2013.07.01
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「合宿」と「遊び」と「人間学」

石川県金沢市立三谷小学校 教諭 泊 和寿

   

 

「合宿」と「遊び」と「人間学」

 

1. 合宿の価値

日に日に、夏の太陽が輝きを増してきています。

みなさんは、いかがお過ごしでしょうか。

私は、先日、5年生と一緒に合宿へ行ってきました。

本校では、高学年を対象に、合宿を行っています。

5年生では山を中心の活動を、6年生では海を中心とした活動を行っています。

合宿はとても大切な教育活動です。

それは、合宿の活動に、人間として生きるために大切な経験をする機会「遊び」が、たくさん入っているからです。

定番の活動内容も、大変によく考えられています。

合宿では、団体生活、野外活動、体験活動など、体全体を使って、知恵を使って、全身で楽しみながら、様々な体験をすることができます。

だから、たったの一泊二日ですが、子どもの顔が生き生きとします。

心も体も、目に見えて生き生きと成長します。

私が合宿に連れて行った子どもは、例外なく一回り大きく成長した姿を見せてくれます。

合宿は、効果覿面の、大変に価値の高い教育活動です。

 

今回は、「合宿」を導入に、

人間は「遊び」を通して人間として成長する。

ということと、

現代社会が抱える、家庭問題、教育問題、社会問題を解決するカギは、質の良い「遊び」にある。

ということを考えてみたいと思います。

 

2. 「遊び」は人間を育てる

さて、なぜ、合宿は子どもを大きく成長させることができるのでしょうか。

それは、合宿には「遊び」の要素が、たくさん入っているからです。

「遊び」は、楽しんでこそ遊びです。

遊んでいたとしても、楽しいことが何もなかったならば、それは遊びではありません。

複数の友達と遊んでいて、みんなが同様に楽しんでいたら、遊んでいると言えます。

人は、「遊び」を通して、人間として成長していきます。

「遊び」の不足は、人間形成や組織の維持発展に大きな歪を生みます。

 

「遊び」は、「共に生きる」、「環境への適応」、「価値創造」などの学びを促します。

 

(1) ちゃんと遊んだ子は、共に生きるための真に良好な人間関係の在り方を身につけます。

自由に遊びたいといってもルールを守らなければ一人では遊べても人と楽しくは遊べません。

ときに、子どもの「遊びたい!」という欲求は、他の我儘より強いものです。

人とよく遊ぶ子は、我儘を通すより、協調性を持った方が楽しく遊べることを自然と学びます。

子どもは、人と遊べば遊ぶほどに、様々な友達と楽しく遊べるようになっていきます。

自分だけが楽しい遊びの経験ばかりしてきた子は、自己主張ばかりする傾向があります。

過保護された子や自己主張ばかりする大人に育てられた子も、同様の育ちをします。

自己中心的な生き方を御手本にするからです。

 

真のリーダー

リーダーとして遊んできた経験の多い子も自己主張をしますが、相手を思って我慢ができます。

みんなを楽しくすることのできるリーダーは、みんなと仲良く、楽しくしようとします。

八方美人な人は、一見良いリーダーに見えますが、実は違います。

自己中心的な理由で、みんなと合わせているだけです。

みんなのためにリスクを冒すことはありません。

仕事も、言われた事だけして、いわゆる自発的な良い仕事というのをしません。

問題があっても目を背けて、こっそりと後回しか人任せにします。

計算高いのです。

だから、長い目で見ると、ゆるやかに、状態を悪化させていきます。

今流行の言葉で言うならば、フリーライダーとなります。

それでも、計算高いので、「頑張っているな。」と思われる程度の仕事はします。

自己防衛が最優先なので、気に入らない相手は無視をします。

隷属的、従順的に遊んだり過ごした経験が多いと、こうなります。

日本の社会では、八方美人的リーダーが好まれますが、実は弱点があります。

八方美人的リーダーは、ゆるやかに状態を悪くし、会社や組織を壊していきます。

真のリーダーは、問題を鋭く見つけて、真っ先に改善に取り組もうとします。

失敗を恐れずにチャレンジします。

そりが合わない相手にも無視せず友好関係を築こうとします。

みんなが楽しい、ちゃんとした遊び方を経験した人は、真のリーダーに育ちます。

 

みんなが楽しくなるように、ちゃんと遊んだ子は、共に生きるための真に良好な人間関係の在り方を身につけます。

 

 

(2)工夫する遊びを多く経験した子は、臨機応変に環境を生かす知恵の使い方を身につけます。

遊びの場では、人数や道具や場所や能力の関係で、遊び方を工夫することがたくさんあります。

子どもは、制限の中で遊びを楽しむことを通して、臨機応変さと環境適応力を学びます。

子どもが、サッカーをする時、人数はいつも11対11ではありません。

自然と、同じ人数に割ったり、能力別に振り分けたりして、工夫して遊んでいます。

野球をするとガラスが割れるような狭い場所で、しかもバットがない状態がありました。

子どもは、ゴムのボールを、打ったときの威力を考えた自作の竹バットで打っていました。

見事な工夫です。

子どもは遊び道具なんかなくても、自然の中から自分で見つけて工夫して遊ぶ本能があります。

 

