今回は、教師が子どもを指導する時のやり方について書きたいと思います。
長く学校現場にいると、大声を出し、子どもを指導する教員を目にすることもあります。
「コラーッ、何やってんだー!」と非常な大きな声で子どもを指導(威嚇?)するやり方などです。
私はそういったものを見ると、猿や犬を調教しているような感じがして違和感を覚えます。
猿や犬などは悪いことをした時に厳しい躾をしなければ、より良いマナーを身に付けることが出来ないと言われています。
犬や猿に対して「それはダメだよ。なぜなら・・・」と言葉で言ってみても理解してもらえないからです。
ちゃんとできたら褒美(エサなど)を与え、ダメなときは罰(お尻を叩くなど)を与えるというやり方です。
動物の中でも知的レベルが高いとされるイルカに芸をマスターさせる時も同様なやり方だそうです。
訓練では、練習中の芸を失敗した場合、水の中に電気を流し失敗したことに対する罰のようなものを与えるのだそうです。
小学校などにおいて、大声で指導をしたり、子どもを力づくで連れて行ったりすることは、その子どもを「人間扱い」してないような感じがします。
しかし、実際の教育現場では、大声で指導するようなやり方がある程度良しとされている雰囲気もあります。
なぜなら、そういった教師の学級は見た目には統率された印象を抱くからです。
教師が厳しい視線を送り、プレッシャーを掛けることで、子どもはその場では、きちんとします。
けれども、問題も生じてきます。
それは、教育の成果は、その時だけのものではないからです。
いくらその時のクラスの秩序が保たれているものであったとしても、長期的に見てダメだという場合もあります。
簡単な例では、厳しい指導をする教師の次の年にその学年を担当すると、その学年の子どもは厳しい指導(強い刺激)でないと動かないようになりがちです。
穏やかに正しいことを教師が伝えたとしても、伝わらなくなってしまうのです。
ある意味、子どもの感覚が麻痺してしまうのかもしれません。
また、私は教師が大声を出し、威嚇のような指導をすることは、「危険ドラッグ」のようなものなのだと思っています。
一時的に効果(快楽)を得られますが、それがずっと続く訳ではありません。
慣れてくればもっと強い刺激を求める様になってしまいますし、刺激なしには正常な行動を取ることも難しくなってしまいます。
刺激で動く場合、人は「考える」ことを必要としないので、どんどんものを考えない子どもを作っていくことになります。
また、体罰にもつながる可能性もあります。
特に配慮が必要なのが臨時的任用職員や非常勤講師などの若い男性の教員です。
なぜなら、正規採用の教員の場合、特に初任の年には様々な形での支援体制が出来上がっています。
初任者担当職員もいますし、校内、校外での初任者研修などもあります。
しかし、臨時の教員の場合、そういった配慮がないことが多く、担任一人での対応を求められることが多くなります。
しかも、小学校の場合、女性が多い職場であることから、若い男性だという理由で、少し難しい学年やクラスを任される場合があります。
学校の教室という所はある意味で「密室」です。
大人は教師一人で、その他は子どもです
そういった特殊な環境において、つい教師が「強く」出てしまうこともあり得ます。
さすがに体罰が禁止されていることは多くの人(教師も子どもも)が知っているので頬を叩くようなことはしないことが多いのですが、それに似たようなことをしてしまう可能性はあります。
特に若い先生は、経験の無さから上手くいかない事も多く、それ故に強い指導をとってしまうこともあります。
これは先ほども書いたようにこのようなやり方は、一度でも経験をしてしまうと深入りしていってしまいます。
何か問題があった際、つい安易な方法をとってしまうことになります。
本来であれば、子どもが間違いや過ちをした場合、その意味を説明し、説得し、周りの人の気持ちを説明し、正しい行動を示し、それを繰り返し、子どもの行動を変容させていきます。
そういったことは、非常に手間がかかりますし、教師の技量や忍耐力も必要とします。
大声での厳しい指導は、結果的に子どもを不幸にします。
また、それを行っている教師も不幸にします。
しっかりと正しい指導法を学び、穏やかで伸びやかな学級集団を作り上げてほしいものです。
室町時代の能役者である世阿弥はその著書である「風姿花伝」の中で子どもへの指導について次のように書いています。
最も大事なことは「興味の定着」である。
そのためには、
(1)その持ち味を生かすように
(2)得意とするものを一つひとつ増やすように
(3)細かな注意を過ぎてしないように
(4)皆の前で恥をかかせるようなことをしないように
の四つが大切である。
「大声での指導」の対極にあるものです。
七百年以上も前に言われていたことです。
子どもにとっても、教師にとっても、良い未来が訪れることを願わずにいられません。
以前、関連した文章を書いています。
興味のある方はご覧ください。

鈴木 邦明(すずき くにあき)
帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師
神奈川県、埼玉県において公立小学校の教員を22年間務め、2017年4月から小田原短大保育学科特任講師、2018年4月から現職。子どもの心と体の健康をテーマに研究を進めている。
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