を引きずる人々-」、光文社新書

・ジョン・ボウルビィ著、作田勉監訳、「ボウルビィ 母子関係入門」、星和書店

・テンプル・グランディン&マーガレットM.スカリアノ著 カミングハム久子訳(1994)、「我、自閉症に生まれて」、学習研究社

綿引 清勝(わたひき きよかつ)

東京都立南花畑特別支援学校 主任教諭・臨床発達心理士・自閉症スペクトラム支援士(standard)
東京都内の知的障害特別支援学校で中学部、高等部を経験後、現在は小学部の自閉症学級を担任。自身の実践を振り返りながら、子ども達が必要としている支援とは何かを考えていきたいと思います。

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