工夫する遊びを多く経験した子は、臨機応変に環境を生かす知恵の使い方を身につけます。

 

(3)遊び続ける子は、価値を見出し、創造し、ピンチをチャンスに変える力を身につけます。

勝ち負けのある「遊び」、発見のある「遊び」、成長のある「遊び」、生活に役立つ「遊び」。

子どもは、様々な「遊び」を通して、価値を発見することを学びます。

ピンチをチャンスに変えて乗り切る楽しさを、段々と知るようになっていきます。

遊んでいると、道具が壊れたり、友達と喧嘩になったり、けがをしたりすることがあります。

楽しく遊べなくなる事態が発生するのです。

庭の木の枝にロープをつるして使っていたブランコのロープが片方、切れたとします。

選択肢はいくつもあります。

(1)   新しいロープと交換して遊ぶ。
(2)   切れたロープを結んで遊ぶ。
(3)   ロープが無いので代用のもので直して遊ぶ。
(4)   大人など他人に直してもらって遊ぶ。
(5)   ロープが切れたままで、遊ぶ。
(6)   ブランコを取り外して遊ぶ。
(7)   ブランコの遊びをやめて他の遊びをする。

まだあるでしょうが、ここまでにします。

七つ、どの選択肢も、ありです。

遊んでいたブランコのロープが切れたときの対処は、遊びの延長です。

ブランコを直すのは、広い意味で、価値の創造です。

ブランコ以外の遊びに変えるのも同じです。

子どもは、遊びを継続して楽しむために、価値の創造をします。

「遊びたい!」という意欲が推進力になって、価値を創造しようとします。

 

遊び続ける子は、価値を見出し、創造し、ピンチをチャンスに変える力を身につけます。

 

「遊び」は人間を育てます。

 

3. 育てられたように子は育つ

オオカミ少女の話ではありませんが、人間は人間の中で人間として生きるための学びをします。

幼くして、オオカミに育てられた人間の姉妹は、数年後に発見されて保護されたとき、まるでオオカミのように育っていたといいます。

たぶん、オオカミと一緒に、オオカミの遊びを続けていたことも影響しています。

人が人間になるには、育てられた後天的な環境の影響が大きく影響するのです。

特に、子どもの時期に、いかに育てられたか、どんな環境から何を学んだかは重要です。

子どもの「遊び」は、人格の形成に大きな影響を与えます。

「育てられたように子は育つ」というのは、間違いありません。

 

(1)     生まれながらの個性

もちろん、子どもは、それぞれに生まれながらにして個性があり、性格も違います。

子どもの育ちを、全て後天的な影響のせいにするのは間違っています。

しかし、後天的な影響は大きい。

子どもの頃に、口数が少なく慎重だった子が、大人になって活発になっていることがあります。

子どもの頃に、明るく前向きだった子が、大人になって笑顔なく消極的になっていることもあります。

人は、周りの環境や、育てられ方、どんな「遊び」をしてきたかによって、生まれながらの個性を変化させていきます。

 

(2)     海外の事例

アメリカには、発達障害がある子を、乳児のうちから特定の「遊び」などでトレーニングし、大きな成果を上げている研究があります。

脳を半分摘出した子が、その後の生活や遊びの中で、本来摘出した脳が受け持っていて失ったはずの能力を回復していったという話もあります。

育てたように子は育つと、考えさせられる事例は少なくありません。

「遊び」は、生まれながらの個性すら変えていく力をもっています。

 

(3)     手本が大切

一番のお手本は、家族です。

三つ子の魂百までといいます。

最も長く、共に過ごしているのも家族です。

これは、当然と言えます。

 

二番のお手本は、現代ではメディアです。

考えている以上に、人格形成に、相当大きく影響してきます。

だから、世界各国が、モラルや良心や宗教によって、法などで規制するのです。

様々なメディアで情報を発信する者は、その与えた影響に責任を持たねばなりません。

その意識がないならば、不用意な情報発信はしていけません。

 

三番は、友達や学校の先生などです。

「先生に学べ。」という意識が弱くなった現代日本社会では、残念ながら、一部を除いて、子どもに先生を手本とさせようとする意識が薄くなってしまいました。

親を手本にする意識も薄くなっていますが、長期間一緒にいるために、意識はなくとも感化されていきます。

近年、教育効果を上げにくいので、様々な工夫がなされ、本なども多く出ています。

 

大人の私たちは、工夫もしながら、「子どもに背中を見られている。」という意識が大切です。

完全無欠な聖人君子には成れませんし成る必要もないですが、プラスマイナスでプラスになろうという意識が大切です。

お手本になれたら幸せです。

 

4. 奪われる「遊び」の機会

子どもは日常的に遊びます。

飽きるまで、興味関心をもった一つの遊びを、飽きるまで続けてしたりしています。

子どもは「遊び」を楽しみ、没頭します。

  

