2015.08.07
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心を拾う特別支援教育-インクルーシブ教育の視点から考える特別支援学校の子どもたち-

東京都立南花畑特別支援学校 主任教諭・臨床発達心理士・自閉症スペクトラム支援士(standard) 綿引 清勝

 暑い日が続いていますが、夏季休業期間も折り返し地点に入りました。

先日、偶然にもある卒業生に会いました。久しぶりに思い出話をしましたが、そこでの話から、特別支援学校が通常の学級や特別支援学級でうまくいかないケースにおいて、特別支援学校が最後の受け皿になっていると感じました。
 実際に、特別支援学級で十分に適応力できているからと、通級での指導や通常学級に通うようになったという事例や、特別支援学校から特別支援学級に転入したというような事例はほとんど耳にすることがありません。このような傾向は、特別支援学校における学校数と児童・生徒数の増加傾向からも読み取ることができるしょう。
 一方で、様々な法令や教育制度が整備されていく中で、共生社会へ向けてノーマライゼーションやインクルーシブといったキーワードが出てきています。そこで、今回はインクルーシブ教育について、思うことを書かせていただきます。
 
 

インクルーシブ教育ってなんだろう?

 
 インクルーシブ(inclusive)という言葉を聞いたことがある方は多いかと思います。インクルーシブは「包括」を意味しますが、従来の特殊教育制度では、「障害の種類や程度に応じて特別な場を用意してきめ細やかな指導をしていく」という方針から、盲・聾・養護学校や小学校及び中学校の特殊学級が設置されてきました。また、通級による指導も制度化されています。これは、一人一人の学びを保障しようとする一方で、それぞれの場を分離した教育であるとも言えます。
 そして、平成19年度より実施されている特別支援教育制度への移行に伴い、「障害のある子ども一人一人の教育的ニーズに応じた適切な指導と適切な支援を実施する」という流れに変わってきました。
 このことにより、通常の学級での支援という視点が加わり、それまでの場を分けての教育ではなく、様々な場においても個に応じた合理的な配慮の重要性が考えられるようになってきました。
 更に、インクルーシブ教育システムにおいては、「人間の多様性の尊重強化、障害者の能力の最大限の発達等を目指した共に学ぶ仕組み」として特別支援教育の推進が重要とされています。これは、特別支援学校、特別支援学級、通級による指導、通常の学級にといった連続性のある「多様な学びの場」を整備していくことが視点として挙げられます。
 
 つまり、インクルーシブ教育システムは、全ての子どもを対象にしていることを理解する必要がありますし、そこでは障害のある子どもの能力を最大限度まで発達させるために、特別支援教育が推進されていくことが期待されています。それでは、実際の教育現場で本当にこの理念は実現されているのでしょうか?
 
 

特別支援学級か?あるいは特別支援学校か?

 1979年の養護学校義務制から、障害のある子どもたちの学びの場の保障が進められてきました。一方で、場を保障するだけでなく、その教育内容については様々な議論がされていると思います。
 以前、ある保護者から「特別支援学級と特別支援学校のどちらに進学させたら良いか?」という相談を受けたことがあります。まだまだ現状としては、全ての子どもが、通常の学級で学ぶことが適しているとは言えない現状があるかもしれません。そして、特別支援学級や特別支援学校のどれが正解とは断定できないでしょう。そこで、少し事例から考えていきたいと思いました。
 
 Aさんは、中学校までは通常の学級に在籍し、高等部で特別支援学校に入学してきました。それまでの学校生活の中で、本人の頑張りはなかなか認められず、希望して特別支援学校に入学してきたというよりは、限られた選択肢の中で、仕方なくという感じでした。
 では、Aさんが「通級による指導や特別支援学級であれば、また違っていたのか?」と考えると、必ずしもそうだとは思えないところがあります。周囲の友達との関係性や自尊感情を考慮すると、本人にとっては厳しい通常学級の学校生活ではあっても、それはとても意味のあることだったのではないかと思うのです。
 特別支援学校入学時には療育手帳を取得せず健常者として生きてきた生徒が、急に特別支援学校に入学し、手帳を取得するという混乱は、想像を絶する辛さがあったのではないでしょうか。
 今日の特別支援教育の現場においては、応用行動分析やTEACCHなど、素晴らしい指導方法や分析方法があります。しかし、本来重視されるべきは、こういった子どもたちに対して、どれだけ本人の心を拾えるかではないでしょうか?
 
