通常の学級の先生の発言から。
「特別支援教育の視点で算数の授業をすると、答えを導くためのやり方を押しつけることになるから、子どもの自由な発想が出てこなくなるよね~。」
なるほど。
例えば、「大きな数のたしざんの仕方を考えよう」というねらいの授業では、子ども達に自由な発想で、たしざんのやり方を考えさせる。それを発表させる。といった授業スタイルが、今なおスタンダードのようです。確かに、考える力を養うためには、このような学習が有効であることは言うまでもありません。
でも、特別支援教育の視点でこの授業を組み立てると、最初にこれをしてその次にあれをして・・・と授業時間内のスケジュールが組まれ、視覚的にやるべきことの指示が細かに出されるので、子どもの自由な発想を阻害してしまうのではないか、といった危惧を感じる先生もいらっしゃるようです。
私が大学生だった20年くらい前は確かに、スケジュールも何もなくて、子ども達が目の前に提示された教材を自由に扱って、操作して、いわゆる「主体的な学び」をする授業が尊ばれていた時代だったように思います。たとえ、その教材が石ころであったとしても、それに顔を描いて遊び始めたらオッケーみたいな。
これに対して、特別支援教育の視点で行われる授業は、視覚化、構造化、スケジュール化、パターン化といったキーワードに表されるように、自由さや主体性がないように感じられるのでしょう。
さて、現場ならではのこういった議論こそが、支援の意義を明確にしてくれるものと思います。
特別支援教育は、支援が必要な子どもにジャストな支援を行うことが、ひいては全ての子どもにも有効な手だてとなることを利点としています。
たとえば、何個もあるおはじきを管理することが苦手な子どもに対して、おはじきを入れるビニール袋を用意してあげることが、その子どもの困っている事に対しての特別支援です。
そのビニール袋が使いやすく、みんなが助かる物であれば、クラス全員が使ってもいいですよね。
こういった個々への対応が、「ひいては全ての子どもに有効な手だて」となるのです。
困っている事への支援は、子どもの気持ちが低下するのを防いでくれます。授業でねらいを定めても、その前にやる気をなくしてしまっては元も子もありませんから。
自由な発想を求める授業であれば、その自由な発想ができるような手だてを考えること。
それが特別支援教育の視点で授業を考えることの利点であると思います。
ただし、冒頭の先生のつぶやきは至言です。
特別支援教育の名のもと、支援が押しつけになってしまってはいけないですね。
教師の自己満足的な支援だけは避けたいものです。
増田 謙太郎(ますだ けんたろう)
東京学芸大学教職大学院 准教授
インクルーシブ教育、特別支援教育のことや、学校の文化のこと、教師として大事にしたいことなどを、つれづれお話しできたらと思います。
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