最近、中学部3年の英語の授業でフォスタープログラムに関連して、ネパールを扱いました。
言語材料は「現在完了形」と「不定詞の名詞的用法と副詞的用法」を指導することになっていました。
フォスター(foster)というのは、里親という意味で用いられています。しかし、この里親を理解してもらうことに一苦労するとは、考えても見ませんでした。「里親」という概念が目の前の生徒にはなかったのです。ネパールの一人の少女が登場するのですが、「水くみの仕事で、学校へ通うことができない」ということも理解不能になってしまいます。
「どうして水くみをするの?」「水道は?」「水くみがどうして仕事なの?」「水くみと学校へ通うことができないとどんな関係があるの?」「学校へ行きたいのに行けないの?」
文法項目以前の背景知識のギャップを埋めるのに、時間を取りました。でも、大切なことが隠れていると気づかされました。
日本で中学生活を送っていて、当たり前と感じていることが、実は、そうでないということ。物の見方が多面的に少しずつですが、なってきました。「当たり前」「当然」ということは、所変われば、全く違うということがわかりました。どこかの番組で県民の特色を、面白おかしく、紹介しているのと近い部分があるかもしれません。
また、教科書を読み進めていくと、「フォスタープログラムのおかげで、最近村に井戸が一つできた、それも家の近くにだ。そのため、その少女は学校へ通うことができるようになった。また、大人のためにも学校で授業が受けられる。両親も同じ学校へ通う。家も一緒に勉強できる機会が持ててとてもうれしい。」という手紙が送られてきた設定になっています。この内容も、何を言っているのか、中学生3年生にも理解されにくいようです。ということは、全国の他の3年生も似たり寄ったりではないのでしょうか。
私は、指導すべき言語材料よりも、そもそもネパールという国とこの中の少女の置かれている状況に、生徒が興味を持ってくれることが大切なのではないかと思いました。いや、ネパールの子どもたちと日本の子どもたちとの環境や状況の様々な相違点を知ってもらうだけでもいいのではないかとも考えました。
今、目の前の生徒を取り巻く環境は、例えば、携帯でメールをしたり、ゲームセンターでUFOキャッチャーやプリクラをしたり、スキな料理を作ったりです。家族のために飲み水をくみに長時間労働を強いられ、そのために学校に通うことができない状況は、ちょっと想像しにくいようです。家庭では、好みのDVDや「エンタの神様」などでお笑い芸人のネタに癒されています。イケ面の男優に憧れたり、彼らが歌うCDを聞いたり、衣食にも不自由はさほどないようなのです。
私の小学校時代はといえば、まだ、子どもたちに労働する環境が残っていました。富山の稲作地帯の小学校では、田植えや稲刈りの時期になると、友達が今日は田圃の手伝いをしなければいけないという理由で、学校を休んだり、早退をしたりしていました。子どもたちも家庭を支える大事な労働力の一人であったのです。そんな富山も、今は様変わりしています。家族で旅行に行くという理由で、学校を休む連絡をもらっても、さほど不自然にもならなくなってきました。「つぎはぎ」や「おさがり」という言葉が死語になりつつありませんでしょうか。
現在、我が家も、掃除・洗濯・皿洗いすら親がやって、当たり前、食器の後片づけさえも、自分でしないこともあります。我が家の子どもたちは、これでいいのかと思う育て方をしていると、私は反省しきりです。私も、家内も小学校・中学校・高等学校と、どの段階であっても家庭に仕事があって、その仕事を手伝ってきました。その上で勉学や部活動なりに励んできたつもりです。でも、こんな姿勢は、もう遠い昭和時代の化石なのかもしれません。
親が30数年前のことを子どもたちに語っても、昔話に過ぎないのかもしれません。昭和は遠くになりにけりかな。当然、躾られるべきことが、本当に欠けた状態で大きくさせてしまっているのではないかと思うことしきりであります。今、昭和30年代や40年代初頭に戻れと言っても、無理な話です。現実をわきまえていかねばならないのであろうと思います。
さて、話は戻って、皆さんネパールの人口はどのくらいだかご存じでしょうか。2004年の推計人口ですが、2300万人です。日本のように1億を超える国の数は、世界にそんなに多くないのです。ヨーロッパの国々には、オーストリアやスイスやデンマークやノルウェーなどは、数百万人規模の国があります。東京都よりも人口が少ない国ってなんか不思議な気がします。
