第3期のつれづれ日誌も、残り3回になりました。今回から3回連続で、「障害」が認知されにくいという社会的背景について触れたいと思います。今回は、「理解の得られにくい保護者への告知」をテーマとして取り上げます。小・中学校の研修会でも必ずと言ってよいほど質問の手が挙がる内容です。
「親が認めたがらないのですが、何かいい方法はありませんか?」 幾度となく受けてきた質問ですが、私はこのように答えるようにしています。「残念ですが、ご期待に応えられるような方法はありません」
突き放すような回答で申し訳ありません。しかし、告知というのはそれほど重大で慎重なものです。人の一生を左右しかねない、人生の一大事です。この子の将来はどうなるのか? 私たちの未来はどうなるのか? 夢も希望もないのか? なぜ私の子だけが? こんな思いを抱くのが普通です。先の見えない中で告知を受けとめきれる親がいるでしょうか? 手っ取り早くて効果的な告知の手法など存在しないのです。
病院で医師が、子どもに障害があることを親に告知するときには、サポートの体制があることを同時に伝えるのが一般的です。障害のある子本人へのサポートだけでなく、保護者への精神的なサポートの内容や方法が同時に提示されます。医師だけでなく、看護師、医療ソーシャルワーカーなどあらゆる立場の方が、これからも明るく元気に生活できるようにバックアップします。ここまで準備してはじめて、「受け入れる」ということの土台ができるのです。もちろん受け入れることについての個人差がありますから、どんなに体制を整えても決して十分とは言えません。それでも、立場を尊重し、細心の注意を払い、将来を気遣い、全面的にバックアップするという基本理念が浸透しています。
こういうふうに書いてしまうと、教育現場にはそうした環境が整っていないから取り組めないとおっしゃる方が増えるかもしれません。こうしたサポート環境の未整備も確かに大きな課題だとは思いますが、私はむしろ、親の立場を尊重し、全面的にバックアップするような心構えが教育現場にあるのか? と問いたいと思います。そうした心構え抜きに、簡単にできる告知の方法を・・・と求められても、やはり「ないです」としか言いようがありません。
実際には、こうした質問をお寄せくださる先生の多くが、とても熱心な先生なのだと思います。なんとか保護者にも現実を直視してもらいたい、一刻でも早く協力しあえれば問題解決の糸口が見えてくるのではないか、そんな思いでいっぱいの先生たちが多いように感じています。そんな思いに応えられたら・・・といつも思うのですが、残念ながら、発達障害も特別支援教育も、保護者の皆さんに伝えられる機会があまりにも少なすぎます。私たちが今、第一に取り組まねばならないことは、特別支援教育について保護者のすべてが「知っている」という状態にすることです。そして、特別支援教育はサポートの手段であり方法でもあるのだということが、世の中のすべての人たちに「認知」されなければなりません。こうした社会的な環境が整ってはじめて、告知を考える土壌ができたと判断したいと思います。
そんな土壌づくりのために、ある小学校では、特別支援教育コーディネーターの存在や、相談などの対応について学校便り等で大きく取り上げるようにしています。別の小学校では、障害の有無に限らず、子育ての不安や心配についていつでも相談に応じることを校長先生自らがお便りで伝えています。「学校保健委員会」のような、学校とPTAが協力し合う組織の会議で特別支援教育について取り上げる中学校もあります。外部の専門家による講演会を保護者会の中で頻繁に実施している幼稚園もあります。そうした地道な努力が何より大切だと思います。
また、現時点では、どの学校も、特別支援教育に関心の高い先生ばかりがそろっているわけではないように思います。親が認める・認めない以前の課題です。校内研修を繰り返し設定し、校内の先生全員が「知っている」、「手立ても分かっている」という状態にすることも同時に求められるのではないでしょうか。
佐藤曉先生(岡山大学教授)と小西淳子先生(岡山市平井保育園)は、ご著書「発達障害のある子の保育の手立て」(岩崎学術出版社)において、保護者への告知の問題について以下のようにおっしゃっています。以下、同書の152~153ページより引用します。なお、同書は保育園、幼稚園の先生向けに書かれていますので「園」と記述されていますが、「学校」と置き換えても十分参考になると思います。
「発達障害」という概念は、社会的には、まだ十分に認知されていない。それゆえ、わが子が何かおかしいといわれても、そう簡単に受け入れられなくて当然なのだと思う。保護者とのコミュニケーションがしっくりしないときは、先を急いではいけない。理解を得るには、ともかく時間が必要である。それでは毎日子どもがかわいそうだと思うかもしれない。しかし、そこは園でカバーしたい。子どもは、園でしっかりみてあげたらいい。そうしながら、保護者とはじっくりと付き合っていこう。互いに気心が知れて、子どもの話ができるようになるまで、1年や2年はかかるのである。
それでも、子育てに向き合える保護者ばかりではない。どうやっても、それが難しいという人もいるのだ。「親はこうあるべし」という考えは、捨て去りたい。ならば、そういった保護者とのかかわりはどうしたらいいか。答えは、一つである。親としての役目をいったん括弧に入れて、今ここを生きている生身の人間として、関係をとりもつのである。人との関係の糸をつなぐためには、何より相手のすてきなところを見つける努力をしないといけない。私たちは、相手から悪く見られているときに、その人に対して心を開けるだろうか。自分に関心を寄せてくれて、がんばっていることをせめて一つでも認めてくれる相手がいてこそ、人はようやく重い口を開く気になるのではないか。「親が認めない」「保護者の協力が得られない」などと、保護者にネガティブな視線を注いでいては、事態はいつまでたっても好転しない。
以上で引用は終わりです。「保護者の理解が得られない」という言い回しそのものが、実は保護者の気持ちを心の底から理解しようとしていないことの表れなのではないか、そんな思いを抱かざるをえません。
次回は、「障害が認知されにくい社会」の第2弾です。

川上 康則(かわかみ やすのり)
東京都立港特別支援学校 教諭
障害のある子どもたちの指導に携わる一方、特別支援教育コーディネーターとして小中学校を支援してきました。教育技術の一つとしての「特別支援教育」を考えていきます。
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