 ゆえに、上記の問いについては、それができる学びの場や教師と出会うことが、本人にとっての正解であり、現状においては、特別支援学校や特別支援学級のどこが正解とは断定できない所があると思います。
 
 

心を拾う特別支援教育

 
 以前、『反省させても教えたことにはならない』で書かせていただきましたが、その子にレッテルを貼り、力で押さえつけてもそれがその子の成長につながるわけではありません。問題行動と呼ばれる本人の間違った自己表現を無理矢理になくしたとしても、根本的な解決にはならず、更にエスカレートした行動につながる可能性があります。ゆえに、循環論に陥らないように、その子の行動の『なぜ』に焦点をあて、いつか話してくれるであろう、その語りにそっと耳を傾けることが求められているのではないでしょうか。
 
 そうやって信頼関係を積み上げ、新たな人間関係を広げていくことで、進路という漠然とした未来へも目を向け、自らの足で踏み出す力を身につけていったと感じます。
 
 Aさんは、とても頭のよい生徒でした。ただ、上手に自分の思いを言葉にすることが苦手で、それが時として黙り込んでしまったり、場合によってはその場を飛び出したり、近くにある物に八つ当たりのような行動に出てしまうことがあります。
 
 先日、Aさんとたまたま出会った時に、『あの時は、まさか家まで追いかけて来るとは思わなかったよ』という話をされました。
だいぶ前の若手と呼ばれていた頃の話ですが、癇癪を起して帰宅したAさんを迎えにいったことがあります。その話を今でもAさんが覚えていることに、正直、教員側の価値観を押し付けてしまったかとドキッとしました。しかし、Aさんによっては悪い思い出ではないようで、連れ戻すことを目的としたのではなく、何が理由で癇癪を起したかを聞こうとしたことが良かったのでしょう。そのことについて、Aさんの話では『そこまで真剣になってもらったことが、今まではなかった』とのことでした。
 この事例ではたまたま若手の教員が生徒に寄り添い、なんとか理解しようとしたことで、信頼関係を築くきっかけになったエピソードかと思います。自宅まで迎えにいくことは、指導の引き出しの少ない若手として、必死だったのだと思います。場合によっては、それが負担になる生徒もいるかもしれません。しかし、この事例では、Aさんを少しでも理解したいという思いが伝わった時に信頼関係ができ、次のステップへと繋がっていったのでしょう。
 
 

信じることから始まる

 
 Bさんは、人懐こい性格で、優しい笑顔から周りの人に自然と声をかけられる魅力がある生徒でした。
自分の気持ちが上手に伝えられないと、たまに周りの注意を引くようなイタズラをすることがあります。しかし、そのイタズラは友達や先生を傷つけるようなことはなく、周囲に大きな迷惑をかけるようなこともありませんでした。
 ところが、ある時に学校の非常ベルが鳴った際、ちょうどその近くにBさんがいたことがあったようです。結果として、『非常ベルを押したのではないか?』という確認があったことが、本人にとってはとても傷ついた要因になったようです。
実際のところ、なぜ非常ベルが鳴ったのかは分かりません。誤作動の可能性もあれば、他の誰かが押したことも絶対にないとは言い切れません。しかし、具体的な証拠がない中で、近くにいたという状況証拠だけで疑うのではなく、本人も違うと主張しているのであれば、違うと受け止めることが必要なのかと思います。
 さらに、Bさんは手指の使い方に不器用さがあったので、そもそも非常ベルを押すだけの力をいれること自体も定かではない部分もありますし、機能的な面からも実態把握をしていくことで、新たな視点が見えてくることもあるのかもしれません。
結果として、そのエピソードをきっかけに、Bさんは不登校になり、特別支援学級から特別支援学校へ転入してきました。当時の特別支援学級には相当な人数がいたようで、なかなか個別の配慮までは難しかったようです。しかし、一番の問題は学習のつまずきよりも、心のあるべきところだったのではないかと捉えています。
 
 このような引き継ぎから、転入してきた時には、まずは本人の主張を全て聞くようにしました。転入当初は、周囲の理解が弱いところもあり、授業に参加できないことについても、「ちゃんと参加させて、もっとしっかり頑張らせるべきではないか?」、「担任は甘やかしているのではないか?」そんなことを言われたこともありました。しかし、そこで周囲の理解を促し、時間がかかっても本人が適応できるように見守り、寄り添っていくことが必要なのだと思います。
結果として、Bさんは授業にも参加できるようになり、現在は休むことなく学校に登校できるようになっています。
 