ちょっと無謀な考え方かもしれませんが、上のような人口の規模であれば、日本もいくつかに分けて独立して国を作ってはどうでしょうか。北海道・東北、関東・中部、近畿、中国・四国、九州・沖縄で5つに分けてはどうでしょうか。2000万程度の国を5つほど作ることができないでしょうか。人口や経済力のバランスが極端に悪いようなので、あまりこの区分けは、お薦めとは言えないでしょう。また、道州制の議論に道を開くつもりでもありません。United Kingdom of Japanとでもして、それぞれ独立した自治を持たせては如何でしょうか。
規制緩和という名の下で、各自治体なり地方の独自色が認められてきているとはいえ、根本的には、中央集権国家的視点は変わっていないと思われます。アメリカのような州でなく、ヨーロッパ(ユーロ)のような国としての位置づけで、日本を再構築しては如何でしょうか。そうすると教育というものも、それぞれの地域性または新しい国の特性で決まってくるので、また面白いのではないでしょうか。
ただ、財源が問題です。大都市は本当にお金があります。大企業もしかりです。たとえば、3年ほど前の話で、トヨタの純利益は、1兆円は超えていると報道されたりしています。
これは、富山県の財政の規模を越えるものです。一企業が一県の財政を越えるというは、恐ろしいことです。単純な比較で優劣やら大小を決めることはできません。でも、やはり豊田市や愛知県は財源上のゆとりがあるのではないでしょうか。豊田の車を、全国の方々が購入することで、愛知県や豊田市に間接的に貢献していることになるのです。たばこ税は購入した自治体への収入になるので、車購入の物品税等など、このように地方も報われる税制を作ればいいのかもしれませんね。
(注;最近の金融危機で、愛知県はトヨタからの税収が1000億円減の予想も報道される)
この財源の偏在が今の日本に見られるのも一つの問題です。財政面で地方が苦しい台所事情があるのに対して、東京都や愛知県などは、ゆったりしているようです。大阪は橋下知事が奮闘しておられるとおり財政逼迫しているところです。第二の夕張市という、地方自治体が財政再建に陥ることが決してないようにする施策は必要です。教職員を始め、地方公務員の給与水準が、ここ数年抑えられ、我慢を強いられているのも限界にきているようです。しかし、アメリカ発の、金融不安は、また一層私たちの生活を苦しくするようで心配です。もちろん、もっと苦しい状況に置かれている方々も非常に多いことだとも思います。
私たちは、あまり物言わぬ日本人になってしまいました。このままでいいのでしょうか。
時代背景等が現代とかけ離れている部分があるのですが、チャップリンが『独裁者』という映画の最後のスピーチの中で、次のように語っています。
「民主主義の名において、その力を使おうではないか-団結しよう! 新しい世界を作るために戦おうではないか。人々に働き口を与え、若者には未来を、老人には保障を与えるまっとうな世界を作るために戦おうではないか。独裁者も同じ約束をして、権力の座にのし上がった。だが、彼らは嘘をつく!約束を守らない。これからも絶対に守らないだろう!独裁者というのは自分だけは自由にするが、大衆は奴隷にするのだ」
(中略)
「ハンナ!ごらん!雲が晴れていくよ!太陽の光が差し始めてきたよ。僕らは暗闇の世界から、光の世界に入ろうとしているのだ。僕らは新しい世界に足を踏み入れようとしている-憎悪と貪欲と暴力を克服した、もっと思いやりのある世界に。」
日本の風土から、さまざまな「思いやり」が消えようとしていませんか。
「ネパール」から「独立国構想」からそして「チャップリン」に進んでしまいました。
私は、ネパールには、「思いやり」がいっぱい残っているような気がしています。
久しぶりに、生徒と一緒に双方向性の授業で教材を味わうことができました。でも、目標とした言語材料の英語の力はついたのかは、疑問です。
悲しいかな、様々な支援には、現実にはお金の問題が避けて通れないということも、認識させられました。
とほほほ。
参考文献:
「トヨタ営業益2兆円~」2006年10月21日 読売新聞より
統計局ホームページ/世界の統計 第2章 人口/2-4 人口・面積 〔統計表〕より
文科省検定教科書 New Horizon Book 3 (東京書籍)
近江 誠 『感動する英語!』(文藝春秋社)
言語材料は「現在完了形」と「不定詞の名詞的用法と副詞的用法」を指導することになっていました。
