2015.07.15
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場面緘黙(かんもく)について知ってください~安心できる学校環境と信頼関係

東京都立白鷺特別支援学校 中学部 教諭・自閉症スペクトラム支援士・早稲田大学大学院 教育学研究科 修士課程2年 吉田 博子

私が初めて「場面緘黙」の生徒たちとかかわることになった時、言葉という表現手段を閉ざしている生徒にどう接したらよいか、日々戸惑いました。教育現場ではまだ緘黙の事例が少ないため、実際に緘黙の子どもと関わることのできる対人関係も限定されるため、緘黙は一般的に認知される機会も少ないのではないかと思われます。この症状について、どう理解し、何を目標に支援したらよいのか、当初は手探り状態でした。焦りも生じて「いつか話せるようになれたらいいのかもしれない」、そう願って間違った対応もしたこともあったように思います。しかし、「話せるようになってほしい」と願うのは支援する側であって、緘黙の当事者本人は話したくてもどうしても声を出せない状態だということを理解するべきだったのです。私は、緘黙の生徒との出逢いのおかげで、それまでの支援の在り方や教育的概念について見直す機会に恵まれました。児童・生徒の「ニーズに寄り添う支援をすること」とはなにか、改めて深く考えさせられた事例です。緘黙症状の背景には「不安」があります。教育現場において、環境面での配慮や教師の接し方の工夫で、その不安を少しでも軽減し、緘黙の症状の改善を期待できるのだとしたら、緘黙について関心をもってくださる方、理解を示してくださる方を増やしたいと願い、今回はこの「緘黙」というテーマを選びました。

 
 ※場面緘黙については、つれづれ日誌の中でも岩本昌明先生の『「場面緘黙」ってご存知ですか』『場面緘黙(その2)他』や、植竹安彦先生の『場面緘黙の理解』でも執筆されています。
 
 

場面緘黙とは

場面緘黙とは、家庭などの安心できる場面では話をすることができるのに、特定の社会的場面(例えば幼稚園や保育園、学校など)で話をすることができない状態のことを言います。不安や恐怖を伴う環境に置かれると、自分の意思とは関係なく声を出そうとしても話すことができなくなってしまうのです。これは「緘黙」という症状によって、身体が「不安」から自分を守ろうとしているのです。なぜ「緘黙」になるのか詳細な原因についてはまだわかっていないことが多いのですが、言語理解や発語能力の遅れによる理由とは異なり、社会不安や恐怖症の一つのタイプではないかと考えられています。
 

発症のきっかけ

緘黙の発症のきっかけは、環境の変化を伴う時期であることが多いようです。保育園や幼稚園の入園時、小学校入学段階、引っ越しや転校などを機に発症が集中しているのが特徴です。この時期は、環境が変わると共に新しい集団に参加する時期でもあり、その適応に困難をきたすことが示唆されます。「話す」ことについては、家庭での会話より、学校などの社会的場面での会話はより複雑で高度です。緘黙の子どもは、話さないでいることで不安を回避しています。しかし、そのような状態にあることも、周囲の大人にはなかなか気づかれにくいのです。そして、適切な対応がされないまま、その不安を軽減される機会がない場合、緘黙の症状はさらに強められ固定化(習慣化)することもあります。緘黙についても、早期発見、早期治療が必要なのですが、現状としては発見と対応が遅れがちであるようです。
 

緘黙の対応や治療の背景

場面緘黙の子どもは、授業の妨害をするわけでもなく、誰に迷惑をかけるわけでもないので、教育現場では「ただおとなしい子」として見逃され、置きざりにされやすいタイプとも言えます。また、場面緘黙について、多少なりとも支援する側に知識をもっていなければ、教育的な対応するべきケースだとは気付かれにくいことも理由に挙げられます。日本における出現率については0.2~0.5%以下とされ、イギリスでは0.7%程度とされています。これの数値の差も、日本ではまだ「場面緘黙」という症状の理解が一般化されておらず、発見や支援の開始が遅れるケースが多いと考えられます。また、英米との取り組みにも大きく差があるようです。治療場面においては、日本では遊戯療法や箱庭療法など、心理療法を実施されるケースが多いのに対し、海外では不安を和らげる薬物療法や認知行動療法が中心です。学校での対応も、日本では、保護者からの要請を受けて学級内で個別対応を実施されるにとどまっています。しかし、海外では学校内で支援チームを組織し、認知行動療法を中心とした多面療法が効果を上げているようです。教師や保健師が中心となり、集団生活場面での子どもの交友関係や発話を段階的に改善し、自己効力感を高めていくというプログラムを実施するといった先進的な取り組みもあるようです。
 

場面緘黙or選択性緘黙

現在、日本語版のDSM-5(医療の診断基準)の診断名は「選択性緘黙」とされています。しかしこの「選択性」という言葉から誤解を招くこともあるようです。つまり、当事者が選択して話さないでいるのではなく、話せない状態にあることを認識するということが大切です。自分の意思で話さないわけでもなく、自分の意思で場面を選んで話せるのでもないということへの理解が必要です。今度の改定で診断名が変化する可能性がありますので注目されています。
 

