2014.12.23
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パニックを起こさせないことがゴールなのか?

東京都立南花畑特別支援学校 主任教諭・臨床発達心理士・自閉症スペクトラム支援士(standard) 綿引 清勝

 寒さが増してきました。あっという間に一年の終わりが近づき、時間が過ぎていく早さを改めて感じています。イルミネーションがきれいな時期ですが、今日はクリスマスイブなので、大いににぎわっていることと思います。

 さて、今回は子どもの行動面の指導について書かせていただければと思います。行動論的アプローチの代表的なものに応用行動分析(Applide Behavior Analysis)があります。特別支援教育の現場でもよく使われる用語の一つですが、「行動」と「状況」をセットで分析していきます。そして、「状況」には、「行動前のできごと」と「行動後のできごと」があります。この「行動」を理解することは、子どもの「なぜ」を理解するのにとても重要なことだと考えています。

「行動」の捉え方 

 本稿での「行動」とは、第三者が評価できる具体的なものを指しています。誤解しやすいところでは、「動詞=行動」と捉えがちですが、正確に「行動」を定義するには、「死人テスト」や「具体性テスト」を用います。

 「死人テスト」は、リンズレー氏(1965)の定義に従いますが、「行動」とは、「死人ができないこと」と考えます。よって、「歩く」、「持つ」などは行動ですし、「考える」、「聞く」なども行動と言えます。しかし、「受け身(~される)」、「否定(~しない)」、「状態」は行動ではないと考えます。例えば、「お風呂に入れられる」、「廊下を走らない」、「静かにしている」といったことが挙げられます。

 「死人テスト」を通過した行動については、「具体性テスト」で確認することが大切です。例えば、「体育を頑張る」、「問題行動をする」というような表現は、人によって評価が曖昧になるので適切とは言えません。そこで、「グラウンドを10周走る」、「教室から出る」というように誰が評価しても共通の評価ができるよう、定義を具体的にしていくことが望ましいと言えます。

 実際に、様々な個別指導計画を見ていると「計算に慣れる」、「漢字に親しむ」といった内容を目にすることがありますが、「二桁の足し算をする」、「自分の名前を漢字で書く」という表現の方が、その後の評価も具体的になると思います。

 「慣れる」、「親しむ」、「味わう」などは、何を身に付け、どこまでがゴールなのかよくわかりません…。

 

 学期の目標を設定する際にも、「授業中は静かにする」としてしまうと、「死人テスト」を通過しないので行動ではありません。このような曖昧な定義の弊害は、例えば、ずっと居眠りをしていても目標は達成できてしまうということがあります。ですので、「発言するときは、手を上げる」と設定した方が、本人も何ができたか、あるいは何をすれば良いかが明確になります。

 私も自分が担任している生徒と学期の目標を立てて、その振り返りをしますが、この点は注意して目標の設定をするようにしています。

 

「行動の随伴性」について

 行動には「行動前」の要因と「行動後」の要因があります。応用行動分析では、この行動随伴性を1つの単位として行動を見ていきます。そして、「なぜ、その行動をするのか」という原因を考えるときには、行動の直前と直後に起きる状況の変化に注目します。例えば、授業中に教室を飛び出す行動を分析すると、以下のようなことが考えられます。

 

「うるさい声あり(行動の直前)」→教室から飛び出す(行動)→「うるさい声なし(行動の直後)」

 

 この場合、うるさい声(嫌子)が教室から退出することでなくなる(嫌子消失)ということが考えられるので、「嫌子消失による強化」ということが言えます。

 行動の理由については、「反省させても教えたことにはならない」を参照していただければと思いますが、「行動」の増減には、この随伴性が関係していることを理解しておくと、子どもの「なぜ」を考える際、とても役に立つと思います。

 以前担任していたAさんは、うるさい声が苦手なお子さんでした。本人も我慢はするのですが、耐えきれなくてパニックを起こし、教室から飛び出してしまうことや自分を叩いてしまうことがありました。そこで、「教室から飛び出す」行動ではなく、「先生休憩します」と一言伝えてからカームダウンすることで、気持ちを切り替え、教室内でのパニックも減り、落ち着いて生活することができる時間が結果として増えたということがあります。

 

パニックを起こさせないことがゴールなのか?

 では、子どもの成長を随伴性のみで説明することができるのでしょうか?

 「刺激」→「反応」→「行動」→「結果」という流れにおいて、情動的な交流は評価が難しい側面があります。言い換えれば、目に見えているものは容易ですが、目に見えないものを言葉にしていくことは難しいと言えます。

 上記のAさんの随伴性で考えると、行動の先行条件である「うるさい声」を無くせば、パニックにはならず、教室からの飛び出しも起こらないと言えます。しかし、そうやって刺激を取り除き、パニックを起こさないないことが指導のゴールだと言えるのでしょうか?それはAさんの成長なのでしょうか?

