2013.12.03
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子どもに考えさせたい「生と死」

帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師 鈴木 邦明

先日、私が勤めている学校の近所にある老人介護施設のお年寄りが来ました。

小学校で集めたボックスティッシュをその施設に寄付するという用件です。

全校児童が集まった場で、贈呈式がありました。

 

その様子を見ながら、「生と死」、そして「老い」について考えました。

 

普段、私が接している子ども達は、基本的に元気でいます。

たまに風邪をひくことやインフルエンザに感染すること、転んで捻挫をすることなどはあります。

しかし、命の危機になるような怪我や病気には、ほとんどなりません。

 

これは、教師である私にも当てはまります。

今、私は42歳で、体育の授業で元気に子ども達と一緒に体を動かすことができています。

年に一度受ける人間ドックでは、脂肪の数値が少し高いことや片耳の高音の聞き取りが悪いことなど、若干の問題はあるのですが、それなりに元気でいます。

 

そういった暮らしの中で、子どもも私もなかなか「死」をイメージすることができません。

いつまでも自分が元気でいるように感じているのだと思います。

特に子どもは、日々、体も頭もどんどん成長している時期ですから、老いていき、死んでいく自分の姿は、大人以上にイメージがしにくいのだと思います。

そういった状況にある子ども達に、「死」や「老い」を是非考えさせたいと思っています。

 

こちら(教師や親)が意識してそういったことを伝えていかないと、場合によっては、お年寄りや障害のある人を「変だ」「おかしい」「汚い」などと表現する子どもがでることがあります。

そういった子どもにとっては、「死」や「老い」や「障害」は明らかに他人事なのです。

しかし、実際はそうではありません。

人は、生まれたら、その時から、死に向かって歩み出します。

現在の日本の場合、70-80年生き、死を迎えていく場合が多いです。

それが、早い場合もありますし、遅い場合もあります。

全ての人が必ず、いつかは「死」を迎えます。

 

また、「障害」についても、どんな人にも大きく関わりのあることです。

私が明日の朝、通勤途中で交通事故に巻き込まれ、半身不随にある可能性もあります。

障害を持った子どもが生まれる可能性もあります。

そして、老いていくことは、ある意味、少しずつ、体が不自由になっていくことでもあります。

 

クラスの子ども達と、人が死ぬ時には、どんな風になるのだろうということを話し合いました。

「元気なまま」で死ぬことはできないのかということの可能性を探りました。

子どもが考えた「元気なまま」での死のパターンは・・・。

 

 殺される(兵士が戦場でなくなるなど)

 事故にあう(交通事故など)

 自殺(自ら命を絶つ)

 

ちょっとどれも幸せな人生の終わり方ではないようです。

自殺をするような状況は、精神的には病気の状態と言えるのかもしれません。

 

私は、旅行好きです。

結婚をし、子どももいる現在は、それ程、あちこちには出かけませんが、結婚をする前は、年に数回、海外旅行に行っていました。

そんな生活をしていた時、飛行機の事故であっけなく死んでしまうような人生の終わり方も案外幸せなのではないかと考えたことがありました。

旅行は、基本的に一人旅だったので、有り余るほどの時間があり、命についてだけではありませんが、人生の様々なことについて、考えていました。

飛行機の中は、普段とは違った発想ができる場です。

気圧のせいか、地に足がついていないからか、鳥のような視点での景色を眺めているからかは分かりませんが、考え事には最適です。

 

話をもとに戻します。

 

やはり、死ぬ場合、少しずつ体が不自由になりながら、死に近づいていくという方が、良いのかもしれません。

この場合、体が不自由になる場合と頭が不自由(自分の思い通りにならない)になる場合があります。

後者は、認知症などになるということをイメージしています。

認知症などは、脳の機能に関連しているので、正確には、体の一部が不自由になることになりますが、他の体の部分が不自由になることとは分けて考えました。

 

 足腰が不自由になり、車いすに乗る。

 徐々に耳の聞こえが悪くなり、補聴器を使う。

 老眼になる。 

 

どれも、どの人にもありそうなものです。

「老い」の問題とは、難しいものです。

割合と決まった答えが出てくる算数などの学習とは大きく異なります。

子ども達と考えながら、改めて、そう感じました。

 

ところで、これまで書いてきた「生」と「死」の話は、授業時間の1時間をとってやった訳ではありません。

現在の学校は、様々な理由で時間的な余裕がないのが実情です。

今回話題にしているようなものは、道徳の「生命尊重」というテーマが当てはまります。

しかし、「生命尊重」にあてることのできる時間は限られています。

 

それなので、私は朝の会などの教師の話の中にそのようなものを意識的に入れていきます。

日々のニュースで話題になっていることや学校の中で起こった出来事などを題材にしていきます。

なるべく短く、数分で終わるような内容にしています。

内容は、相当難しいものなども話しています。

遺伝子、生命倫理、放射能、安楽死などがそういったものにあたります。

小学校高学年の今の時期には少し難しくとも、何となくでも話題を知っていることに意味があるのだと思っています。

その後の生活や学びの中で、色々なものがつながりあい、考えが深まっていく可能性があります。

種をまくようなものです。

芽が出てこないようなものもあるのですが、出てくるものの可能性を信じ、取り組んでいます。

 

将来がより良いものになることを願って日々授業に取り組んでいます。 

 

 

学期末、年末と慌ただしい時期になります。

また、寒さや病気の流行も本格的になります。

皆さん、体を大切になさってください。

 

 

私が命について書いた文章などが別にあります。

興味のある方はご覧ください。 ↓

 

実践の場から 「命の大切さを教える授業 前編

       「命の大切さを教える授業 後編

つれづれ日誌 「命の過去・未来 と題した授業

       「クラス全員で使った詩 生きていること

       「2つの死 ~いじめでの自殺から考えたこと~

 

また、授業で使った資料(パワーポイントなど)が私のHPにあります。

興味のある方は、こちらもどうぞ。 

鈴木 邦明(すずき くにあき)

帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師
神奈川県、埼玉県において公立小学校の教員を22年間務め、2017年4月から小田原短大保育学科特任講師、2018年4月から現職。子どもの心と体の健康をテーマに研究を進めている。

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