 この二つの事例に共通して言えることは、無理矢理に頑張らせようとしてきたことが、結果として本人の大きな負担となり、学校と本人との間に溝が出てしまったことでした。おそらく、指導しようとした先生も一生懸命だったはずです。
 
「なんとかしなければならない」
 
「このままじゃ、きっとこの先困るから…」
 
 そんな先生方の不安について相談をいただくことがありますが、ちょっと足を止めて考えると「なぜ、なんとかしなければならないのか」、「このままで困るのは誰なのか?」その点を整理していく必要があると思います。
 
 子どもたちは、学校の授業や様々な人との関わりの中で学び、新たな技術を身に付け、それを他の場面でも活用できるように生活が広がっていきます。
 指導者の指示に従順に従う「(都合の)良い子」を育てるのではなく、本人が環境に対して能動的に関わる力を育てていくことが、ひいては社会参加の基礎となり、自ら道を切り開いていくことにつながっていくのではないでしょうか。
 
 

保護者との連携と支援の方向性を考える

 
 現在の個別指導計画や個別の教育支援計画は、作成に当たり保護者や本人の教育的ニーズを取り入れていくものとされていますが、主体はまだまだ作成者にあると感じています。
それがいけないのではなく、学校教育の立場から「こうあるべきだ」と子どもの課題やこれからの道筋を固めてしまう危険性を考慮し、その子の発達の可能性から、様々な人生の選択肢を保護者や本人と共有し、そのために何が必要かを議論しなければならないでしょう。そして、それが特別支援学校だけでなく、特別支援学級や通常の学級にも、これまで以上に広がっていくことを願っています。
 実際に通常学級の先生方に話を聞くと、気になる子に対して個別指導計画を作成することは大きな負担感があるという話があります。
 その点は、児童・生徒数が違う特別支援学級や特別支援学校と同様に考えていくことは難しい側面があるでしょう。しかし、インクルーシブ教育システムが整備されていくに当たっては、いずれ通常の学級にもそれが求められていくことになります。その時に、センター的機能としての特別支援学校がどれだけサポートしていけるかが大きなポイントになるでしょう。
 
 「○○がいけない」とか、「○○が頑張らなければいけない」とかではなくて、共生社会へ向けて、子どもたちがどの場においても伸びゆく学びがある社会を目指していきたいと考えています。そのために、自分に何ができるかは、今後の大きな宿題です。
 
 

まとめにかえて

 
 障害のある子どもたちは、スローラーナーだと言えます。さぼっているのではなく、時間がかかることがあるのです。発達障害のあるお子さんにとって、自分の苦手なところを注意されるのは、とてもきついことです。上手に片付けることが苦手な子に、「もっと段取りよく片付けて」といってもなかなかできません。こだわりがある子に、「そんなことは早く切り替えて」といっても、なかなか気持ちを切り替えることが難しいことがあります。
 
 「○○ができたから素敵」とか、「あなたは△△ができる人だから期待してる」って言葉よりも、おそらくは、「そのままでいいんだよ」、「そんなあなたが好きなんだよ」と条件付きの努力した姿を褒められるのではなく、しっかりとありのままの本人そのものを受け止めて欲しいのではないかと思います。
 
 条件付きの愛情ではなく、無条件の愛情が心を満たし、今を生きようとする力を育てていくのです。
 
 言葉で本心を上手に表現することが難しい子どもたちを前にして、いかにして声なき声を理解するか。そこに特別支援教育の原点があるように思います。
 
※今回の投稿に当たり、Aさん並びにBさんの事例を出す許可をいただいたご本人と保護者の方へ感謝を申し上げます。
 
参考文献
 ・下山、畝本、岡安、川上(2013)、インクルーシブ教育システムにおける特別支援学校の未来~子ども・保護者地域~、社会福祉法人 全国新障害児福祉財団

綿引 清勝(わたひき きよかつ)

東京都立南花畑特別支援学校 主任教諭・臨床発達心理士・自閉症スペクトラム支援士(standard)
東京都内の知的障害特別支援学校で中学部、高等部を経験後、現在は小学部の自閉症学級を担任。自身の実践を振り返りながら、子ども達が必要としている支援とは何かを考えていきたいと思います。

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