前号のつれづれで「学校と家庭の連携」という言葉から「個別指導計画なんかいらない!」って強引に論を展開したところ、思いのほか反響が良かったです。読んでいただいた皆様、ありがとうございます。
ってか、なんとなく皆さんが思っていたことなのかなあと。
今回は、もうひとつ私が気になっている思考停止教育ワードの「教育的ニーズ」という言葉をつれづれ考えてみたいと思います。
特別支援教育の分野では、「子供たちの教育的ニーズを把握すること」なんて、さらっと登場します。
「教育的ニーズって、いったい何なの?」
社会人が必要に迫られて学ばなければならない場合、これは本人がニーズを感じていることがほとんどです。
英語が公用化されている会社で働いているAさん。英語ができないと会社で生き残れないから、英会話学校に通う。Aさんには「英語ができるようになりたい」ニーズがあります。
別な視点。会社側から見たら「Aさんに英語を学んでもらわなければならない」ニーズ。これこそ、まさしく教育的ニーズ。
これだと、わかりやすいのです、
でも、そもそも・・・・Aさんの会社が英語を公用化にしなければ、こんなニーズは生まれなかったのでは?
ヘッドホンステレオとか、デジタルカメラとか「必要だから発明された」のではなく、「発明されたから必要になった」わけですよね。なければないで、過ごしていたわけじゃないですか。
学校もそうなのかも。
子どもの教育に必要だから、学校ができた。でも・・・、
学校は不特定多数の子供を平等に見ていかないといけないから、枠からはみ出てしまう子に教育的ニーズができた。
学校は自分では歩けないから、学校に来られない不登校の子や病弱な子に教育的ニーズができた。
学校がそうしないと成り立たないから、必要だから、教育的ニーズができた。
子どもの教育に必要だから、先生という仕事ができた。でも・・・、
先生の話を聞かなければならないから、話が聞けない子に教育的ニーズができた。
先生が黒板に字を書くから、それが読めない子に教育的ニーズができた。
先生が、子供たちが騒ぐと授業できないから、うるさくする子に教育的ニーズができた。
先生がそうしないと授業ができないから、必要だから、教育的ニーズができた。
この教育的ニーズに当てはまる子が、「特別支援教育が必要な子」なのでは?
だから、「近年の特別支援を要する子どもの増加」なんてナンセンスだと思いませんか?
本質は「学校や先生が教育的ニーズをどれだけ生み出しているか?」だと思います。
わかりやすい例は、「担任の先生が変わったら、子どもも落ち着いて勉強するようになった」というよくある話。
明らかに、先生側の教育的ニーズが変化したからです。
前号で、個別指導計画をちょびっと批判しましたが、こういうところをおさえないと、私は子供がかわいそうだなあと思ってしまいます。
この春より特別支援学級の担任となられた皆様は、個別指導計画などの書類作りに忙殺されている時期だと思います。
書類を速やかにきれいに書き上げるのも大事ですが、わからない思考停止ワードを周りの先生に聞くのは今がチャンスです。そこから、子供のためになる議論があちこちで起こればいいなあ・・・と。
増田 謙太郎(ますだ けんたろう)
東京学芸大学教職大学院 准教授
インクルーシブ教育、特別支援教育のことや、学校の文化のこと、教師として大事にしたいことなどを、つれづれお話しできたらと思います。
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