2008.10.31
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食欲の秋

富山県立富山視覚総合支援学校 教諭 岩本 昌明

台所で、柿の皮を剥いていて、ふと思い起こしてみました。

私が、小学生の頃は、身の回りに美味しい食べ物の数が、今と比べると少なかったようです。
だから、甘い柿は、十分美味しい食べ物の一つであったのです。
でも、今の子どもたちは、柿に私ほど愛着も執着もさほどありません。

あれから40年近く、時間が流れました。
40年というのは、これを読んでくださっている方々にすると、大昔のイメージがあるのではないでしょうか。
書いている当人にしてみると、寂しいことですが、昨日のことのように鮮明なのです。
(老化現象の始まりではないかと少々焦っています)

高校生の時に、当時の担任の先生が、自分の高校時代に部活動を一生懸命に取り組んでいた話をしてくださいました。
私は、生徒の時に、なんと古い話を今さらするのだろうと思って、聞いていたことも思い起こされてしまいます。
小学生の時や、中学生や高校生の時に、当時の大人の人たちが、その小学時代や中学・高校時代の話題を話してくださることがありました。
そんな古い話しをしても、今とは違うのにと、やや批判的に聞いていたこともありました。

実は、気付いたのですが、当時の大人の人たちが、それまでに体験してきた世の中の〈変化〉と、私が体験してきた世の中の〈変化〉とその〈変化の度合い〉が異なるのではないかということです。もしかすると目の前の自分の子どもたちが受けている世の中の〈変化〉とも違うのではないでしょうか。

今2008年ですが、例えばそれぞれ40年前の年代を考えてみるとしましょう、1968年頃と1928年頃の世の中を考えてみてほしいのです。ちょっと年号が端数になってしまいました。70年代でも、30年代でも別に良いと思います。それよりも、何をどのように較べるかが重要かもしれません。様々な切り口が考えられるでしょう。

物質的な面で考えてみましょう。2008年現在存在しているものが、私が育ってきた時代には、存在していたと思われます。またはそれらしき物が登場する予感があったような気がします。しかし、1928年頃に小学生だった方々には、1968年の世の中が予想できなかったのではないでしょうか。1928年頃に小学生だった当時には、そもそも存在していなかった物が、1968年当時には非常に多かったと言えるような気がします。

例えば、テレビを考えてみましょう。1928年頃には存在していたでしょうか。それが、1968年頃には、ほとんどの家庭にはありました。もうカラーになっていたのでしょうか。「カラー」と、ここで書いてみて改めて気付きました。今の世の中では、白黒のテレビが存在しないのですね。テレビと言えば絶対「カラー」なのですね。だから、取り立てて「カラー」のテレビと表現する必要がないのです。でも、私より年配の方々は、テレビのない時代を過ごしておられました。私より若い世代は、テレビと言えば「カラー」が当たり前の時代になっています。

食べ物では、インスタントラーメンやカップ麺が登場してきたのが、私の過ごしてきた世の中であったようです。最初は数社しかなかったカップ麺も、非常に多くの会社や製品が出ています。それも季節限定など、数ヶ月ごとに新製品が出るのが当たり前にもなっています。

ラーメンだけでなく、様々なインスタント食品が、スーパーなどの食品棚に溢れている状態です。食べ物の季節感の区別も分からなくなるように1年中、新鮮な野菜がところ狭しと並べられています。これでいいのでしょうか。最近は、食の安全性が問題になっています。しかし、私たちは、飢えや貧困に苦しんでいる世界の国々と較べると、食べ物のユートピアに住んでいることは確かなのではないでしょうか。

私の小学生の頃は、ある意味、非常に贅沢な(?)食生活を営んでいたような気がします。
私だけの限定であるかもしれませんが。

卵は、10個入りのパックは存在しませんでした。50m離れた知り合いの農家に幾らか小銭を持って、その日の朝生まれた卵で、新聞紙に包んでもらったものを買いに行かされました。
300m離れた所に、豆腐屋がありました。豆腐が大きな水の張ってあるところに浮かぶともなく沈んでいるともなく置かれています。今のようにプラスチックの入れ物にはじめから入っていません。鍋か何か器だったと思いますが、手に持って買いに行きました。お店の方に、大きな包丁で適度な大きさに切ってもらい、それを家でみそ汁や、冷や奴で食べたことを覚えています。
600mほど離れた町中には、製麺所がありました。ラーメンを食べることは当時のご馳走の一つになっていたようです。その製麺所へ行って、家族の人数分だけの4玉をお願いすると、やはり新聞紙かチラシに包んでもらいました。四角い固形のスープも一緒に売っていました。
帰り道は肉屋で、注文してからその場で揚げたてのコロッケかハムフライを買うこともありました。揚げ物は、揚げたての温かいものを食べるのが日常でした。現在のようにスーパーなどでラップをかけられた冷えたものは、小さい頃はありえなかったような気がします。
畑には、その季節にしか収穫できない野菜がありました。果物の木にも柿や無花果やブドウなどが、家族で食べられるほどの果実が実っていました。
小学生の頃は、色々な食材はそれぞれのお店へ行って買い、そしてお店の方とたわいもない話をしたりして買っていたのでした。ある時はおまけを子供の特典としてもらったりもしました。今はスーパーで全部買い物を済ますことができるようになりました。精算も1回で、レジの方と無用な会話はありません。後ろにお客さんが並んでいるからです。

ある意味で「サザエさん」「ちびまるこちゃん」の世界そのものを体験しておりました。「古き良き昭和○○年代」だったのかも知れません。少なくとも私の地方では商店街がすたれてきています。東京や大阪の商店街のテレビ紹介をみていると、都会にはまだ私の経験したような憧憬が残っているようで、うらやましいです。

私は、柿を剥きながら、〈食欲の秋〉でなく〈食育の秋〉をいや〈食歴の秋〉に浸ってしまいました。

私の剥いた柿がテーブルに上っても、食べるのはいつも私だけ。他は何を食べる人ぞ。

皆さんは〈食欲の秋〉を堪能しておられますか。

岩本 昌明(いわもと まさあき)

富山県立富山視覚総合支援学校 教諭
視覚に病弱部門が併置された全国初の総合支援学校。北陸富山から四季折々にふれて、特別支援教育と英語教育を始め、身の回りに関わる雑感や思いを皆さんと共有できたらと願っています。

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