フォスター(foster)というのは、里親という意味で用いられています。しかし、この里親を理解してもらうことに一苦労するとは、考えても見ませんでした。「里親」という概念が目の前の生徒にはなかったのです。ネパールの一人の少女が登場するのですが、「水くみの仕事で、学校へ通うことができない」ということも理解不能になってしまいます。
「どうして水くみをするの?」「水道は?」「水くみがどうして仕事なの?」「水くみと学校へ通うことができないとどんな関係があるの?」「学校へ行きたいのに行けないの?」
文法項目以前の背景知識のギャップを埋めるのに、時間を取りました。でも、大切なことが隠れていると気づかされました。
日本で中学生活を送っていて、当たり前と感じていることが、実は、そうでないということ。物の見方が多面的に少しずつですが、なってきました。「当たり前」「当然」ということは、所変われば、全く違うということがわかりました。どこかの番組で県民の特色を、面白おかしく、紹介しているのと近い部分があるかもしれません。
また、教科書を読み進めていくと、「フォスタープログラムのおかげで、最近村に井戸が一つできた、それも家の近くにだ。そのため、その少女は学校へ通うことができるようになった。また、大人のためにも学校で授業が受けられる。両親も同じ学校へ通う。家も一緒に勉強できる機会が持ててとてもうれしい。」という手紙が送られてきた設定になっています。この内容も、何を言っているのか、中学生3年生にも理解されにくいようです。ということは、全国の他の3年生も似たり寄ったりではないのでしょうか。
私は、指導すべき言語材料よりも、そもそもネパールという国とこの中の少女の置かれている状況に、生徒が興味を持ってくれることが大切なのではないかと思いました。いや、ネパールの子どもたちと日本の子どもたちとの環境や状況の様々な相違点を知ってもらうだけでもいいのではないかとも考えました。
今、目の前の生徒を取り巻く環境は、例えば、携帯でメールをしたり、ゲームセンターでUFOキャッチャーやプリクラをしたり、スキな料理を作ったりです。家族のために飲み水をくみに長時間労働を強いられ、そのために学校に通うことができない状況は、ちょっと想像しにくいようです。家庭では、好みのDVDや「エンタの神様」などでお笑い芸人のネタに癒されています。イケ面の男優に憧れたり、彼らが歌うCDを聞いたり、衣食にも不自由はさほどないようなのです。
私の小学校時代はといえば、まだ、子どもたちに労働する環境が残っていました。富山の稲作地帯の小学校では、田植えや稲刈りの時期になると、友達が今日は田圃の手伝いをしなければいけないという理由で、学校を休んだり、早退をしたりしていました。子どもたちも家庭を支える大事な労働力の一人であったのです。そんな富山も、今は様変わりしています。家族で旅行に行くという理由で、学校を休む連絡をもらっても、さほど不自然にもならなくなってきました。「つぎはぎ」や「おさがり」という言葉が死語になりつつありませんでしょうか。
現在、我が家も、掃除・洗濯・皿洗いすら親がやって、当たり前、食器の後片づけさえも、自分でしないこともあります。我が家の子どもたちは、これでいいのかと思う育て方をしていると、私は反省しきりです。私も、家内も小学校・中学校・高等学校と、どの段階であっても家庭に仕事があって、その仕事を手伝ってきました。その上で勉学や部活動なりに励んできたつもりです。でも、こんな姿勢は、もう遠い昭和時代の化石なのかもしれません。
親が30数年前のことを子どもたちに語っても、昔話に過ぎないのかもしれません。昭和は遠くになりにけりかな。当然、躾られるべきことが、本当に欠けた状態で大きくさせてしまっているのではないかと思うことしきりであります。今、昭和30年代や40年代初頭に戻れと言っても、無理な話です。現実をわきまえていかねばならないのであろうと思います。
さて、話は戻って、皆さんネパールの人口はどのくらいだかご存じでしょうか。2004年の推計人口ですが、2300万人です。日本のように1億を超える国の数は、世界にそんなに多くないのです。ヨーロッパの国々には、オーストリアやスイスやデンマークやノルウェーなどは、数百万人規模の国があります。東京都よりも人口が少ない国ってなんか不思議な気がします。