  現代の日本では、子どもから、「遊び」の機会が奪われています。

 

  危ないからという理由で、小学校に入ったら自転車の安全な乗り方の勉強を学校でするまで、自転車に乗るのは禁止だと言われます。

  同く危ないという理由で、校区外へ出るのも禁止です。

 

私が子どもの頃、よく遊んだ空地も、遊ぶときには使用禁止です。

空地で遊んでいて怪我をしたら、なぜか持ち主が責められる。

どう見ても過失があったのなら分からなくもありません。

でも、「子どもだから」の一言で、子どもは正しい判断ができないから何をしても責任は本人にないとなる。

本当にそうでしょうか。

子どもが入れないように柵をして、進入禁止の看板を立てている空地をよく見ます。

空地で、友達と遊んだ経験が全くないままに大人になる子どもが増えています。

 

友達との遊び道具などの貸し借りも禁止です。

貸して、壊したり無くしたりしたら、普通ならば、借りた側の責任です。

しかし、近年では、貸した子の親が借りた子の親から責められることがあります。

「子どもが貸し借りをしたのは、学校での指導が悪いから。ちゃんと指導してください!」

となることは、残念ながら珍しい話ではなくなってしまいました。

 

何かがおかしくなっています。

原因は、およそ推察していますが、今回は詳しく述べません。

 

子どもから、「遊び」の機会が奪われています。
「遊び」の経験が不足しているままに、大人になっていく子も増えています。

 

5.  合宿の価値

なぜ、合宿をした子どもが、生き生きと元気に、大きく成長するのか。

それは、遊びがたくさんあるからです。

日本語大辞典によると、

遊ぶとは、「興のおもむくままに行動して楽しむ。」という意味です。

自然の中で、自発的な活動をたっぷりと楽しむ合宿は、日常生活ではなかなか体験できない「遊び」なのです。

合宿のプログラムには、厳選された、良質の「遊び」が多くみられます。

先輩の教員の方々の、直感と知恵には、いつも感心させられます。

「遊び」が奪われつつある現代において、合宿の価値は上がるばかりです。

 

6. 合宿の「あゆみ」より

私は、合宿では、いつも日記を書かせています。

本校では、「あゆみ」があるので、持っていき、寝る前の自由時間で書きました。

1日目の「あゆみ」には、活動に満足したり成長したりして、次の日への意欲が伺えます。

2日目の「あゆみ」には、自分の生活のこれからと、来年への意欲が伺えます。

 

 【1日目】

 ・本日のメインイベントの登山は、最初から登り坂がきつくて、途中からの下る道では、酷い転び方をしてしまったけど、無事に到着できてよかったです。

明日も、がんばりたいです。

 

 ・登山をしました。けむしの道を進むというこわさもありました・・・。

が、いい汗をかいて、おいしくお弁当を食べることができてよかったです。

みんなで声をかけながら進むことができたのが絆につながったと思う。

 

 ・これまで練習してきた、2組からの「オオカミとリス」は、1,3組の人に楽しんでもらえたので良かったです。

  明日の「まきまきパン」作りでも、ちゃんと協力したいです。

 

 【2日目】

・3人で協力して作った「まきまきパン」はとってもおしいかったです。

 

・「こねるのが上手だね。」と言われてとてもや嬉しかったです。

 

・とても楽しくていい思い出をつくることができたので、6年生になってからの合宿が楽しみになりました。

 

・私が、今回の合宿で力になった事は、「がまん強さ」です。例えば、登山の時に、足が痛くなっても文句を一言も言わずにすんだことです。

先生が、

楽しくなるためには、
(1) チャレンジすること
(2) 成長すること
(3) 協力すること
  の3つが大切だ と言っていました。

  私も、この3つを大切にしたいです。

 

現代の日本は、「遊び」の無い時代になってきました。

学校では、効率化や精選の名の下に、やたらと伝統の行事を廃止しないように注意が必要です。

特に小学校では、学力だけではなく、遊びの要素を取り入れて、人間としての成長を促す授業や教育活動の工夫が必要です。

学校の勉強が、遊びの延長のように、楽しく意欲的だったらどんなにいいでしょう。

地域によっては、時代の変化に合った、改良を加える必要がある場合もあるでしょう。

 

家庭でも、「遊び」が不足している点を意識して、親子で遊んだり、大まかなルールを決めて、自由に遊ばせたりして、いくと良いと思います。

現代の子どもは、与えられたものでしか楽しめない環境が多すぎます。

自分で何をしたいか決められない子が増えているのも、他力本願で生きる子が多いのも、人のために汗する喜びを知らないのも、「遊び」の不足が関係しているのです。

 

現代社会が抱える、家庭問題、教育問題、社会問題を解決するカギは、質の良い「遊び」をどう経験するかによるのではないでしょうか。

泊 和寿(とまり かずひさ)

石川県金沢市立三谷小学校 教諭
私は、子どもたちが目を輝かせて生き生きと学ぶ姿が大好きです。子どもが本気になって学ぶと、グワッと教師を越えていきます。今年も、そんな感動をめざしたいと思います。

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