 

 パニックを起こしている要因の裏側には、自分の気持ちや状態を適切に表現できず、苦しんでいる姿があります。そこで、パニックを起こしたとしても「つらいね」、「嫌だったね」と本人の気持ちに寄り添い、言葉にすることで、自分の気持ちの理解がすすみます。そして、「声が聞こえたときには、「イヤ」だって言うんだよ」と飛び出す以外の行動を教えることで、自分の気持ちに即した、適切な行動が学べるようにしていきたいと考えています。

 また、適切な行動の成功体験を積み重ねていくためには、課題にもよりますが、支援を受けて一緒に課題を解決することと、自力で解決することを臨機応変に調整し、やり取りを深めていくことが大切でしょう。

 私自身の失敗としては、泣いてる生徒に「大丈夫だよ」と言葉掛けをした際、「大丈夫なし!!」と怒られたことがあります。安心させようとしたつもりが、本人にとっては大丈夫じゃないから泣いているわけで、勝手に先生が大丈夫と決めることに納得がいかなかったのか?と反省しました。

 気になることとして、パニックを起こしている子を押さえる場面を目にすることがありますが、触覚防衛が強いお子さんの場合、一次的なパニックに対して、急に触れられることによる二次的なパニックが重なり、余計に大変な状態になることも考えられます。確かに大きな事故や怪我につながる場面では、どうしても押さえなければいけないこともあると思います。しかし、押さえつけて我慢させることでは、本人の内的なものが必ずしも育つわけではないことを、私たち教員は忘れてはいけないと思います。

 本人の心の声を代弁し、それがどのような結果につながるのかを体験的に見せていくことで、結果として自分の思いを明らかにしていくプロセスが成り立つと言えます。よって、私たちが教育するということは、子どもたちと一緒に、意味の世界を創っていくということが言えるのではないでしょうか?

 

 行動を切り取った指導の怖さ

 随伴性を操作することで、人間の行動は様々な変化をしていきます。それは、必ずしも良いことだけとは限りません。

 例えば、頑張って宿題をやってきても、先生が全く見てくれなかったらどうなるでしょうか?最初は「もう一度やってみよう」と前向きにチャレンジできる子もいるかもしれませんが、それが繰り返されれば、きっと宿題はやらなくなってしまうでしょう。このように、ある行動を繰り返しても本人にとって望む結果が得られないことが続くと、「学習性無力感」という状態に陥ります。

 小学校の中学年位になると、こういった状態に陥っている子を通常の学級でも見かけることがありますが、特別支援学校においてもなんとか自分の気持ちを表現しようとしたのに、それを押しつぶされてしまうことで、表現することを諦めてしまうということに陥っている子がいました。それだけでなく、そこでのストレスが家庭で爆発し、学校では大人しくしていても、家に帰ると暴れるような状態になってしまうことは、本人だけでなく、保護者にとってもつらい状況だと言えるでしょう。

 子どもが見せる行動には、必ず意味があります。どうか、それを問題行動と決めつけてしまうのではなく、つまずきのサインとして、どんな背景があるのかを分析していけるとよいと思います。「パニックになったら押さえればよい」といった指導においては、指導の結果として学習性無力感を引き起こせば、パニックそのものは消失したように見えるかもしれません。しかし、そこにはその子の成長は全くなく、より重篤な不適応を引き起こす危険性(例えば、納得のいかないことに対して、暴力や暴言で解決すればよいという誤学習や指示がないと全く動くことができない誤学習)や、体罰に発展する危険性があります。当然のことではありますが、切り取った場面を第三者が見たときに、誤解を受けるような指導は、早めに見直していく必要があるでしょう。

 大切なことは、大人から見た困った行動を減らすのではなく、その行動に対して別な行動を教えていくことで、結果として気になる行動が減っていくことが大切だと思います。

 言葉の指導をしていく際、「コップ」という名詞を教えたとしても、それで「水を飲む」ということが理解できなければ、生活には結び付いていきません。「コップで水を飲む」という理解ができることで、水を飲みたいときに、「コップ」という表現が出てきます。そして、そのコミュニケーションが成立することで、さらに「牛乳」、「ジュース」と言葉の広がりやコップを持ってくる行動が増えてきます。それは私自身、専門用語を辞書的に暗記しても、子どもたちの指導には直接生かせないことと同様なのではないかと思います。

 

 「子どもは経験から学ぶ」

 

 負荷をかけなければ、パニックを起こすこともないかもしれません。しかし、それでは成長もありません。自力で解決できる課題や少し手助けが必要な課題を組み合わせ、適切な負荷をかけることで、子どもたちの行動のバリエーションを増やしていけるよう、これからも頑張っていきたいと思います。

 今年一年ありがとうございました。次回は新年明けてからになります。少し早いですが、よいお年をお迎えください。

 

参考文献

杉山尚子(2005)、行動分析学入門-ヒトの行動の思いがけない理由-、集英社

綿引 清勝(わたひき きよかつ)

東京都立南花畑特別支援学校 主任教諭・臨床発達心理士・自閉症スペクトラム支援士(standard)
東京都内の知的障害特別支援学校で中学部、高等部を経験後、現在は小学部の自閉症学級を担任。自身の実践を振り返りながら、子ども達が必要としている支援とは何かを考えていきたいと思います。

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