ちょっと無謀な考え方かもしれませんが、上のような人口の規模であれば、日本もいくつかに分けて独立して国を作ってはどうでしょうか。北海道・東北、関東・中部、近畿、中国・四国、九州・沖縄で5つに分けてはどうでしょうか。2000万程度の国を5つほど作ることができないでしょうか。人口や経済力のバランスが極端に悪いようなので、あまりこの区分けは、お薦めとは言えないでしょう。また、道州制の議論に道を開くつもりでもありません。United Kingdom of Japanとでもして、それぞれ独立した自治を持たせては如何でしょうか。
規制緩和という名の下で、各自治体なり地方の独自色が認められてきているとはいえ、根本的には、中央集権国家的視点は変わっていないと思われます。アメリカのような州でなく、ヨーロッパ(ユーロ)のような国としての位置づけで、日本を再構築しては如何でしょうか。そうすると教育というものも、それぞれの地域性または新しい国の特性で決まってくるので、また面白いのではないでしょうか。
ただ、財源が問題です。大都市は本当にお金があります。大企業もしかりです。たとえば、3年ほど前の話で、トヨタの純利益は、1兆円は超えていると報道されたりしています。
これは、富山県の財政の規模を越えるものです。一企業が一県の財政を越えるというは、恐ろしいことです。単純な比較で優劣やら大小を決めることはできません。でも、やはり豊田市や愛知県は財源上のゆとりがあるのではないでしょうか。豊田の車を、全国の方々が購入することで、愛知県や豊田市に間接的に貢献していることになるのです。たばこ税は購入した自治体への収入になるので、車購入の物品税等など、このように地方も報われる税制を作ればいいのかもしれませんね。
(注;最近の金融危機で、愛知県はトヨタからの税収が1000億円減の予想も報道される)
この財源の偏在が今の日本に見られるのも一つの問題です。財政面で地方が苦しい台所事情があるのに対して、東京都や愛知県などは、ゆったりしているようです。大阪は橋下知事が奮闘しておられるとおり財政逼迫しているところです。第二の夕張市という、地方自治体が財政再建に陥ることが決してないようにする施策は必要です。教職員を始め、地方公務員の給与水準が、ここ数年抑えられ、我慢を強いられているのも限界にきているようです。しかし、アメリカ発の、金融不安は、また一層私たちの生活を苦しくするようで心配です。もちろん、もっと苦しい状況に置かれている方々も非常に多いことだとも思います。
私たちは、あまり物言わぬ日本人になってしまいました。このままでいいのでしょうか。
時代背景等が現代とかけ離れている部分があるのですが、チャップリンが『独裁者』という映画の最後のスピーチの中で、次のように語っています。
「民主主義の名において、その力を使おうではないか-団結しよう! 新しい世界を作るために戦おうではないか。人々に働き口を与え、若者には未来を、老人には保障を与えるまっとうな世界を作るために戦おうではないか。独裁者も同じ約束をして、権力の座にのし上がった。だが、彼らは嘘をつく!約束を守らない。これからも絶対に守らないだろう!独裁者というのは自分だけは自由にするが、大衆は奴隷にするのだ」
(中略)
「ハンナ!ごらん!雲が晴れていくよ!太陽の光が差し始めてきたよ。僕らは暗闇の世界から、光の世界に入ろうとしているのだ。僕らは新しい世界に足を踏み入れようとしている-憎悪と貪欲と暴力を克服した、もっと思いやりのある世界に。」
日本の風土から、さまざまな「思いやり」が消えようとしていませんか。
「ネパール」から「独立国構想」からそして「チャップリン」に進んでしまいました。
私は、ネパールには、「思いやり」がいっぱい残っているような気がしています。
久しぶりに、生徒と一緒に双方向性の授業で教材を味わうことができました。でも、目標とした言語材料の英語の力はついたのかは、疑問です。
悲しいかな、様々な支援には、現実にはお金の問題が避けて通れないということも、認識させられました。
とほほほ。
参考文献:
「トヨタ営業益2兆円~」2006年10月21日 読売新聞より
統計局ホームページ/世界の統計 第2章 人口/2-4 人口・面積 〔統計表〕より
文科省検定教科書 New Horizon Book 3 (東京書籍)
近江 誠 『感動する英語!』(文藝春秋社)
岩本 昌明(いわもと まさあき)
富山県立富山視覚総合支援学校 教諭
視覚に病弱部門が併置された全国初の総合支援学校。北陸富山から四季折々にふれて、特別支援教育と英語教育を始め、身の回りに関わる雑感や思いを皆さんと共有できたらと願っています。
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