2008.06.13
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運動会から考えたこと

富山県立富山視覚総合支援学校 教諭 岩本 昌明

運動会がありました。
特別支援学校ならではの種目やルールがあります。幼児児童生徒の発達度合いや障害の程度に応じた工夫が行われていると思います。
今回は徒競走の一種で、40M走を紹介します。
ゴール手前に、視覚障害の児童生徒用に音源が設けられます。太鼓やバケツを叩いて走る方向が走者にわかるようにします。

1つ印象に残ったシーンがありました。
読者の方には、何らさほど難しくない平凡な徒競走のひとつ程度と思われるかもしれません。しかし、日常生活で「走ること」「競い合うこと」「多くの人前で何かをすること(ここでは走ること)」に、あまり慣れてきていない場合は全く異なってきます。種目に出場する段階で、すでにかなりのストレスやプレッシャーや恐怖心を持つのです。私たちはこんな状況があることすら見逃すこともあります。

A君が、ゴール5mほど手前で、全く前に進まなくなりました。私は、その理由がわかりませんでした。担任の先生も優しく声をかけ、保護者の方もゴールの所から励ましています。でもその場にしゃがみ込んでしまいました。手をひっぱって力でゴールさせることはできたかもしれません。でも、そうはしません。

A君が自分の意志で前へ進むことを願い、みんなが声援を送りました。A君が嫌なことを自分で克服してくれることを待っていました。4・5分でした。この数分がとてつもなく長く感じられました。「ガンバレー。もう少しだぞ。」というアナウンスや周りからの励ましが入り交じっていました。私は、実は心の中で、「無理をさせず、ここで打ち切ってゴールにしてはどうか」と、一瞬思いました。

そのときです。決勝テープ係の先生2人が、A君の方へ動き出したではありませんか。
ゴールテープまで、A君が行くのを待つのではなく、ゴールテープの方からA君の方へ少しずつゆっくりと近づいていったのです。私は正直驚きました。“逆転の発想”です。「―までたどり着かせたい」「―まで到達させよう」という視点から、その生徒児童の目線や能力まで近づこう、降りてみようとしたのです。他の支援教育学校ではよく見かけることなのかもしれませんが、ゴールテープが移動することは、私は全く考えもしませんでした。世界陸上などでは、這いつくばってでもゴールするシーンが、放映されることが多いからかも知れません。私は無事この難局も解消に向かうだろうと見守っていました。

が、再度驚きました。決勝テープがA君の間近に近づいてゴール目前と思いきや、又決勝テープが元のゴール地点まで下がり始めたのです。A君が納得いかなかったようです。あまりにも声援が大きくなったので、逆にゴールをすることを拒絶したようです。A君が自分の意志と思いで、自分の力でゴールテープを切ることを望んだようです。決勝テープの先生方は、5mほど元の地点に戻られました。

不思議なことが起きました。決勝テープが、ゴール地点に戻ってから、会場からのA君を応援する声が少し穏やかになりました。A君が前に動き始めました。自分の力でゴールしたのです。私には実はなぜA君が途中で立ち止まったのかその心理的な部分がわかりません。

でも、A君を取り巻くご家族、担任の先生、決勝テープ係の先生、全校児童生徒、そして運動会を見守ってくださった人たちみんなで、彼を応援し、支え、本当に一つになった瞬間があったことに、薄っぺらいかもしれませんが、感動しました。A君を見つめていた一人ひとりがA君と一緒にゴールテープを切った思いをしたのではないでしょうか。

おそらくA君は、何か恐怖を感じたのかもしれません。今までの成功体験が不足していたのかもしれません。例えば、一人で40Mを走る体験がなかったのかもしれません。でも今日、そのハードルを乗り越えることができたのです。私たちにとっては、ほんの40Mという距離であっても、A君にとっては長い長~い40M。でも、本人が意識したかどうかわかりませんが、1つの大きな自信とやり遂げたという充実感・達成感という成功体験となったのではないかと、応援席からという遠目からも確信できました。

人が一人成長することは難しいものだと改めて考えさせられました。今日、私は、40M走の中に爽やかな「ドラマ」を見ることができました。

追伸:秋葉原の惨事に言葉にならないほどの悲しみを抱いて、合掌と黙祷を捧げます。

岩本 昌明(いわもと まさあき)

富山県立富山視覚総合支援学校 教諭
視覚に病弱部門が併置された全国初の総合支援学校。北陸富山から四季折々にふれて、特別支援教育と英語教育を始め、身の回りに関わる雑感や思いを皆さんと共有できたらと願っています。

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