安心できる環境つくりとコミュニケーション支援

環境の変化や新しい集団生活での体験は、少なからず誰しもが緊張や不安を伴いますが、自分を取り巻く環境に非常に敏感である緘黙のお子さんにとって、それは一層深刻な状況となるでしょう。緘黙の児童・生徒への支援で求められることは、まず第一に「不安の除去」です。安心して過ごせるような環境設定や信頼できる人間関係の構築は何より大切です。そして、本人の意思や要求が可能な限り受容され、認められるような機会も必要です。緘黙のお子さんの発信や意思表出はとても微弱なものであることが多いです。しかし、その意思を汲み取られる経験や、頑張って伝えてみた要求が叶う経験、言い換えればコミュニケーションの成功経験は、彼らにとってとても大切なことです。受容的に聞き取り、発信された要求を実行することで、教師との信頼関係を築くきっかけにもなり得ると考えます。また、コミュニケーションにおいても、「言葉で話すこと」を求めるのではなく、話さなくても成立するような、非言語的なコミュニケーションを促進するための代替的なツール作成の工夫も必要となるでしょう。例えば写真カードや文字カードなど、視覚的なコミュニケーションツールを活用することや、筆談や描画などによるやり取り、交換日記など様々な対応や支援が考えられます。
 

緘黙の子どもへの教育的支援の考え方

知的障害特別支援学校における教育的支援について、これまで指導内容や指導方法を中心に「方法論」が講じられることが多かったように思います。具体的には、「この障害種にはこの支援が有効」とか「この発達段階ではこの指導が効果的」といった『型』についてです。もちろん、障害特性に応じた指導や、発達段階を踏まえた効率的な認知向上学習指導は、子どもたちの能力を引き出す上で必要な“手段”ではあります。しかし、手段は教育の一部であっても、教育の本質ではありません。児童・生徒の中には、その方法論にあてはまらない児童・生徒が少人数ながらも必ず存在します。同様に、学習指導要領や各校の教育課程の内容にマッチせず、集団参加が難しい児童・生徒もいます。そういった児童・生徒の事例に対し、一人一人の課題や本人の実態に寄り添い、オーダーメードの教育を実施するといった、いわゆる個別的な「生成的教育課程を構築」も、場合によっては必要だと考えます。教師側の一方的な教育計画の提示や、児童・生徒の行動変容に期待を込めた指導は、教育的に意味をもちにくいのではないでしょうか。児童・生徒との個別のかかわりから、そのニーズを的確に把握し慎重に支援することが大切です。そして、緘黙の児童・生徒の支援に関しては、指導方法よりも、安心できる環境設定と信頼関係を優先するべきだと考えます。彼らの小さな発信が気づかれ、その発信が確実に受け止められるようなコミュニケーションの成功体験と、安心して過ごせる学校環境の提供が重要なのです。
 

事例を通して学んだこと

以前私がかかわった緘黙の生徒たちも、学校生活における様々な刺激に対して非常に敏感でした。そして言葉を話さないでいることで、「自分の殻に閉じこもり必死で自分を守っている」といった印象を受けました。緘黙の児童・生徒を対応するにあたり、彼らのニーズにマッチしない指導を続けては、学校への不信感や恐怖心をさらに高めることにもなり兼ねないでしょう。つまり彼らの苦しみを理解せず、教師が理想とする「いい子像」を想定し、それに近づけようと指導しようとすればするほど、緘黙の児童・生徒は自分の意思とは反する状態を求められることになり大きなストレスとプレッシャーを感じてしまい、緘黙状態がさらに深刻化することがあります。教師が彼らの行動の変容を期待し指導するのではなく、彼らの意思や発信を重んじ、教師が歩み寄って支援することも必要でしょう。あくまで受容的に接し、彼らの能動的なアクションを待ちながら、関係性の構築を大切にすることが先決だと考えます。つまり、相手に対して「こうしてほしい」「こうなってほしい」という“教師側の理想”を放棄し、ただ寄り添って「あなたの理解者でいたい」ことを伝えることだけでも、子どもにとって安心できる関係性を構築することになるのではないかと考えます。生徒のニーズは何なのか、それに寄り添うためにはどうすればよいのかを、「子どもと共に考える」ことがとても重要なのだと考えます。
 
 
参考文献
『場面緘黙児の心理と指導 ―担任と父母の協力のために―』 河井芳文、河井英子(田研出版株式会社) 1994年
『場面緘黙児への支援 ―学校で話せない子を助けるために―』 Angela E.McHolm、Charles E.Cunningham (田研出版株式会社)2007年
『場面緘黙Q&A』 角田圭子、かんもくネット (学苑社) 2008年
『場面緘黙へのアプローチ―過程と学校での取り組み―』  Rosemary Sage、Alice sluckin(田研出版株式会社) 2009年
『先生とできる場面緘黙のこどもの支援』 Christopher A.Kearney (学苑社) 2015年
 
文献紹介
『マンガでわかる場面緘黙 どうして声が出ないの?』金原洋治、はやしみこ、かんもくネット (学苑社) 2013年
『私はかんもくガール』 らせんゆむ、かんもくネット (合同出版) 2015年

吉田 博子(よしだ ひろこ)

東京都立白鷺特別支援学校 中学部 教諭・自閉症スペクトラム支援士・早稲田大学大学院 教育学研究科 修士課程2年
知的障害特別支援学校の中学部で自閉症学級を担当しています。子ともたちのニーズに寄り添う支援について、実践紹介を交えながら皆様と共有させていただければ幸いです。

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