2018.09.17
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キラキラした眼をした子どもを育てるために

私が小学校の教員をしていた時に目指していたことの1つに「キラキラした眼をした子どもを育てる」というものがありました。今回はそのことについて書きたいと思います。

帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師 鈴木 邦明

「キラキラした眼をした子どもがたくさんいるクラス」

今の立場になって、以前よりも多くのクラスの授業を見るようになりました。様々な学校で行われている研究授業や大学生が教育実習で取り組んでいる授業などを見ます。

色々なクラスを見ていて感じることは「子どもの眼の輝き」です。子どもがキラキラとした眼で授業に参加している場面をよく見かけます。本当に生き生きと活動しています。逆に何となく、どんよりとした感じの眼をした子どもが多いクラスもあります。先ほど書いたものとは逆で全体的に活気がない感じです。

そういった中で気が付いたことは、「子どもの眼の輝き」と「教師の眼の輝き」には共通点があるということです。子どもの眼がキラキラとしているクラスの教師の眼は、やはりキラキラとしています。楽しそうに授業をしていますし、生き生きとしています。逆も同様です。

自分自身を振り返ると、自分が楽しみながら取り組んでいた授業は子どもの食いつきも良かったという印象があります。理科の授業で子どもがあっと驚くようなことを期待しながら予備実験をし、それをワクワクしながら授業でやってみるのです。授業をしている私が楽しくてしょうがありません。

「教師は様々な経験をして欲しい」

教師はどんな経験もそれを仕事に生かすことができます。自分が何か失敗してしまったことを子ども達に伝えることも意味のあることです。その時に興味があることをトコトンやってみることも良いのだと思います。そういったことが色々な部分で授業と繋がっていきます。特に小学校の場合は簡単につなげることができます。

本を読んで新しい知識を獲得することも良いでしょう。長期休業中に旅行に行くことも良いでしょう。学生時代の同級生に会って、互いの近況を報告し合うことも良いでしょう。そういった様々なことが授業に生きてきます。

「少し心配なこと」

最近の学校や先生達を見ていて、少し心配になることがあります。それはキラキラとした眼をしている先生が減ってきているような印象があるからです。学校現場は色々な意味で忙しくなっています。事務仕事も増えていますし、社会の眼も厳しいものとなっています。そういった中で、教師が萎縮をしてしまっているケースがあるように感じます。チャレンジするよりも守りに入っているような感じです。

また、教師がしっかりと授業の準備ができていないような印象を受けます。十分な準備ができないまま授業を行えば、もちろん授業の質は低くなる可能性が高くなります。色々と難しいことはあるのだと思いますが、教師(特に若い人)がしっかりと授業の準備をし、生き生きと授業ができるような状況に学校現場がなっていってくれればと思っています。

「お礼」

長く『学びの場.com教育つれづれ日誌』に投稿をさせていただきました。約7年間です。定期的に執筆するのは今回で最後となります。拙い自分の実践や考えを文章にしてきました。読んでくださった多くの方に感謝申し上げます。この場がきっかけとなり、色々な人と出会うことができました。私自身の教師としての幅も広がったと思います。本当にありがとうございました。これからは不定期の執筆になる予定です。これからも色々な形でより良い教育の実現のために関わっていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

私の研究用のホームページがあります。ご興味のある方はご覧ください。

鈴木 邦明(すずき くにあき)

帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師
神奈川県、埼玉県において公立小学校の教員を22年間務め、2017年4月から小田原短大保育学科特任講師、2018年4月から現職。子どもの心と体の健康をテーマに研究を進めている。

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